2018年10月10日
撮影・編集・発行: 日本サイエンスサービス

 2018年のインテル国際学生科学技術フェア (Intel ISEF: Intel International Science and Engineering Fair) には、世界81の国と地域の約700万人から、それぞれの予選を勝ち抜いた1792名の高校生(9-12grade)たちが科学技術分野での研究の頂点を目指して集まりました。半世紀以上続く世界最大の高校生向けコンテストIntel ISEFのレベルは非常に高く、大学院生や研究者と肩を並べるような研究成果の数々が出品されます。今年はそれぞれの研究分野に応じた22カテゴリ用意され、ファイナリストは研究結果のみならず社会や学術分野へのインパクトを強調して、審査員や参加者に発表を行っていました。本年の開催地はペンシルベニア州ピッツバーグで、2018年5月13日から18日にかけて大会が行われました。また、期間中は科学技術研究の審査会だけではなく、国際交流イベントも多く催されました。日本からは日本学生科学賞(JSSA)と高校生科学技術チャレンジ(JSEC)から23名、12プロジェクトが参加しました。

 

日本代表から8プロジェクト15名が部門優秀賞、特別賞などを受賞 今年は日本代表8プロジェクト15名が受賞し、日本代表として過去最多の受賞数となりました。

部門ごとに共通の審査基準で審査される優秀賞(Grand Award)では、岐阜県立岐阜高等学校3年の土田康太さん、坂井雄祐さん、都竹優花さんが動物科学部門の優秀賞 2等を受賞しました。研究タイトルは「A Method Combining Geographic Information Systems and Environmental DNA Reveals Hidden Populations of the Endangered Japanese Clouded Salamander, Hynobius nebulosus.」です。MIT Lincoln Laboratory Ceres Connectionプログラムにより、今回優秀賞2等を受賞した3名のファイナリストの名前が小惑星につけられる予定です。

また、慶應義塾大学1年(佼成学園高等学校出身)の井川恭平さんが動物科学部門の優秀賞 3等を受賞しました。研究タイトルは「Evolution of aphid species due to host plant preference」です。

さらに、香川大学1年の太田千尋さん、お茶の水女子大学1年の霜山菜都乃さん(ノートルダム清心学園 清心女子高等学校出身)が微生物学部門の優秀賞 4等を受賞しました。研究タイトルは「Screening of Yeasts in Azalea Nectar for Bioethanol Production」です。

金光学園高等学校(金光学園中学・高等学校)3年の上川滉太さんが物理天文学部門の優秀賞 4等を受賞しました。研究タイトルは「Three-Dimensional Trajectories of 2016 Perseid Meteors Over West Japan Obtained through Multi-Site Observations」です。

熊本県立宇土高等学校3年の成松紀佳さん、小佐井彩花さん、高田晶帆さんが物理天文学部門の優秀賞 4等を受賞しました。研究タイトルは「Whether Insects See Anomalous Images Located Near a Lens or Not? Verification of Lens Equations for Anomalous Images and Application of the Simple Eye of an Insect」です。

埼玉県立川越女子高等学校2年の岡野美聡さんが植物科学部門の優秀賞 4等を受賞しました。研究タイトルは「Streaks on the Flowers of the Morning Glory, Pharbitis nil, Promote Water Absorption by the Flower and Play a Critical Role in Flower Blooming」です。

11名が受賞した部門優秀賞は、全研究のうち上位25%のすぐれた研究にのみ与えられるものです。また、MIT Lincoln Laboratory Ceres Connectionプログラムにより、今回優秀賞2等を受賞した3名のファイナリストの名前が小惑星につけられる予定です。

授与団体ごとの独自の審査基準で選考される特別賞(Special Award)では、滋賀県立彦根東高等学校の横浜湧太さん、坂井龍征さん、小島颯太さんが“Extension of Soddy’s Hexlet: Number of Spheres Generated by Nested Hexlets” というテーマで「アメリカ数学会賞 1等」を受賞しました。さらに、埼玉県立坂戸高等学校の濱野柊歩さんが“Development and Performance Evaluation of a New Type of Mg-air-battery for Emergency: The Teabag Model” というテーマで「米特許商標協会賞 2等」を受賞しました。

また、最高賞に当たるゴードン・ムーア賞(Gordon E. Moore Award)はオーストラリア代表のOliver Nichollsさんによる「Autonomous Window Cleaning Robot for Commercial High Rise Buildings(高層ビルの窓清掃自律型ロボット)」が、次点にあたるインテル青年科学者賞(Intel Foundation Young Scientist Award)には、米国代表のDhruvik Parikhさんによる「A Novel Sol-Gel Derived SPEEK/Silicon Dioxide Composite Membrane for the Vanadium Redox Flow Battery(バナジウムレドックスフロー電池のための、新規ゾルーゲル法を用いたスルホン化ポリエーテルエーテルケトン/二酸化ケイ素合成膜)」と、同じく米国代表のMeghana Bollimpalliさんによる「Green Synthesis Phosphorous, Nitrogen Co-Doped Carbon Materials from Renewable Resources for Supercapacitor Applications via Microwave Assisted Technique(再生可能資源によるスーパーキャパシタのためのリン・窒素共添加炭素素材のマイクロ波を用いた環境に優しい合成法)」が選ばれました。

 

日本サイエンスサービス(NSS)による日本代表支援

日本サイエンスサービスは、主にIntel ISEF出場者OB・OGによって構成され、そのスタッフがIntel ISEF日本代表に対する様々なサポートを行っています。多くの高校生にとって、海外での英語発表は経験したことのないものであり、また米国での研究発表の常識やルールは日本とは大きく異なります。そのため、せっかく良い研究内容であっても、単に実験結果や発表原稿を英訳しただけのものでは評価してもらえないことが往々にしてあります。長年、Intel ISEFファイナリストのサポートに関わってきた日本サイエンスサービスでは、このような日本での研究発表とIntel ISEFでのギャップを埋め、Intel ISEFで最大限活躍してもらえるようなノウハウや情報を提供しています。2018年は、日本学生科学賞の1月事前研修会へのスタッフ派遣、JSECでのアブストラクトやリサーチプランといった事前提出書類・ポスター等の作成サポート、3月にグーグル合同会社(東京・六本木ヒルズ)にて行われた日本代表向けの全体研修会の主催、4月の直前研修会へのスタッフ派遣、Intel ISEF2018ピッツバーグ大会へのプレス派遣、最新Intel ISEF国際ルールへの翻訳対応等を行いました。

3月25日から27日にかけて、グーグル合同会社(東京・六本木ヒルズ)にて開催した合宿形式の研修会では、ファイナリスト21名、日本サイエンスサービス(NSS)から23名のボランティアスタッフが参加しました。研修前半では、審査形式の確認、効果的なポスター作製とプレゼンテーション方法についての説明を受けた後、NSSスタッフとともに研究の骨子を再構築する作業を行い、正確にわかりやすく伝えるための土台作りをしました。研修後半では、さらにネイティブトレーナーを交えて、2分間の発表の原稿作成や発表練習、質疑応答などの実践的な対策を行いました。Intel ISEFの審査は英語によるディスカッションが重要なため、全体を通して質疑応答などのコミュニケーションの練習を重視した研修となりました。この研修会を通して各プロジェクトが渡米までに克服すべき課題を明確にすることができたようです。

また、日本サイエンスサービスでは、毎年現地にスタッフを派遣し、ファイナリストの撮影を中心とした取材および広報活動やファイナリストの発表をサポートしています。撮影したファイナリストの写真は、新聞やテレビといった各報道機関でご利用いただいています。現地では、TwitterなどのSNSによるリアルタイムの情報配信を行い、1日のまとめをISEF.jpに掲載しました。本年は、プレススタッフとして2015年ファイナリストの久保裕亮を派遣しました。


Intel ISEF2018体験記

Intel ISEF 2018ピッツバーグ大会に参加した12プロジェクト23名の高校生から、米国での体験や感想をいただきました。研究や準備での苦労や、本番での悔しい思いもあったようですが、Intel ISEFが人生を変えるような素晴らしい体験になったと多くのファイナリストが語ってくれました。この体験記を通して、実際に参加したからこそ分かるIntel ISEFでの興奮や熱気を少しでも感じていただければと思います。また、来年以降Intel ISEFに参加したいと思っている中学生や高校生の方にとっては、参考やヒントになる意見もたくさんあるのでぜひご覧ください。


金光学園中学・高等学校 上川滉太

“Three-Dimensional Trajectories of 2016 Perseid Meteors Over West Japan Obtained through Multi-Site Observations”

昨年12月のJSEC最終審査に出場が決まった時は大変嬉しく思うとともに、例年非常にレベルの高い研究が集まっているこの大会での受賞は高い壁に感じていたため、賞を取ることではなく誰よりも楽しもうという気持ちでJSEC最終審査に臨みました。そうして2日間の審査を満足感いっぱいで終えました。表彰式後にある晩餐会で審査員の方や高校生と交流ができることを楽しみにしていたこともあり、表彰式は人ごとのように拍手していました。そんな中、最後の文部科学大臣賞で名前が呼ばれ、ただでさえ気が動転している中でISEFへの派遣を伝えられて、夢ではないかと疑いを持つほど驚いたのを覚えています。その後、英語で書類を作成していくことでISEF出場を実感し、日本代表として出場することへの責任感や悔いの残らぬようやりきろうという覚悟を持ちました。3月下旬には東京でISEFに向けた3日間の研修会もあり、共に競い合う同志であり仲間である日本代表の人達と交流し刺激をもらいました。英語版ポスターの作成後は、学校で準備を重ね、家でも夜遅くまで発表や質疑応答の練習をするなど、ISEFに向けた準備に没頭しており、大変でしたが非常に充実した日々を過ごしました。

