2019年 9月 25日
撮影・編集・発行: 日本サイエンスサービス

2019年のインテル国際学生科学技術フェア (Intel ISEF: Intel International Science and Engineering Fair) には、世界80の国と地域の約700万人から、それぞれの予選を勝ち抜いた1842名の高校生(9-12grade)たちが科学技術分野での研究の頂点を目指して集まりました。半世紀以上続く世界最大の高校生向けコンテストIntel ISEFのレベルは非常に高く、大学院生や研究者と肩を並べるような研究成果の数々が出品されます。今年はそれぞれの研究分野に応じた22カテゴリ用意され、ファイナリストは研究結果のみならず社会や学術分野へのインパクトを強調して、審査員や参加者に発表を行っていました。本年の開催地はアリゾナ州フェニックスで、2019年5月12日から17日にかけて大会が行われました。また、期間中は科学技術研究の審査会だけではなく、国際交流イベントも多く催されました。日本からは、日本学生科学賞(JSSA)と高校生科学技術チャレンジ(JSEC)において優秀な成績を収めた12プロジェクト21名が日本代表として参加しました。

今年は、日本代表から4プロジェクトが計6つの賞を受賞しました。

部門ごとに共通の審査基準で審査される優秀賞(Grand Award)では、

静岡県立掛川西高等学校3年の岡本優真さん、塚本颯さんが動物科学部門の優秀賞 2等を受賞しました。研究タイトルは「Bird Environmental DNA from the Air」(空中環境DNAを使った鳥類調査法の確立をめざして)です。

また、米子工業高等専門学校4年の田中泰斗さんが材料科学部門の優秀賞 3等を受賞しました。研究タイトルは「Development of the Gypsum Board Materials Containing Eggshell Aiming at the Solution of Sick Building Syndrome」(シックハウス症候群解消を目指した卵殻の機能導入型建材の開発)です。

さらに、長崎県立長崎西高等学校3年の玉田結唯さん、宮崎文那さん、日南瑶さんが動物科学部門の優秀賞 4等を受賞しました。研究タイトルは「Novel Subtle Acoustic Communication: Successful Elucidation of the Cryptic Ecology of Runner Plant Bugs (Hallodapus spp.) with Emphasis on Their Stridulatory Mechanisms」(謎に満ちた地表徘徊性ハシリカスミカメムシ類の生態(とくに発音と闘争)を解明 そして飼育技術を開発したサクセスストーリー)です。

3プロジェクトが受賞した部門優秀賞は、全研究のうち上位約25%の優れた研究にのみ与えられるものです。また、MIT Lincoln Laboratory Ceres Connectionプログラムにより、今回優秀賞2等を受賞した3名のファイナリストの名前が小惑星につけられる予定です。

授与団体ごとの独自の審査基準で選考される特別賞(Special Award)では、

静岡県立掛川西高等学校3年の岡本優真さん、塚本颯さんが「アリゾナ大学賞」を受賞し、日本代表として初の大学奨学金受賞という快挙となりました。

また、長崎県立長崎西高等学校3年の玉田結唯さん、宮崎文那さん、日南瑶さんが「アメリカ音響学会賞1等」を受賞しました。

さらに、長野県松本深志高等学校3年の上条藍悠さんが“Long-term visual monitoring revealed importance of sea wind in causing sudden showers in Japanese mountain basin”(北アルプスが夕立に及ぼす影響) というテーマで「アメリカ気象学会賞3等」を受賞しました。