いよいよアメリカに向け出発する時は、緊張はほとんどなく期待感でいっぱいでした。しかし、今年のISEFはトラブルの連続でした。はじめに飛行機の遅延でカナダに急遽一泊。このようないきなりのトラブルにも引率の方々は冷静で素晴らしい対応でした。そして無事アメリカに到着し、とてつもなくでかい会場に着きテンションが上がる中、発表ブースに行くとなぜか自分のブースだけ赤い紙が置いてあるのです。そう、それは違反者リスト、通称SRCからの紙なのです。すぐに面談をするからと別室に連れて行かれ不安と恐怖しかありませんでした。しかし、面談は非常に和やかなムードで書類の記述内容の確認だけで終わりホッと一安心してブースに戻ったその時でした。日本代表のメンバー、引率の方々が真っ青な顔をしているのです。それは….日本から送ったポスターが届かないという追い討ちをかけるトラブルでした。そこから2日間、全員の総力を振り絞ってポスターを手作業で作成していきました。非常に大変な作業だったため、ポスターが完成した時には全員がまるで審査が終わったかのようにヘトヘトになっていましたが、この作業を終えてチームの団結感が一層強くなったため、後々思うと欠かせない思い出となりました。そして、ウェルカムパーティやオープニングセレモニーなどの様々なイベントを通して、他国のファイナリストの人たちと交流し、海外の高校生の積極性やコミュニケーション能力の高さ、また挑戦する気持ちの違いに感銘を受けました。

ついに迎えた、審査当日。日本代表チームで円陣を組んで心を一つにし互いの健闘を誓い合いました。審査会場が近づくにつれて高まる鼓動を感じ、今までやって来たことを信じてやりきろうという強い意気込みで審査に臨みました。受験英語が中心の自分にとって、英語での会話は行く前から非常に不安であり高い壁でありました。しかし、英語の上手さではなく研究を伝えようとする姿勢を心がけ熱意を持って発表すると、自然と言いたいことを伝えることができ、緊張することなく楽しんで審査を終えました。表彰式で”From Asakuchi city, Japan. Kota Uekawa”というアナウンスが会場に響き渡った瞬間は、今までにない程の鳥肌が立つと同時に喜びを噛み締め、今までやってきて本当によかったと心から思いました。ステージの上からの景色は最上無二の特別なもので、決して忘れることがないと思います。

今回のIntel ISEF出場を通して、自分の研究内容を日本語と英語で科学的根拠に基づいて理論構築し表現することや相手のニーズに合わせた説明の手法を学ぶ事ができ、世界でハイレベルな研究をしている高校生と交流する事で、通常の高校生活では得られない素晴らしい経験をすることができました。そして、Grand Award 4等というこの賞は、手厚くサポートして下さった朝日新聞社やNSSの方々、また指導して下さった先生方のお力添えがあったからこその受賞であり、感謝してもしきれないほどお世話になりました。また、応援し支えて下さった家族や友達、本当にありがとうございました。そしてこの日本代表のメンバーで共にファイナリストとしてIntel ISEFに参加できてよかったと、心からそう思います。かけがえのない最高の思い出を共に過ごしたみんな、本当にありがとう。支えてくださる方々への感謝の気持ちを忘れず、この経験を生かして今後も挑戦を続けていこうとは思います。この度は本当にありがとうございました。


埼玉県立川越女子高等学校 岡野美聡

“Streaks on the Flowers of the Morning Glory, Pharbitis nil, Promote Water Absorption by the Flower and Play a Critical Role in Flower Blooming”

初めてISEFのことを知ったのは中学のときで、私の研究で出場することができたらどんなに良いだろうと思っていました。そして、ISEFへの派遣が決まった時は、うれしくて信じられない気持ちで一杯でした。しかし、英語で発表することへの不安もとても大きかったです。特にISEFの前は部活が忙しくて発表の準備が十分でなく、審査会に対する不安が他のメンバーよりも大きかったと思います。出発の日、カナダ経由でピッツバーグに向かったのですが、トロントに行く飛行機が遅れたため急遽トロントで一泊することになり、次の日の朝5時のホテルを出発してピッツバーグに向かいました。また、日本チームの一部のポスターが税関でアメリカ政府の抜き打ち検査に引っかかって会場に届いていないというハプニングがありました。日本からプリントアウトしたものを手持ちで持って行ったので、それを使ってみんなでポスターの設置をしました。ポスターのチェックをする女性に2つお願いがあると言われ、何かと思ってドキドキしました。一つはチェックの紙にサインと日付を書くことでしたが、二つめは6歳の娘がいるけどISEFに来ていて一緒に祝えないので、あなたの母国語でHappy Birthdayと言って欲しいというものでした。私が朝顔の模型を持ってお誕生日おめでとう、と私が言うのを動画に撮りました。ピンバッチ交換では10秒に一度くらいのペースで”Where are you from?”と、会う人みんなから聞かれ、たくさんバッチを交換しました。私が日本から来たと知るなり「こんにちは」や「ありがとう」と日本語で声をかけてくる人が多くて驚くと同時に、自分は他の国の言葉で挨拶できないのが寂しかったです。交換会の会場は国同士の政治的な関係や文化の違い関係なく、いろんな国の高校生が交流しあっていて、とても不思議な空間に感じました。3日目に生徒同士で発表練習していると、下村脩博士と2008年にノーベル賞を受賞したMartin Chalfie博士がポスター会場に観て回っていたので、みんなで一緒に写真を撮りました。ちょうど私のポスターの前だったのがうれしかったです。ダンスパーティでは、その場の雰囲気に圧倒されました。他の人と話したり、踊りましたが疲れてしまい、ホテルに帰るなり寝てしまいました。審査会にはNSSの方の助言で朝顔の模型を用意しました。布と針金を用意したもののどうやって作っていいかわからず、試行錯誤の上やっと出発直前に完成しました。審査員やみんなが「この模型、作ったの?」と感心してくれました。写真だけではわかりにくい朝顔の構造について模型を使って説明できたお陰で、より研究内容を理解してもらえたと思います。審査会が始まるまでは上手に発表が出来るかとても不安でしたが、審査員の方々はとても優しく、噛み砕いて質問してくださったのでほとんど通訳を使わずに質問に答えることができました。一般公開では研究内容の朝顔の柄の浴衣を着ました。3月の研修会の時に女子のメンバーで浴衣着ようね、と話したのです。私の髪をメンバーの女の子が綺麗にセットしてくれました。私のブースにはたくさんの人が来てくれて、一緒に写真を撮ったり研究の内容を説明したりしました。グランドアワードの発表で、Plant Sciencesの4等賞で私の名前が呼ばれた時は、信じることができなくて、耳を疑いました。ステージの上で隣に来たのがたまたま研究の話を聞いた人だったので互いに讃え合いました。ステージから日本代表メンバーが大きな日の丸を持って喜んでくれているのが見えて、とてもうれしかったです。ステージから降りて、 FOURTH AWARD と書かれた緑色のリボンのメダルを手にした時、やっと受賞したことを実感しました。私の他にも次々と日本メンバーの名前が呼ばれて過去最多数の受賞となり、とても嬉しかったです。

私の研究はずっと個人で続けていましたが、ここまで来ることができたのは両親や学校の先生、友人の応援があったからです。特に今回のISEFに参加するにあたってNSSの方、朝日新聞社の方、メンターの先生には本当にお世話になりました。ISEFの一週間は言葉では表しきれないくらい本当に濃密で、刺激的でした。この一週間の楽しい思い出を忘れないと共に、今回の経験を糧にこれからも頑張りたいです。


熊本県立宇土高等学校 小佐井彩花

“Whether Insects See Anomalous Images Located Near a Lens or Not? Verification of Lens Equations for Anomalous Images and Application of the Simple Eye of an Insect” 

「アメリカに行けるかもしれないの!?行ければいいね!」なんて話を、友達としていたのを覚えています。まるで他人事です。正直に言うと、JSECに参加したときはアメリカに行くことができないと思っていました。厳正な審査を通過した数少ない研究のなかで自分たちの研究は評価されるのかと心配でしたが、表彰式で名前が呼ばれたときはホッとしました。花王賞をいただくことができて嬉しかったです。後日、ISEFへの参加決定の通知を受けて、「あのレベルの高い研究の中で本当に私たちの研究で大丈夫なのか」という不安は、「日本代表になったのだから頑張ろう!」という気持ちに変わりました。
それからはAbstract、Research Plan、Project Summaryの作成に追われる日々でした。提出締め切り時刻の2分前に提出したこともあります。そんななか、やっと自分たちがISEFに参加するという実感がわいたのは、Google研修で昨年のISEFのハイライトを見たときです。その映像の中の人たちはみんな、一人一人が輝いていて、その顔は自信に満ち溢れていました。そこで、私の悪い癖で、「こんな人たちの中で発表できるのか」という不安がまた、募りました。自分に自信がなかったし、英語が得意な友達やポスター作りが得意な友達にまだ頼りきりな自分がいました。そこからやっと本当の意味で「頑張らなくちゃ」と思い、責任感も感じました。そのあとはGoogle研修で得たことを生かして、ポスターを前にして英語で要約する練習をしながら、ポスター作成に本格的に取りかかりました。ISEFの準備の中で一番大変だったことは、ポスターの様式に慣れることです。日本の大会ではイラストを多く使って細かい説明はプレゼンで補うというスタイルですが、ISEFではポスターそのものの審査があるので、ポスターを見ただけで研究内容が伝わるように文字中心のポスターを作りました。ただ文章量を増やすだけでなく、どうしたら見やすくてひきつけられるポスターになるかを考えました。また、私たちの研究は物理部門で応募しましたが、一部、生物分野の箇所があるので、そのつなぎをどうするかも考えました。こうして自分たちの研究に向き合って試行錯誤したことは、後のISEF審査会でいろんな質問にも対応できたことにつながったと思います。

4月の直前研修や学校での質問対応の練習、予想質問100個づくりなどを経て、ISEF本番を迎えました。不安はまだ少し残っていましたが、それよりも楽しもうという気持ちが強かったです。ピンバッジ交換会やダンスパーティーはとても楽しくて、審査会前のイベントを通して不安がなくなっていきました。何より、日本チームの雰囲気が良かったです。ポスターパネルが届かないというアクシデントがあったのですが、JSECチームみんなで一から段ボールでパネルを作ったことをきっかけにチーム力が高まりました。
プレスで来てくださった方からの「審査員との会話を楽しんで!」という言葉をいただいて、審査会に臨みました!予想質問を作っていたので大体の質問に対応できたし、難しい質問でもできるだけ通訳さんに頼らずにホワイトボードを使ったり実演したりしました。また、チーム研究なので、全員が平等に質問に答えるように努めました。企業の方も何人か来てくださって、NASAの人が来てくださったときはテンションが上がりました!もうそこには、友達に頼りきりの自分はいませんでした。
結果として、私たちはGrand Awardの4等を受賞することができました。はじめは信じられない気持ちでいっぱいでしたが、「自分たちの研究が世界でも評価されたんだ!」と、先輩方から引き継いだ研究を誇りに思いました。継続研究のいい集大成を迎えることができました。今まで関わってきた先輩方には感謝の気持ちでいっぱいです。それ以上に感謝しているのは、共同研究者である2人の友達です。3人にしかわからない忙しさ、苦しさを経験したぶん、ISEFでは楽しさ、嬉しさ、そして達成感を共有しあうことができました。2人がいなかったら私は不安に押しつぶされていたでしょう。不安が自信に変わったのは友達のおかげです。本当にありがとう。
ISEFは、自分自身を大きく変えてくれました。「どうしよう」「大丈夫かな」しか思えなかった不安だらけの自分は、「じゃあどうやって解決しよう」を考える自分に変わりました。今の自分は、自信に満ち溢れています!あのハイライト映像に映っていた人たちのように。この経験は私の一生の宝物です。今までサポートしてくださったすべての方々に感謝致します。ISEFのことをもっといろんな人に知ってもらいたいし、私のように自分に自信がついた!という人が増えて、全国に科学好きの高校生がもっと増えたらいいなと思います。


滋賀県立彦根東高等学校 小島颯太

“Extension of Soddy’s Hexlet: Number of Spheres Generated by Nested Hexlets”

はじめにISEFに参加することが決定したときは、英語で発表する自分が想像できなかったのでかなり不安がありました。一番最初に困ったのは、アブストラクトやリサーチプランです。作り方にはいろいろな指定があって、それをしっかり守って作るのにとても苦労しました。しかしその準備によって自分の研究を振り返るいい機会にもなりました。研修会では、質疑応答についてたくさんの問題があることに気が付きました。まず、相手の言っていることを聞き取ること自体が難しく、何となく聞けても本当にあっているのか不安なため、あまり自信をもって答えることができませんでした。また、「この研究はどう将来に役立ちますか」という質問にどう答えるかとても悩みました。それを踏まえほぼ毎日練習しました。その間にも本当に本番で発表できるのか不安な気持ちでした。実際にISEFが始まると、世界大会という規模の大きさにとても驚きました。実際の発表以外でもピンバッチ交換会やダンスパーティなどいろいろなイベントがあり、10日間がとても短く感じました。審査については始まる前はとても緊張し、黙り込んでしまわないかとても不安でしたが、始まってみると審査員の方が目を見てうなずいたりしながら話を聞いてくれ思った以上に話しやすく、そして特に印象に残ったのは、研究の中の漸化式の解き方を自分で考えてきてくださった審査員の方がいて、よく研究内容を見てくれていると思いうれしく感じました。しかし英語力のなさがないことに改めて気づき、英語を勉強してちょっとした世間話程度でもできるようになっておけばよかったと思いました。通訳さんにも助けられながらですが質疑応答の練習をしていたこともあって、ほとんどの質問に答えられたので自分的にはいい発表ができたと思いました。発表の中に質問で出やすいといわれていたグループでの役割分担についてを最初に入れたりして事前の準備によってうまくいったのではないかと思いました。一般公開では、審査員以外の人への発表なので審査会よりは緊張しませんでしたが、まったく発表について知らないことが前提での発表だったので大変でした。アメリカ数学会賞1等賞というとても名誉ある賞を受賞し、また貴重な体験ができてこれまで協力してくださった皆さんへの感謝の気持ちとともに本当にISEFに参加してよかったと感じました。そして、これからこの経験をなにかに生かしていければいいなと思います。


山口県立山口高等学校 小林由衣

“Dynamics of bubble-ring -a mechanism which realizes high stability and efficient energy transfer-”

課題研究を始めた時から研究のメンバーと「世界大会に行けたらいいね」と話していました。県大会、中国・四国・九州大会、中央審査を経てISEFへの出場が決まった時、本当に嬉しかったです。目の前の壁を乗り越えていくことで夢は叶うものだなと実感しました。また、ISEFの準備期間と受験期が重なっていた時には特に、何かを目指す気持ちと仲間の頑張っている姿がモチベーションとなり、研究や勉強を続けることができました。

ISEFの審査会では、バブルリングの発射装置、実験装置、実験の動画、応用に興味を持ってもらうことができ、そこが評価されました。自分たちの研究内容が少しでも世界の舞台でも認めてもらえたことを誇りに思います。ISEFではこのような審査会に加えて、ピンバッチ交換会、ダンスパーティー、一般公開など様々なイベントがありました。これらのイベントを通して、他国との文化の違いを実際に肌で感じることができただけでなく、浴衣や法被を着ることで私たちも日本の文化を発信することができました。また、様々な国のファイナリストと話したり連絡先を交換したりして、人脈を広げることもできました。ISEFの主な目的は研究発表だったが、上記のように文化交流や人脈作りをする良い機会にもなりました。アメリカで感じたことは、日本よりも服装や働き方が自由で、みんな楽しそうだったということです。町ですれ違った人の表情が、生き生きしているように感じられました。このような違いを感じたのはもちろん、同世代の人の研究内容の凄さや、自分に自信を持って堂々と話している姿を目の当たりにして、刺激を受けました。これは、アメリカだけでなく国内の研修でも感じていました。発表を聞いたり、話をしたりする中で「本当にすごいな」と思うことばかりで、どうやって自分はみんなに追いつこうかなと考えていました。また、自分の英語力はまだまだ足りないということも痛感しました。日常的な会話ではジェスチャーなどを用いながらで伝わりますが、他の人の研究の話となると単語すら分からないことも多々ありました。もっと研究の話を聞きたいのに、言葉の壁があるということがとても悔しかったです。そして、ISEFに参加したり課題研究をしたりする中で、研究に対する考え方も変わりました。今までは、正直、研究にはあまり興味もなく、まさか自分がやるとは思っていませんでした。しかし、研究を続けて大会を重ねていくうちに、こんなにも研究は面白く、やりがいがあり、自分自身を成長させてくれるものだと知ることができました。

課題研究やISEF、アメリカでの経験から、多くのことを学び、たくさんの人に出会うことができました。これも、支えて下さった先生方、友達、家族のおかげです。とても感謝しています。山口高校の理数科に入り、課題研究をやらせて頂けて、本当に良かったと思っています。これからも目標を持ち続け、様々なことに挑戦していきたいです。そして、世界で活躍できる人になりたいです。


岐阜県立岐阜高等学校 坂井雄祐

“A Method Combining Geographic Information Systems and Environmental DNA Reveals Hidden Populations of the Endangered Japanese Clouded Salamander, Hynobius nebulosus.”

僕がISEFに参加できると分かったのは2017年の12月のことでした。JSECでグランドアワードを獲得したその時はあまり実感がなく,まさか自分がこんなにも大規模で素晴らしい大会に参加させていただいて,賞までもらえるとは思ってもいませんでした。準備期間は苦労の連続でした。アブストラクト、リサーチプラン、ポスターのすべてを英語で作り上げなければならないということはかなり大変でした。しかし、この時の努力が実際のISEF本番で役に立ったと思います。
出発してからはハプニングがたくさんありました。まず,出発便の遅れによってJSECチームはカナダで乗り継ぎができず,そこで一泊することになりました。また,アメリカ政府の荷物抜き打ち調査によって事前に送っていたポスターが現地に届きませんでした。そのため会場入りしてから、手荷物で持って行った予備のポスターを使ってみんなで協力して2日かけてパネルを作成しました。大変でしたが,カナダ泊もパネル作りも今では楽しい思い出の一つとなっています。おかげで日本代表の絆が深まりました。そんな中ISEFが始まりました。ISEFでは毎晩パーティーなどがあったり、他国のファイナリストとの交流があったりとイベントが盛りだくさんでとても充実していました。開催初日,ピンバッジ交換会がありました。その時最初に僕に話しかけてきたブラジルのファイナリストがハグを求めてきたという出来事を始め,どの国のファイナリストも初日ながら全身で大会の幕開けを感じていることに気づき,僕も一生に1回のこのISEFという大会を全力で楽しもうと思いました。開会式が終わった後,僕たちはScience News for Students の取材を受けることができました。会場に入ってからの唐突な連絡だったので驚いた上に初めての発表ということになりましたがうまく話せて審査会への自信にもつながりました。この記事は後日公開されたのでいい思い出になっています。審査会の前夜はダンスパーティーがありました。日本では「本番前はしっかり体を休めて万全の体調で….」,などとよく言われるものですが,文化が全く違いました。本番の審査に向けて緊張も不安もテンションで乗り切ろうという発想でしょうか,爆音で流れるノリのいい音楽の中,各国のファイナリストとダンスなど、交流を楽しみました。そして審査会です。約4か月間の準備期間に対し、7時間の審査会は物足りないと思うほどに早く終わってしまいました。事前の入念な準備や日本代表の団結感、毎晩のパーティーで高揚していた気分のおかげもあってか、審査会では緊張せずに堂々と発表することができました。僕たちは合計で10回以上の審査を受けたのですがどの審査員の方にも研究に興味をもっていただき自分たちのベストを尽くせたので悔いは残っていません。また,審査会,一般公開を通して様々な国の方と英語でコミュニケーションを取ることができ満足しています。そしてついに表彰式を迎えました。グランドアワードの表彰式では4等,3等と日本のファイナリストが次々に名前を呼ばれていき,仲間の栄光をたたえる一方で賞がもらえないのではないかという不安に押しつぶされそうになりつつ、じっと待っていました。すると動物科学部門2等で「From Gifu, Japan」と呼ばれた瞬間,喜びが爆発しました。達成感でいっぱいでした。表彰台から見た景色は一生忘れられません。その後は残りのピッツバーグでの滞在を有意義に過ごしました。美術館,博物館,買い物,ピッツバーグ大学など様々なところへ行き,観光も存分にできたので良かったです。