また、最高賞に当たるゴードン・ムーア賞(Gordon E. Moore Award)は

米国代表のKrithik Ramesさんによる「Utilizing Computer Vision and Machine Learning Systems to Develop a Live Time Navigational and Surgical Aid for Spinal Reconstructions (コンピュータービジョンと機械学習システムを使った背骨再建のためのリアルタイムで稼働する外科手術ナビゲーション補助器具の開発)」が、次点にあたるインテル青年科学者賞(Intel Foundation Young Scientist Award)には、米国代表のAllison Sihan Jiaさんによる「Modeling Neurodegeneration in vitro: A Dynamic Study of Tau in a Microfluidic Chamber System via Quantum Dot Labeling (In vitro神経変性のモデル化:量子ドットラベリングを用いたマイクロ流体チャンバーにおけるタウタンパク質の動的研究)」と、同じく米国代表のRachel M. Seeveさんによる「Bioinspired Submersible Dual Propulsion System: A Novel Approach to Ultra-Efficient Submarine Propulsion Utilizing Starting and Stopping Vortex Rings Mirroring Jellyfish Motion (生物模倣による潜水用二重推進システム: クラゲの運動時にできる進行・停止の渦輪を利用した高効率な潜水艦の推進システムに対する新しいアプローチ)」が選ばれました。

日本サイエンスサービス(NSS)による日本代表支援

日本サイエンスサービスは、主にIntel ISEF出場者OB・OGによって構成され、そのスタッフがIntel ISEF日本代表に対する様々なサポートを行っています。多くの高校生にとって、海外での英語発表は経験したことのないものであり、また米国での研究発表の常識やルールは日本とは大きく異なります。そのため、せっかく良い研究内容であっても、単に実験結果や発表原稿を英訳しただけのものでは評価してもらえないことが往々にしてあります。長年、Intel ISEFファイナリストのサポートに関わってきた日本サイエンスサービスでは、このような日本での研究発表とIntel ISEFでのギャップを埋め、Intel ISEFで最大限活躍してもらえるようなノウハウや情報を提供しています。2019年は、日本学生科学賞の1月及び3月の事前研修会へのスタッフ派遣、JSECでのアブストラクトやリサーチプランといった事前提出書類・ポスター等の作成サポート、3月にグーグル合同会社(東京・六本木ヒルズ)にて行われた日本代表向けの全体研修会の主催、4月の直前研修会へのスタッフ派遣、Intel ISEF2019フェニックス大会へのプレススタッフ派遣、最新Intel ISEF国際ルールへの翻訳対応等を行いました。

3月26日から28日にかけて、グーグル合同会社(東京・六本木ヒルズ)にて開催した合宿形式の研修会では、ファイナリスト21名、日本サイエンスサービス(NSS)から21名のボランティアスタッフが参加しました。研修前半では、審査形式の確認、効果的なポスター作製とプレゼンテーション方法についての説明を受けた後、NSSスタッフとともに研究の骨子を再構築する作業を行い、正確にわかりやすく伝えるための土台作りをしました。研修後半では、さらにネイティブトレーナーを交えて、2分間の発表の原稿作成や発表練習、質疑応答などの実践的な対策を行いました。Intel ISEFの審査は英語によるディスカッションが重要なため、全体を通して質疑応答などのコミュニケーションの練習を重視した研修となりました。この研修会を通して各プロジェクトが渡米までに克服すべき課題を明確にすることができたようです。

また、日本サイエンスサービスでは、毎年現地にスタッフを派遣し、ファイナリストの撮影を中心とした取材および広報活動やファイナリストの発表をサポートしています。撮影したファイナリストの写真は、新聞やテレビといった各報道機関でご利用いただいています。現地では、TwitterなどのSNSによるリアルタイムの情報配信を行い、1日のまとめをISEF.jpに掲載しました。本年は、プレススタッフとして2015年ファイナリストの久保裕亮を派遣しました。


Intel ISEF2018体験記

Intel ISEF 2018ピッツバーグ大会に参加した12プロジェクト23名の高校生から、米国での体験や感想をいただきました。研究や準備での苦労や、本番での悔しい思いもあったようですが、Intel ISEFが人生を変えるような素晴らしい体験になったと多くのファイナリストが語ってくれました。この体験記を通して、実際に参加したからこそ分かるIntel ISEFでの興奮や熱気を少しでも感じていただければと思います。また、来年以降Intel ISEFに参加したいと思っている中学生や高校生の方にとっては、参考やヒントになる意見もたくさんあるのでぜひご覧ください。


明蓬館高等学校 石山 翔雲

“Extension of the disease detection method of lung using deep learning with visualization”