今回ISEFに参加して貴重な体験をたくさんすることができました。本当に充実した一週間でした。さらに自分たちの研究が部門2等という最高の結果につながって感無量です。日本代表のみんな,様々なサポートをしてくださったJSEC,NSSの皆さん,そして審査会で大きな支えになってくださった通訳の方など多くの人に心から感謝の気持ちを伝えたいです。本当にありがとうございました。


滋賀県立彦根東高等学校 坂井龍征

“Extension of Soddy’s Hexlet: Number of Spheres Generated by Nested Hexlets”

去年の12月、JSECで賞をいただきその後ISEFに参加することが決まりました。それから、アブストラクトやリサーチプランなどの準備をしていきました。特にアブストラクトは字数制限があるので、修正も多かったです。英語の練習も大変でした。僕は英語が得意ではなくて、話すのはなおさらでした。3月の研修会でも、緊張してうまく話せませんでした。それでも、学校で英語の先生に聞いてもらったりしながら直前まで練習しました。発音や日本語にはない抑揚などには苦労しました。若干不安要素の残るまま日本をたちました。

ピッツバーグは近くに緑のあるいい感じの学術都市です。天気は悪くなるだろうとのことでしたが、晴れてよかったです。審査会場はとても広かったです。数学の研究もたくさんあって感動しました。割と過ごしやすい環境だったのですが、慣れない疲れからか寝落ちすることもありました。審査本番までに、いくつかイベントがありました。恒例のピンバッジ交換会では、はじめは緊張していたのですが、会場内を歩き回っていると何人か声をかけてくれる人がいました。とても簡単な英語でしたが、少し話すことができました。なかなか通じず、英語力不足を実感することにもなりました。オープニングセレモニーでは、ステージでドラマーが演奏していてかなりの盛り上がりを見せていました。そして審査会では、10人くらいの審査員が来ました。審査員もにこやかだったので安心できました。練習していたのと似た質問が多かったことと通訳さんがいてくださったことで、あまり緊張せずに審査を受けることができました。しっかりと準備しておいてよかったです。翌日の一般公開日では、ほかのブースを見たりしました。たくさんの国・地域から参加していて、いろんな人がいるなということを実感しました。日本にはない最先端の多様性を体感した気がしました。その一方で、どの人も研究に熱心なのは同じだと思いました。その夜のスペシャルアワードの表彰式で呼ばれたときは本当にびっくりしたので、ステージに立った時のことをよく思い出せません。その翌日のグランドアワード表彰式で、JSECのほかのチームすべてが賞をもらえました。一緒に過ごしたのは短い間だったけど、自分のことのように嬉しかったです。本当に良かったです。あんな経験は、二度とできないと思います。すっきりとした気分で帰ることができました。ISEFに参加して、自分たちの研究をより深く理解することができました。そして、研究というものの面白さを改めて感じることができたと思います。あと、うまく言語化できませんが、たくさんの刺戟、衝撃を受けました。長々と書きましたが、実際に行ってみるのが一番いいと思います。


ノートルダム清心学園 清心女子高等学校 霜山 菜都乃

“Screening of Yeasts in Azalea Nectar for Bioethanol Production”

 私が高校1年生の時、部活の先輩がISEFへの出場を獲得され、「アメリカで発表できるってかっこいいね!」とチームメイトと話していました。当時は、まさか私たちが世界大会で発表できるとは思ってもいませんでした。ISEF出場の切符を掴んだJSECは、高校生として参加できる最後の大会で、チームメイトといい思い出を作りたいと意気込み、出場しました。そして、JFEスチール賞をいただき、世界大会への出場を決めることができました。ISEFへの出場決まった直後は実感が湧かず、準備を進める中で、少しずつ緊張感を持ち始めました。まず、アブストラクトとリサーチプランをNSSの方々にご指導いただきながら作成しました。自分たちの研究を紙面だけでわかっていただけるように書くことは難しく、英語での作成はさらに困難を極めました。研究と勉強の時間を割いて書き上げたアブストラクトがNSSの方やネイティブの先生の添削でたくさん修正が入り、自分たちの力不足さに悔しい思いをしました。しかし、英文を書き続けるうちに、修正される部分が減り、「英語で書く」力を身につけられたのではないかと自負しています。また、3月には研修会へ参加し、2泊3日でみっちり英語プレゼンテーションの特訓と質疑応答の練習をしていただきました。ネイティブの先生とNSSの方にご指導いただき、研究のアピールポイントをいかに効果的に伝えるか熟考しました。研修会最終日の発表では、アドリブを加えた発表を行い、ネイティブの先生から褒めていただきました。しかし、英語での質疑応答には想像以上に苦しみました。日本語では答えられるはずの質問に、英語の専門用語がわからずうまく答えられませんでした。この研修会で抱いた悔しさを解消するために、ISEFまで100個以上の予測質問とそれに対する答えを考え、どんなことを聞かれても、英語で対応できるようにチームメイトと努力しました。

ISEFの1ヶ月前には直前研修をしていただき、プレゼンテーションと質疑応答のブラッシュアップをしました。私たちのチームは二人とも大学に入学したばかりの時期で、準備が思うように進まないこともありましたが、電話やメールで毎日のように連絡を取り合い、練習をしていました。研修会から1ヶ月後、あっという間にアメリカへ飛び立つ日がやってきました。チームメイトと会うのも1ヶ月ぶりで、発表がうまくいくのか不安に思っていましたが、審査当日までホテルで発表練習を行い、質疑応答への対策案も練りました。直前まで粘った成果なのか、審査本番では二人とも練習以上にスムーズなプレゼンテーションを行うことができました。質疑応答の時間も、私たちの精一杯の力を発揮できたと思います。審査員の方と白熱した議論を交わすことができたという経験は本当に貴重だと思います。振り返れば、「もう少しこうしておけば良かった」と思う部分もありますが、二人の集大成の舞台に悔いは残っていません。

ISEFへの出場は私のこれからの研究生活のモチベーションをさらに高めるきっかけとなりました。同年代の研究者が熱い思いを持って発表している姿を目の当たりにし、自分も負けてはいられないと強く思いました。大学では微生物から離れ、海藻の研究に着手しましたが、研究愛は変わらず持ち続けています。また世界の舞台で発表することを目標に、ISEFで培った力を発揮したいと思います。これまでご指導してくださった先生方、最後までお力添えを頂きましたNSSの方々をはじめとし、本当に多くの方に支えていただきました。ありがとうございました。そして、一緒にISEFへ出場した日本チームのみんなにも感謝を伝えたいです。最高の時間を作ってくれてありがとう!


東京都立西高等学校 鈴木万純

“How are the timings of flower opening and closing controlled in Nymphaea tetragona?”

ISEFへの派遣が決まった時は、はっきり言ってISEFが何かも分かっていませんでした。そもそも私は賞への応募など考えもせず興味本位で近くにあったものについて研究を始め、やったことも結果も地味な研究で、そんなに大事になるとは思ってもいませんでした。本音を言いますと、学生科学賞での発表が終われば研究とも一度縁を切って勉強に集中できるとさえ考えていましたので、実感が湧かなかったのも無理はないかと思います。とは言っても時間が流れるのは速く、派遣の決定からそんなに経たずにメンターの先生との顔合わせ、必要書類ややらなければやらないことの確認が行われ、すぐに準備に追われるようになりました。準備の中ではアブストラクトが最も大変だったと思います。アブストラクトというものがどういうものかさえ良く分かっていない状況で、250ワードという制限の中自身の研究を最大限アピールしなくてはならなかったからです。メンターの先生や顧問の先生、友達の手を借りながら締め切りぎりぎりまで原稿を練りました。科学の世界特有の言い回しや表記方法もあり、大変でしたが同時にとても良い勉強になりました。その後の準備というのはもちろん量的には大変なものがありましたが、基本的にはアブストラクトをもとに肉付けをしていくという感じでしたので、とんでもなく頭を悩ませるようなことはありませんでした。ポスター制作で若干のハプニングは経験しましたが、全体的には順調な仕上がりだったと思います。ISEFでは思ったほどカルチャーショックを受けることもなく、淡々と発表をこなしました。通訳の方のご尽力もあり、あまり審査員の方とのコミュニケーションに困ることもなく、楽しんで審査を終えることができました。研究をしている人に共通することだと思いますが、自身の研究が評価されるかどうかに関係なく、誰かに自分の研究の話を聞いてもらえるというのはこの上のない喜びだと思います。結果的に私はISEFで賞を取ることはありませんでしたが、審査員の方は一人ひとり私の研究に興味を持っているように感じられ、ディスカッションをしてくださいました。研究結果の中でどうしても説明のつかない現象があったのですが、審査員の一人の方がそのことについて私の思いつかなかった仮説とその検証方法を提案してくださいました。それが私にとってはISEFで最も重要な発見となりました。
ISEFに行く前は、研究への行き詰まりも感じられ、早く研究を終わりにして受験に専念したいとさえ思っていましたが、ISEFに行ってからはまた同じテーマでさらに研究をしたいと考えるようになりました。それは素敵な仮説と検証方法を提案していただいたこととが一つの理由です。また、悔しかったということもあります。私の研究は、観察と統計に基づき現象を解析したものです。しかしそれは、未だ推論にすぎない研究でした。結果を説明する理由や、それを検証する実験、またそもそも統計結果が実際世界において正しいと証明する実験さえ行っていない未完成な研究で、現状では議論が机上の空論で終わってしまっています。ISEFには、きちんと先を行った研究がたくさんありました。きちんと科学的な考え方に基づいて自身の研究結果を因果関係から説明している方がたくさんいました。私は、自分にそれができなかったことがとても悔しかったです。研究の肝は、どれだけたくさんの、正確なデータを集め、それをどのように解釈するかだと私は考えます。それはISEFに行く前と行った後で変わることはありませんでした。ただ一方で、もう一つ大切なことを知りました。それは、研究は未来へ続くものであるべきだということです。そのために、結果は出して表面的に考察するだけでは足りません。結果はそれまでの科学的知見と照らし合わせ、そのような結果が出る原理を考え、その仮説を証明するために新たな実験を考え、さらに生物学においてはその結果の示す進化的意味まで考えるべきです。そしてそれは新たな研究につながっていきます。とにかく、私はまた研究をやりたいと考えています。ISEFは、大変な行事でした。多くの時間を費やし、犠牲にしたものもあったはずです。しかし、得たものは犠牲にしたものより多かったと心から信じられるほど、貴重な経験になりました。今回得たものを糧に、この先また一層努力していきたいと思っています。