第63回日本学生科学賞高校生の部で内閣総理大臣賞を戴いた「深層学習を用いた肺の異常検知」という研究は2ヶ月に満たない研究期間で行いました。
この研究の一番のきっかけとなった祖父は、僕が中学生の頃に癌が見つかりました。その後、再発も無く、穏やかな日々に家族皆で安心し始めていた頃に、肺への転移が見つかり、余命半年の宣告を受けました。
この研究の中では、NIH(アメリカ国立衛生研究所)のオープンデータを使用しています。そして、システムの正確性を調べる部分で、祖父の肺のレントゲン写真も使用しています。
生前の祖父に「私のデータを全て渡すように手配するから。それらを使って、研究を進めなさい。研究を楽しみ、自分の道を行きなさい。」と託された祖父の命の証です。
9月に入ってから本格的に研究を始め、祖父の死、葬儀を挟んで、なんとか〆切ギリギリに応募できた研究です。
研究そのものは、僕としてはなかなか納得がいかず、結局〆切の直前までプログラムの変更やデータ数の増加などをし続け、論文の執筆時間は3日ほどでした。
今考えると、練りが足らない論文を、本当に良く拾い上げて下さったなと、冷や汗が出る思いです。

メンターをして下さった先生は、とにかく、僕の自主性を重んじてくださいました。また、先生から、研究者の研究にかける情熱と、最後の瞬間まで諦めない姿勢を見ることで、多くのことを勉強させて戴いたと感じています。

僕の場合は、5月のPosterデータの提出ギリギリ迄、新しいプログラムやデータの分析などの研究を継続し、それを盛り込んでいったので、日本学生科学賞受賞時よりもかなり先に進めた研究となりました。それに伴い、日本学生科学賞応募時に書いた論文やAbstractは、ほぼ参考にはならない状態となりました。
ISEFへの準備は、Abstract・ResearchPlan・Posterそれぞれの提出期限を目標としながら、調べる・書く・修正・研究をどんどん進めるという方法をとりました。この期間中に、メンターの先生と交わしたメールは軽く200通を超えました。

先生には、渡米直前までお世話になりました。
僕が本格的にスピーチ原稿と質疑応答をいじり始めたのが5月の連休直前でした。新年度が始まってお忙しい時期にも関わらず、メールをお出しすると吃驚するくらい早くお返事を下さいました。今考えると、先生には、本当にご負担をお掛けしてしまったと思います。
渡米してから、ピンバッチ交換会の写真と共にメールをお出ししたところ、「腹をくくって、というところが特にいいですね。ここまで来たらやるしかないです。」と本番直前までメンタルケアをして下さいました。
先生の激励が効いたのか、本番は全く緊張も無く、事前に、通訳の方と詳しく打ち合わせをしていたお陰も有りスムーズな審査だったと思います。
僕のブースには6名の審査員が来ましたが、そのうち2名しか僕の分野が判る審査員がいませんでした。ロボット工学・知能機械部門は、大変範囲が広い為、僕の分野の専門家はほぼいないという話を予め聞いていましたので、想定内ではありました。
2名の審査員とは、かなり深い話をして、渡米直前に見つけた発見についても色々とディスカッションできたのが収穫でした。
他国のファイナリストとは、色々と情報交換をし、人工知能を使った仕事のスカウトを受けました。審査以外でも収穫が大きかったように思います。
僕自身は、日常の英会話は破滅的に出来ません。しかし、プログラムを書く事や専門用語を使用する事も有り、同じ分野の非英語圏の他国のファイナリストと研究について話す分には、お互いに問題は無いらしいとわかり、英語が得意でないもの同士ホッとしあったのは楽しい思い出となりました。
これからISEFへ行かれる方は、グーグル翻訳も使えるし、通訳の方もいるから大丈夫、なんとかなる、とおおらかな気持ちで渡米して下さい。
僕にとっては、メンターの先生の「ここまで来たらやるしかないです。」というアドバイスが光りました。