熊本県立宇土高等学校 高田晶帆

“Whether Insects See Anomalous Images Located Near a Lens or Not? Verification of Lens Equations for Anomalous Images and Application of the Simple Eye of an Insect”

ISEFは私たちにとって憧れの舞台で、ISEFのファイナリストに選ばれたと連絡が入ったときは、嬉しくてみんなでハイタッチして喜びました。しかし、喜びと同時に、ISEFがどのような大会であるか、私に英語で発表することはできるのか、という不安も大きかったです。3月と4月に実施された研修会では主にプレゼンの練習や質疑応答対策をしましたが、本番の審査同様の練習をさせてもらったので、良い緊張感を持って練習することができました。他のファイナリストとはこの研究会で初めて会ったのですが、みんな年が近いということもあってすぐに仲良くなることができました。ISEFまでのポスター等の準備は思っていたよりずっと大変で、いつまでたっても続く英語の翻訳作業に逃げ出したくなる時もありました。ISEFが近づくにつれ、様々な人から励ましの言葉をいただいたり取材を受けたりして自覚がわいてくると、私はアメリカに行く前からとても緊張していました。しかし現地に着くと、大きな会場や飛び交う英語、会場の雰囲気に圧倒され、緊張というよりは、自分がISEFという最高の場所にたどり着くことができた興奮でいっぱいでした。ISEFは毎日何かしらのイベントがあり、ピンバッチ交換会やダンスパーティーはファイナリスト全員が科学者と思えないくらいの盛り上がりで、本当に楽しかったです。日本文化が好きな外国人は多く、日本から持参していたピンバッチやお土産がすぐになくなってしまうくらい、多くの世界中のファイナリストたちとつながることができました。審査会当日になり、がやがやとした会場にのまれ、私は緊張せざるを得ませんでした。そしてその緊張から準備してきたプレゼンや質疑もうまくできないこともありました。そんなときは私のチーム研究のメンバーが『笑顔!!』と陰から言ってくれて、私の緊張をほぐしてくれました。また、審査の合間に励まし合ったり、『今の審査ではこんなだったから次はこうしよう』と次の対策を練ったりしていました。ISEFでは個人研究が評価されやすいと聞いましたが、私はチーム研究だからこそ頑張れたと思います。審査はとてもきつかったのですが、割り当てられた審査員だけでなく、他の審査員や、NASAなどの機関や企業からも興味を持って見に来てくれる方もいらっしゃいました。自分たちが言いたかったことがわかってもらえたり、これは面白い!君たちは論文を書いた方がいいよ!と言ってもらえたりしたことは本当に嬉しかったです。審査が終わると会場は自然と拍手であふれ、自分の力を発揮できたという達成感を得ることができました。グランドアワードの表彰式の日になり、『あのステージに上りたい!』という思いを強く持ってはいましたが、実際に名前が呼ばれたとき、私は一瞬信じられなくて、涙がこぼれて止まりませんでした。これ以上ない高揚感を覚えながらステージに上り、世界中の人が私たちに拍手を向けてくれました。そこから見た景色は一生忘れることができません。

このISEFでの経験はとても刺激的で、間違いなく私の人生に大きな影響を与えてくれました。私はまだ科学に触れたばかりで、もっともっとこの面白い科学に携わっていきたいと思っています。このような大きな舞台で認められたことを自分の自信にして、今後も研究活動を続けていきます。今回のISEF2018で日本チームは過去最多の受賞者数でした。それは、日本や現地でのNSSの皆様、JSEC事務局の皆様をはじめとするスタッフの皆様のサポートのおかげだと思っています。また、ともに頑張ってきた日本チームのメンバーと交友関係を築くことができたことは、私の大きな財産になりました。このような素晴らしい経験をさせてくださったことに感謝しています。ありがとうございました。


岐阜県立岐阜高等学校 土田康太

“A Method Combining Geographic Information Systems and Environmental DNA Reveals Hidden Populations of the Endangered Japanese Clouded Salamander, Hynobius nebulosus.”

僕の人生を変える体験をこのISEFで味わえたのだと思います。JSECで賞を獲得し、ISEFに出場することができることが決まったとき、自分の中では嬉しさが半分、不安が半分でした。僕は英語が苦手でJSECよりも前に一度英語での発表を経験していましたが、その練習では原稿を覚えることができず、ただ辛いだけでした。JSECが終わった数週間後からアブストラクトやリサーチプラン、ポスター、プレゼン原稿など様々なものを作成しました。チームメンバーやNSS、英文校正など色々な支えで何とか事前準備を終えることができましたが、英語には本当に苦労しました。日々プレゼン練習、ネット英会話を行いましたがなかなか上達せず、このままでは審査どころかISEFのイベントでさえもまともに参加できないんじゃないかと出発前は不安でいっぱいでした。しかし、現地に到着するとその不安はなくなりました。まず初めにピンバッチ交換会で世界の高校生と交流を行い、自分の英語が伝わること、世界の人々と交流できることが楽しくてしかたがありませんでした。もちろん、不安を消してくれた理由には日本チームとしての結束も大きかったと思います。言語が違う国でトラブルだらけだったけど、みんなで支えあって、トラブルを乗り越えたからこそ全員で楽しんで審査に挑むことができましたのだと思います。審査の日、初めは緊張で押しつぶされそうでしたが、チームのみんなや通訳の方がリラックスさせてくれました。そのおかげで、審査員が来てからは言葉に困ることもなく、チームで支え合いながら楽しんでプレゼンや質疑応答ができました。自分の、チームの研究に対する情熱が異国の人に伝わっていくのが実感でき、本当にうれしかったです。審査の時間は一瞬で過ぎてしまったように感じるほどに充実し、悔いのない時間でした。翌日の特別賞の授賞式で日本チームの一員が呼ばれた時、自分の事のようにうれしく思いました。翌日の優秀賞の授賞式では、日本チームのメンバーが次々と呼ばれていくことに興奮する反面、自分たちが呼ばれないことに半ば絶望していました。4等の発表が終わったとき、JSECチームのうち5チームが受賞しており、賞がないのは僕たちのチームだけでした。3等でも自分たちの名前が呼ばれることは有りませんでした。これまでの努力してきたこと、ISEFの審査のときの事が走馬灯のように思い浮かび、今までやってきたことに悔いはない、必ず名前が呼ばれると心に信じました。2等の発表時、ついに自分たちの名前が呼ばれました。発狂するほどうれしく、壇上では終始、嬉し涙を流していました。英語が苦手な自分でも、自分たちの情熱を世界に轟かせることができるのだと思い、色々なものが込み上げてきました。ISEF前までは言語の壁が自分の前に大きく立ちふさがっていたように感していましたが、ISEF後では、たとえ言語が違っても自分の伝えたいという情熱があれば、思いは伝えられることが分かりました。さらに、世界中の人々と触れ合うことで自分の知らない世界が世の中にたくさんあるのだと知るました。ISEFが終わった今、自分の考え方ががらりと変わったとを実感しています。僕にとって、ISEFは人生を変えてくれる体験だったと思います。最後に、12年間カスミサンショウウオの保護を続けた生物部の先輩方、顧問の先生、英語の指導をしてくれた先生方、NSSの皆さん、JSECチームとして支えてくれた大人の方々、日本チームのみんな、JSECチームのみんな、そして何よりも研究チームメンバーのみんな、僕にこんな夢のような体験をさせてくれて本当に感謝しています。ありがとうございます。


岐阜県立岐阜高等学校 都竹優花

“A Method Combining Geographic Information Systems and Environmental DNA Reveals Hidden Populations of the Endangered Japanese Clouded Salamander, Hynobius nebulosus.”

 ISEFという素晴らしい大会に出られたことを心から嬉しく思います。人生を大きく変える強烈な体験となりました。そして、JSEC、JSSAの心強く楽しい仲間に会えたことや、今まで「部活動の研究」だったものが「希少生物を探す、保護するための画期的な科学技術」として世界に認めてもらい、動物部門で世界2位という結果を残せたことに感謝の気持ちでいっぱいです。何より自分の伝えたいことを全力で伝えるために奮闘したのは貴重な時間でした。私たちのした発表は、過去12年間の部活動の先輩方、そして30年以上カスミサンショウウオに関わっていらっしゃる顧問の先生の思いが詰まっています。そのため絶滅危惧種カスミサンショウウオの生息の現状や研究の魅力など伝えたいことは多くありました。しかし3月の研修会では、相手が何を言っているか聞き取れない、何を話すべきかまとまってない、だから英語もろくに話せない、と八方塞がりでした。言葉の壁より、言うべきこと、アピールポイントを絞り明確にすることが大事だと気付きました。4月の直前研修までには力がついていると実感したものの、本当に上手く話せるようになったのは5月の、本番直前の日々だったと思います。そして迎えた本番では、審査員の方と話しながら、この経験をもとにこれからどんな人とも仲間になれる、議論できると、言いたいことが相手に伝わる喜びを感じつつプレゼンが出来ました。しかし英語の聞き取りが最後までうまくできず後悔も残りました。話す、書くといった発信の力と同時に、相手の言いたいことを理解する力も鍛えていきたいと思います。また、現地では海外と日本とのギャップに感動しました。ISEFという大規模な催しをほぼボランティアで行ってしまうアメリカそのものや、実社会に即座に応用できるレベルの高い外国の高校生の研究に刺激を受けるとともに、自分自身や日本の課題を感じざるを得ませんでした。各国がいかに若者の科学技術によるイノベーションに期待しているか、海外の学生がいかに問題意識をもっているか、が比べ物にならなかったです。THINK BEYOND―ISEFのメインテーマです。私がこの大会で最も自分の想像を超えたのは、人が科学技術で世界を変える、新しい価値を生み出すのをこんなにも多くの人が祝福するのだとわかったことです。科学技術が歴史を造り、今を助け、未来を変えるという意義を身を持って実感できたことは価値のある経験となりました。今後もこの視点を持って科学技術と関わってゆき、功罪を見分けられる人間にならなければいけないと思いました。

JSECとISEF両大会では、部活の仲間や顧問の先生、英語科の先生に毎日発表の練習にお世話になりました。とても心強かったですし、力がつきました。NSSの皆様にはアブストラクト作成を始めとする充実したサポートをして頂きました。Google研修会は本当にわくわくしました。たくさんのご支援をいただいてあの場に立てました。本当にありがとうございます。最後に、今年度も1人でも多くの人がJSSAやJSECに参加し、2019年のISEFに出場出来ることを願っています。その時はぜひ目一杯楽しんでくださいね!


宮城県仙台第三高等学校 圓谷 修平

“Research and application of diethyl ether solution of Au(III)”

 私は第61回日本学生科学賞にて、旭化成賞を頂きISEFに派遣されました。英語を書けない、喋れない私にとってアメリカに行っても発表できるのかとても不安でした。しかし、NSSの方からお話を聞いてから、世界にはこんなに面白い大会があるんだと知り、不安よりも思い切って発表して楽しんできたいと思うようになりました。ISEF当日までの5ヶ月間はアブストラクト、リサーチプラン、ポスター作製、英語での発表練習などやらなければいけないことがたくさんあり、何回もくじけそうになりましたが、自分たちの研究をより良くするために、メンターの先生から英語の文章の書き方から単位の表記、グラフの書き方など事細かくご指導いただき、とても満足したものを仕上げることが出来ました。ISEFでは審査当日までに本当に研究発表しに来たのかと疑うほどたくさんのイベントが催されました。初日のピンバッジ交換会では色々な料理が出されていましたが、わき目もふらず、ピンバッジを交換するのに精いっぱいになってしまい、その夜はかなりお腹が減ってしいました。今となってはしっかり食べておけば良かったと後悔していますが、40~50個ほどのピンバッジを交換することが出来たので良かったです。2日目にはオープニングセレモニーがありました。過去のISEFのハイライト動画を何回も見ていたので、オープニングセレモニーの会場に入ったときに、自分もここに来ることができたと思い、とても感動しました。3日目のダンスイベントでは翌日が審査日なのにファイナリスト同士の盛り上がりようにとても驚きました。自分は、他の国のファイナリストとwiiをしたり、ホッケーやジェンガなどをして遊びました。また、この日は同じく日本の代表チームであるJSECの人とピッツバーグのレストランにて合同決起集会をしました。そこで食べたステーキはもう一回ピッツバーグに行って、食べたいと思うほど、とても美味しかったです。4日目はいよいよ審査日となりました。審査は約10人の審査員に対して質疑応答含めて各15分程度ずつ発表しました。日本での審査では厳格な雰囲気で行われるのに対し、ISEFでの発表ではとても和やかな雰囲気だったので、発表が始まるまではちゃんと発表できるかどうかとても緊張していましたが、楽しく発表することが出来ました。私が一番うれしかったことは審査員が「発表を聞くのを楽しみに来たんだよ」と言ってくれ、事前に審査員がポスターを見て、質問をたくさん書いたメモを見ながら色々と私たちに質問してくれたので、こんなにも自分の研究に興味を持ってくれたことがとてもよかったです。また、自分たちの研究の押しである、日本の伝統工芸品の「赤銅(しゃくどう)」の魅力を審査員に伝えることができ、とても満足した発表となりました。結果として賞をとることを目的としていたわけではありませんが、賞を取ることが出来なかったのでとても悔しいです。しかし、何よりも今回は同じ日本代表のメンバーだけでなく、他の国のファイナリストと交流できたことが、人生においての最大の財産となりました。最後にISEF出場するにあたって読売新聞はじめ、お忙しい中ご指導いただいたメンターの先生、Google研修などを通じてご指導いただいたNSSの方には感謝の気持ちでいっぱいです。ISEFでの体験を通して、多くのことを学ぶことが出来ました。この経験を今後の活動に生かしていきたいと思います。


宮城県仙台第三高等学校 永田 紘規

“Research and application of diethyl ether solution of Au(III)”
 今回自分たち三人は約一週間の間アメリカに滞在し、ISEFで海外の教授方や学生を相手に部活動として約二年間進めてきた金メッキの研究について研究発表をするという大変貴重な体験をさせていただいた。その感想文を書くということで、主にISEF出場が決定してから実際に渡米するまでの感想について書かせていただこうと思う。
まずISEF出場が決定した昨年の読売日本学生科学賞の前後にまで話は遡る。実は仙台第三高等学校 自然科学部 化学班では既に四年前、当時二年生だった門口尚広先輩が自分たちとはまた別の研究でISEFに出場している。それもたった一人で、である。そのようなこともあるので、読売日本学生科学賞の県審査を経て中央審査での発表が決まると、自分たち自身では表上ISEF出場を意識していないと言ってもやはり語らず言われず本校二度目のISEF出場を期待されたのは当然のことだったと思うし、また自分も含めて三人の間でも無意識のうちにISEF推薦がひそかな目標となっていたのも事実である。そうして無意識のうちに強いプレッシャーというか、切羽詰ったような空気を感じながら中央審査にむけて毎日ポスター製作と発表練習、質問練習をしていたと記憶している。やはりそういう見えないプレッシャーもあったのか、中央審査の一日目の夜には体の調子がおかしくなって眠れなかったりもした。もともと外泊慣れしていないこともあったと思う。発表自体は思っていたよりも順調に進んだので、何とか中央審査の最終日まで持ちこたえることができた。ただ、このときから特に普段から胃の調子が悪くなることが増えて結局これはISEF本番まで引きずることになった。終わった今からすればよいダイエットになったと思う。発表自体は順調に進んだと書いたが、これはあくまで審査員の教授方が思っていたよりもお手柔らかに接してくれて質問につまずくことも特に無かったというだけで、実際にどのように評価されているのかについては最終日の受賞式を迎えるまで三人ともよく分からないというのが正直なところであった。授賞式で旭化成賞の受賞を聞いた時、受賞できたという安堵感で一気に肩の力が抜けたのを覚えている。同時にISEF出場に推薦されることは無いだろうとも思ったからである。自分達はてっきり大臣賞でもとらない限りISEF出場に推薦されることは無いのだろうと思っていた。なので授賞式の終盤でISEF出場推薦校に仙台三高が呼ばれた時は自分も含めて激しく動揺したというか、意表を突かれて殆どうろたえる様であった。三人とも真っ青な顔をしていた。勘違いすること無かれ。もちろん、ISEFに出場すること自体が嫌で青くなったわけではない。予想していなかったISEF推薦への驚きと不安によるものであった。本校二度目のISEF出場を期待され、自分達でもひそかに目標にしていたとは書いたものの、いざ出場決定となるとやはり英語だとか、アメリカに一週間も行くのだとか、親の理解だとか、費用のことだとか、いろいろな不安要素が頭をよぎって自分達を青くさせてしまうのだった。先生方には、普通はISEFに出場できるとなったらどんな生徒も大喜びするものだと言われたが、今思うと自分達三人は少し心配性になりすぎていたと思う。読売日本学生科学賞の授賞式が閉会した後、ISEF出場に推薦された研究グループだけで集まってISEFで研究発表するに当たってご指導くださる教授の方々と面会し、今後の研修の予定などを読売の担当者から聞いた。自分達三人には東京大学名誉教授の下井守先生がメンターとしてご指導してくださることになった。下井先生には何から何まで本当にお世話になった。下井先生は門口先輩のメンターもされていたという事で、こちらに合わせてくださりつつISEFへの準備がスムーズに進むようにサポートしていただいた。年齢からはとても想像できないほどパワフルな方で、夜中でも自分達が書いたリサーチプランやアブストラクトを丁寧に添削して返信してくださったのだった。最初に面会した十二月から渡米した五月までほぼ毎日のようにメールのやり取りをして添削していただいたおかげで提出書類やポスターなどについては順調に事が進んだ。下井先生にはいくら感謝してもしきれない。問題は自分の体調のほうであった。今となっては笑い話なのだが、読売日本学生科学賞が終わってから、頻繁に胃の調子が悪くなるようになってしまった。元来自分は胃は強いほうで、運動部員ほどではないがしっかり食べるほうであったし早食いの癖もあったから、胃の調子が悪くなるのには本当に体力的にも精神的にも疲れてしまった。ISEFのための国内研修会などでホテルに泊まるときが特に悪くなりやすかった。心配性で常にISEFに対するなんともいえない不安を感じていたというのと、ホテルに泊まること自体に余り慣れていなかったというのもあったと思う。三月のGogle研修のときなどは数日前からあまりにひどい胸焼けで食べることも寝ることもできなくなり他の二人には迷惑をかけてしまった。結局それから二週間ほどは本当に少量のお粥しかのどを通らなくなってしまった。五月に渡米するころには五キロほどやせていた。五月に渡米したときも胃には気を使っていたが、案外体調を崩すことも無く健康な状態で帰ってくることができた。今では胃の調子も殆ど治った。体重もそのうち戻るであろう。

今回のISEF出場では勿論現地でも一週間の間に多くのことを知り学ぶことができたが、自分としてはISEF出場が決まってからの約五ヶ月間の間にも本当に多くのことを学び成長することができた。この経験をうまく生かしていきたいと考えている。


岐阜工業高等専門学校 長野雅

“Traditional Five-Story Pagoda: Experimental Analysis Using Home-Brew Seismic Generator.”

「Intel ISEF、終わってしまった。」・・・私が、日本に帰ってきて最初に思ったことです。
なぜなら、私の人生の宝物となる経験がISEFの一週間でできたからです。Intel ISEFは、ピンバッジ交換会から始まり、オープニングセレモニー、ダンスパーティー、審査会、ウェルカムイベント、一般公開、そして、表彰式と毎日が盛りだくさんでした。ピンバッジ交換会では、様々な国のファイナリストが笑顔で話しかけてくれました。最初は、そんな状況に圧倒され、おどおどしてしまいましたが、慣れてくると自分から話しかけに行くこともできました。最後に話しかけた男の子には、「ダンス教えるから、一緒に動画撮ろう」と言われ、変わったダンスの動画を撮りました。これは後々知ったことですが、その動画はYou Tubeに投稿されていました。今、思い出しても笑ってしまうような、最高の思い出です。審査会では、緊張により自分のプレゼンテーションですら詰まってしまい、質疑応答では通訳さんを頼りきってしまいました。それでも、審査員の方々は、熱心に私の研究について知ろうとしてくれました。そんな時、私は「もっと自分の言葉で伝えられるようになりたい。」と、心の底から思いました。一般公開では、私の研究を様々な国の人たちが足を止めて見てくれました。通訳さんがいない中、英語での質疑応答に苦労しましたが、言い方を変えて話してもらえたり、私が言いたいことが伝わりコミュニケーションができたときはとても嬉しく、自信につながりました。結果的に、私は賞をいただくことができず、悔しさが残っています。しかし、ISEFでの経験は、「悔しさ」「苦しさ」「嬉しさ」「楽しさ」全て含めて、宝物となりました。
最高のIntel ISEF 2018を経験できた私ですが、出場が決まったときは、うれしさはなく、不安しか持っていませんでした。なぜなら、3年前に姉がISEFに派遣されており、その時の準備の過程を見ていて苦労していた記憶が残っていたからです。そんな不安の中でAbstractやResearch planの作成が始まり、ポスター作成、発表練習、質疑応答練習と進んでいく中で、不安よりもやりがいを感じるようになりました。今では、やりがいを感じることの楽しさを、頑張ることで感じられるようになりました。最後に、このような経験をしていく上でサポートしていただいた読売新聞社事務局の皆様、学校の先生、メンターの先生、NSSスタッフの 皆様、ファイナリストの方々、本当にありがとうございました。


熊本県立宇土高等学校 成松紀佳

“Whether Insects See Anomalous Images Located Near a Lens or Not? Verification of Lens Equations for Anomalous Images and Application of the Simple Eye of an Insect”

 「今回のISEFでの経験は、間違いなく私の将来を変える」 ISEFを終えて日本に帰ってきてから何度もこう思いました。このように断言できるくらい、ピッツバーグで過ごした1週間は私にとって忘れられないものになりました。
9月のある日の放課後、私たちは物理室で普段どおりに科学部の活動をしていました。すると顧問の先生が突然 「この研究をアメリカで発表できるかもしれないぞ」 と一言。「アメリカ」という言葉に、ただただ興味が湧き、私たち3人は「第15回高校生科学技術チャレンジ(JSEC)」に応募することを決めました。12月に東京の日本未来科学館で行われたJSEC本審査は生徒と教授陣だけの空間で、ポスターを使いながら研究発表を行いました。1コマ15分という限られた審査時間の中で、いかに自分たちの研究の魅力を伝えるか。説明ではなく審査員との議論が中心となる15分を、いかに活用するか。研究メンバーの3人で、これらの点を何度も練習しました。本審査当日の1コマ15分は、本当にあっという間で自分たちの研究は本当に伝わっているのかと不安になることもありましたが、3人でチームワークよく発表できたと思います。表彰式の日、特別協賛社賞で自分たちの名前が呼ばれ、日本代表に選出していただいたときは、アメリカで発表することができるという漠然とした喜びを感じていました。そのような中で、本当に英語で発表ができるのかという不安があったのも確かです。しかし、派遣までの5か月間で、私は今まで以上に自分たちの研究と向き合うことができたと思います。表彰式から数日後、正式に日本代表となったことが書かれたメールが届き、本格的にアブストラクト・リサーチプラン・ポスターを作り始めました。特にISEF用の英語ポスター作りに大変苦労しました。日本の大会でのポスター発表においては、写真やグラフを多用して視覚的に表現する部分が普通ですが、ISEFは文章で可能な限り伝えるという形式で、論文を書いているような感じでした。そのような根本的な違いに戸惑う部分がありましたが、そのぶん完成した時の達成感は格別でした。ポスターが完成してからは、英語でのショートプレゼンテーションと、想定質問の練習を何度も繰り返しました。英語での発表練習を積み重ねるなかで、早く発表したい!新しいことに挑戦したい!と日々思うようになりました。

気づけばあっという間に出国の5月12日を迎え、大きな期待と僅かな不安を胸にISEFの会場へ向かいました。「飛行機が飛ばない⁉」 「事前に送ったポスターが届かない⁉」 初日からハプニング続出のアメリカ旅が始まりました。到着した日、他国のファイナリストと自国のピンバッチを交換するパーティーに参加しました。周りには多国籍な生徒がたくさんいて、自分が日本代表としてこの大会に参加しているということを改めて認識しました。2日目からはポスターの設置と展示の審査等を受け、ほかの日本代表メンバーと共に本番と同じ環境で練習を繰り返しました。日本とは比べ物にならない会場のスケールや、他国代表生徒の積極性に圧倒され、驚きの連続でしたが、審査では日本での練習の成果を発揮できるように、チームメンバーと共に15分の審査を15回ほど受けました。「3人全員で臨む」という姿勢で全員がすべての質問にこたえられるようにし、なんとか終日の審査を終えることができました。正直、発表に必死で、審査当日のことはあまり覚えていません。でも緊張よりも楽しかったという印象が残っています。2日後の表彰式で、物理学・天文学部門の4位のアナウンスで、自分たちのチームが呼ばれ、ステージに立った時、本当に言葉にできないほどの感動がこみ上げてきました。半年前までは、本当に未知だった「世界という舞台」で、自分たちの研究が評価されたということは、本当に自分の自信につながりました。また今回の経験は、自分の進路選択をより明確にもしてくれました。もうこれほど自分の人生観を変えるような経験はないかもしれません。それくらい夢のような体験でした。

最後になりましたが、アブストラクトからポスター作製まで、何もわからない私たちに0から教えてくださったNSSの皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。


埼玉県立坂戸高等学校 濱野柊歩

“Development and Performance Evaluation of a New Type of Mg-air-battery for Emergency: The Teabag Model”

 ISEF派遣者として自分の名前が呼ばれたときは、驚きや不安もありましたが、同時にワクワクした気持ちになりました。それは、まだ一度も日本の外から出たことがなかったからというのもありますが、他の国の高校生で同じような研究をしている人とコミュニケーションがとれることへの期待が大きかったのだと思います。しかし、自分はもともと英語が得意な方ではなく、事前書類も発表もすべて英語で行われるISEFに出場するにあたって、それは最も大きな障害となりました。事前に3回ほど行われた研修会では、英語の難しさに何度もくじけそうになり、それでも諦めずひたすらに発表練習を行いました。また、日本の他のファイナリストの方たちとともに努力を共有することで、日本代表として出場者間の結束が強くなっていったのを感じました。そして、5月13日から20日にかけてアメリカ、ピッツバーグにてそれまでの努力を全て出し切るつもりでISEFに参加しました。審査は4日目に行われ、それまでは発表練習をしながら夜はオープニングセレモニー、ダンスパーティーなどのイベントが行われ、そこで多くの他国の高校生とコミュニケーションをとりました。その時間は非常に楽しく、充実していて忘れられないものでした。しかし、審査会当日、通訳の方はついてくれるのですが、必ずしも日本語がうまくしゃべれるとは限らず、実際に僕は10回審査があったうち8回は外国人の方で、そのこともあり、審査員の質問の意図が最後まで分からなかったり、質問に対する回答を通訳する際に細かいニュアンスが変わってしまったりし、非常に悔しい思いをしました。そしてその経験から、自分の口で自分の言葉で発表をし、細かいニュアンスも含めて、自分の満足のいくように考えていることを余すことなく伝えたいという気持ちが生まれました。そのためには、英語などの基礎的な能力をしっかりと身に着ける必要があり、現在英語学習、特にリスニングとスピーキングの分野へのモチベーションが上がっています。ISEFは自分のこれからの学習に対する心構え、向き合い方を大きく変えてくれるような大きな転機であり、そして僕の人生を変えたといっても過言ではないと思います。そしてまたこれから大学に進学し、学習と研究を継続し、またいずれ国際的な学会に参加して今度は自分の言葉で自分の研究を発表したいです。

最後に、本研究にあたりご指導をいただいた先生方やNSSの方々に心より感謝いたします。ありがとうございました。


山口県立山口高等学校 村本剛毅

“Dynamics of bubble-ring -a mechanism which realizes high stability and efficient energy transfer-”

 ”Exciting and regret.” 会場を出る直前、現地の警備員にISEFの印象を聞かれ、私はこの二つを選びました。とっさの答えではありましたが、数週間経った今じっくり考えてみても、やはりここに尽きるのかなと思います。私の当初の研究環境は、客観的にはすこぶる良いと言えるものではありませんでした。SSHの学校や私立高とは違い、使えるコストは少なく、学校の時間の多くを管弦楽部に費やしていた私にとって、メインの作業時間は夜でした。でもそれは初めての本格的な研究としては十分な環境で、ガラクタで作った解析装置が魅力的なデータを示したときには不思議な満足を得られましたし、先生は遅くまで場所を貸してくださいました。研究チームではないのに首を突っ込んでくれるクラスメイト達は皆アイデアマンで、中には相談すれば何時間も一緒に頭を悩ましてくれる友達もいました。ふとしたすきに顔を出す発見、少しずつ輪郭が見えてくる理論モデル。私はだんだんと研究のワクワクを知っていきました。しばらく研究を続け、学生科学賞を終えると、ISEFへの派遣が決まりました。環境はガラッと変わり、いわゆる客観的にもすこぶるよいものになりました。特に大きかったのは、メンターの教授方をはじめとする、分野の第一線で活躍する人たちとのやりとりです。一度疑問やアイデアを共有すればすぐに様々な鋭い意見や指摘が手元に届き、プランを相談すれば次の日には実験の日程が決まりました。経験したことのない、なんとも心地よい速度でした。そして、アメリカ入国。そこからはもうワクワクとは訳せないような、冴えた興奮を感じました。カラフルでエネルギー溢れる各国のファイナリスト、ユーモアで知的な主催者のスピーチ。私は日本で、科学コンテストの結果発表を盛り上げるDJも、壇上でダンスする代表者もみたことがありません。目に入る光景全てに心踊りました。そのなかでもやはり審査当日は抜けていました。もし「単位面積当たりのアイデアの数」なんて指標があったら、あの会場はあの瞬間、世界でトップの数字を叩き出していたことと思います。私は自分もその濃い密度の一部になろうと、自信のない英語をこねくり回しせいいっぱい今まで見つけた面白いたくさんのことを自慢しました。

しかし、こんなに大きな興奮に並んで居座っているのが、regret, 悔しさの方です。私は結局賞を得ることが出来ませんでした。悔しかったです。自信こそあれ、賞を逃すことが想定になかったわけではありませんが、こうも自分が悔しがるとは思いませんでした。もちろん仲間の受賞は自分のことのように嬉しく誇らしさもこみ上げましたが、発表が全て終わると、事務的な誤解でチャンスを逃したスペシャルアワードのこと、発表練習の不足、チームメイトへ内容を共有できていなかったこと、いろいろなことが次々に思い出されました。出来たことは山ほどありました。 展示ブースの片付けをしに戻った審査会場で印象に残る光景がありました。まさに自分と同じような顔をしてそれぞれのポスターを眺めていた数人のファイナリストの姿です。そんな光景に慰められるなんて性格の悪い話ですが、私はなんというか、自分の興味に本気になり、そして何より自信を持っている人がこんなにもいるということが、ただ嬉しかったです。私は自分の悔しさを少し愛おしく感じ、またこういう場所でこういう人たちと何かをしたいなと強く思いました。

残念ながら私は年齢的にもう一度ISEFに出ることはかないません。でも、今回の経験は将来にとってきっと大切な意味をもちますし、この経験が意味を持たないつまらない将来は迎えないようにしようと思わせてくれました。次は研究者としてではないかもしれませんが、かならず何かの立場で国際舞台に挑戦するつもりです。最後になりましたが、このような素敵な体験ができたのは、様々な面でサポートしていただいた読売新聞社の方々、NSSスタッフの先輩方、ご指導いただいた各大学の先生方、多大な支援していただいた高校の方々、そしてファイナリスト、クラスメイト、たくさんの方のご援助の賜物です。心より感謝しております。ありがとうございました。


山口県立山口高等学校 山本航平

“Dynamics of bubble-ring -a mechanism which realizes high stability and efficient energy transfer-”

 正直、自分がこの「バブルリングの研究」を始めたのは本当になんとなくです。先生から3つくらいテーマを出されて、その中では1番面白そうだから自分はこれにしよう、ということでバブルリングを選びました。そんなきっかけだけを考えると、この研究を世界の舞台で、高いレベルで発表できたことは今でも夢のようです。しかし、研究を始めて、だんだんとバブルリングの美しさと不思議さに惹かれていきました。何度も夜遅くまで研究していましたが、つらさよりもバブルリングを研究していて楽しいと思う気持ちの方が大きかったです。特に、できないと思っていた事がちょっとした発想の転換で、できるようになったときの喜びは今でも忘れることはできません。グループのみんなとは、研究を始めた時から、この研究はアメリカへ行く、世界を目指すと話しながらやってきました。先輩方が竹とんぼの研究でISEFへ派遣されていたので、それ以上の研究にしようという思いを持ってやってきました。だからこそ、ISEFへの派遣が決定したとき、これだけ楽しんでやってきた研究で、さらに世界で発表したいという夢も叶えられて、この上ない喜びを感じたのを覚えています。そして今、学生科学賞の後、メンターの先生に協力していただき何倍も内容の濃くなった研究を、世界の多くの人に知ってもらえたこと、世界の科学者と議論できたことに、非常に大きな満足感を得ています。ISEFで過ごした1週間は、何もかもが新鮮で刺激的でした。パーティーやセレモニーのやり方、他の国の人のコミュニケーションの取り方など、日本とはまったく違いました。たくさんの国の人々と会話して、写真を撮って、本当に楽しく充実した時間を過ごすことができました。自分はピンバッチ交換会であるキャラクターの着ぐるみを来て参加しましたが、そのキャラクターの認知度が100%だったので驚きました。日本のアニメが好き、日本に来たことがあって素晴らしい所だったと話すファイナリストもいて、日本は世界から愛されているなと感じました。今回、唯一の心残りはもっと英語で話せるようになっておけば良かったということです。相手の言葉の意味を間違えて捉えてしまったり、自分の言いたいことが上手く伝わらなかったりすることがありました。自分の英語の力は実際に会話してみないとよく分かりません。その点でISEFは非常に良い経験になり、もっと英語を勉強しなければいけないと強く感じました。周りのファイナリストの研究は素晴らしいものばかりでした。研究内容や展示されているものが自分の想像を遥かに超えていて驚きました。「世界は広いな」「世界にはこんなにもすごい人達がいるんだ」というのがいちばんの印象です。将来、ISEFで出会った人となら世界を変えれるのではないか、世界を変えてみたい、と思いました。

最後に、バブルリング班のみんなへ。みんなの支えられてここまでやってくることができました。このグループのメンバーで研究できて、すごく楽しかったです。共同研究のチームワークとしては世界一だったと思っています。本当にありがとう。そして、メンターの先生、学校の先生、ファイナリストの皆さん、読売新聞社、NSSの方々、通訳さんなど、すべての人に心から感謝しています。ISEFでの経験は一生の宝物です。本当にありがとうございました。


滋賀県立彦根東高等学校 横濱湧太

“Extension of Soddy’s Hexlet: Number of Spheres Generated by Nested Hexlets”

 JSECで朝日新聞社賞を頂き、ISEFに出場することになったときはすごく嬉しくアメリカに行くのが楽しみでした。しかし、研究内容を英語にしていくのは難しく英語が得意というわけでもなかったので、徐々に「本当に英語で発表できるのだろうか。」という不安がとても大きくなっていきました。また、数学の分野の研究で日本からISEFに出場した研究は少なく、参考になる研究が少なかったことも不安要素になりました。しかし、ISEF本番で僕らは自信を持って発表することができました。それには2つの理由があります。

1つ目の理由は何度も何度も英語の発表を練習したからです。まず3分間プレゼンテーションの原稿の暗記を完璧にして、次にプレゼンテーションに加えて質疑応答の練習をしました。質疑応答の練習では、3分間のプレゼンテーションを顧問の先生や学校の英語の先生に聞いてもらい、先生方からの質問に英語で答えました。その後、先生方から英語のアドバイス、プレゼンテーションのアドバイスを頂きました。この練習を放課後の部活で何度も何度も繰り返した結果、3分間プレゼンテーションを最初の時とは比べものにならない程できるようになり、予想質問とその応答もいくつかできるようになりました。ISEF本番の時も、先生方から受けたのと同じ質問があり、自信を持って答えることができました。このようにISEFを通じて、事前に徹底した練習を行うことが本番でどれほど役に立つかを学びました。この練習がなければ、決して受賞していなかったと確信しています。2つ目の理由は、自分達の研究の強みを理解していからです。つまり、自分達の研究のどこが1番知って欲しい内容であるかを把握し、そこを強調することができたということです。これはプレゼンテーションの練習の時に先生方から何度か頂いたアドバイスです。僕達の研究は数学的な美しさ・面白さを多く含む研究です。その一方で、日常生活にどのように役立つかなどといった実用性の質問に関しては、最後まで良い答えを考えることができませんでした。だから僕達は発表の中で、実用性ではなく、自分達の研究を数学的に美しい、面白いと感じてもらえるように心がけました。何を伝えたいかがはっきりしていると、プレゼンテーションや質疑応答を明確な目的を持ってすることができました。実際のISEFの審査で、何人もの審査員が僕達の研究に「This is very interesting!」や「Beautiful !」と言って笑顔になってくれました。僕らの研究の面白さが伝わったとわかったその瞬間は、今でもずっと印象に残っています。

最後に、これまで助けて頂いた多くの人に本当に本当に感謝します。僕達3人だけではISEFに出場すること、ましてや賞をいただくことなど決してできませんでした。先輩、顧問の先生、発表練習に付き合って下さった先生方をはじめ、NSSの方々、研修会などで出会った方々、通訳さん、アメリカへの旅でお世話になった方々、今回ISEF2018にファイナリストとして一緒に出場した皆さんなど、本当に多くの人に出会い、助けて頂きました。この感謝の気持ちを忘れないことが僕らの義務だと思っています。本当にありがとうございました。

 


Intel ISEFニュースレター 2018 No.19
■ 発行: NPO法人 日本サイエンスサービス nss.or.jp
■ 発行日: 2018年10月10日
■ 撮影: 久保裕亮 (日本サイエンスサービス)
■ 編集: 久保裕亮 (日本サイエンスサービス)
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