「英語だろうと、日本語だろうと構わないんだ。通訳を使おうと、グーグルを使ってもいいんだ。大事なのは、君は、君の研究のエキスパートであるということをどれだけ主張して、証明するかなんだよ。」
これは、ISEFのとあるボランティアの方に言われた一言です。
この一言がISEFでの研究発表の全てを物語っていると僕は思います。

最後に。
ピンバッチ交換会やミキシングイベントなどの「審査以外のISEF」も、これからISEFに参加する方は是非楽しんで下さい。
こちらも「ここまで来たらやるしかないです。」の精神ではじけた者勝ちです。
僕は、旅の恥を書き捨ててチョンマゲヅラで参加して、160個以上のピンバッチを交換してきました。
大丈夫!鏡さえ見なければ、自分が今どんな格好をしているかなんて思い出しません。


静岡県立掛川西高等学校 岡本 優真

“Bird Environmental DNA from the Air”

恥ずかしながら、私が「ISEF」という大会の存在を知ったのは高校生科学技術チャレンジ(JSEC)への応募を決めたときでした。思い返してみると、初めは一次審査も通るか不安で、ましてや世界大会なんて夢のまた夢、という感じでした。247件の応募の中の上位30件に私たちの研究が入ったわけですから、二次審査に出場できると伝えられた時は本当にほっとしました。だからこそ、二次審査会後の表彰式の最後、文部科学大臣賞で「静岡県立掛川西…」とアナウンスされたときは、文字通り頭が真っ白でした。当日は家族も来ていたので、顧問の先生とともに喜び合ったのを覚えています。

それは、同時に、ISEFという世界大会への第一歩でした。

実感の追い付かないまま、ISEFへの準備を進める日々が始まりました。(おそらく)皆さんもおっしゃっているように、不安の種は英語でした。ALTの先生と会話を繰り返し、少しずつ英語で話すことに耐性をつけていきました。提出書類ももちろんすべて英語。顧問の先生と、書類中の表現について提出期限ぎりぎりまで熟考していた時もありました。大学の先生にもサポートいただき、なんとかすべての書類を完成できたのが3月末。その後も、ポスター作成や東京での研修会など怒涛の日々で、気づけばあと1か月、3週間、2週間…。遠い先のことだと感じていたISEFが、だんだんと近づいてきました。

出発当日は逆に冷静なメンタルでした。「ここまであんなに準備してきたんだ、大丈夫だ」と。
現地に着いたら、もう朝から晩まで、初日から最終日まで本当に濃密な時間でした。初日、オープニングセレモニーで初めて会場入りした時、私は「世界大会の空気」を肌で感じました。期待感と、熱気と、適度な緊張感。単に「規模が大きい」というだけでは表現しきれない「世界大会の空気」がそこにはありました。
そして迎えた審査会。事前にScience News for Studentsの取材を受けて少し慣れていたためか、そこまで緊張はしませんでした。自分たちの研究の「意義」、「応用性」、それから研究に対する「熱意」、これら3つを前面に押し出すことを意識しました。通訳の方も会場にいてくださったのですが、自分の言葉で伝えることが大事だと思い、力を借りずにやり遂げました。その結果、審査員の方も非常に興味を持ってくださる様子で、私もだんだんと楽しめるようになりました。ただ、言語の違いは大きいもので、丸一日の審査会が終わった後は日本でのそれの何倍もヘトヘトになっていました。
しかし、ここで終わらないのが世界大会。ラフな服装に着替えたらパーティの始まりです。会場はNintendo Switchなどのゲーム体験コーナーやDJのいるダンスルームに変身しており、日本チームの仲間と存分に楽しむことができました。真剣に審査に挑む時間と、疲れを忘れ全力で楽しむ時間。このメリハリが、なんだか心地よく感じました。
いよいよ優秀賞の表彰式。緊張はしていましたが冷静でした。動物科学の2等で「From Kakegawa City, Shizuoka Prefecture…」とアナウンスされたときは、胸の内で喜びをかみしめるとともに、自分たちの頑張りが賞という形になったようでとても誇りに感じました。壇上に上がった時の幸福感は今でも忘れられません。

私を成長させてくれたのは、単にISEFの8日間の経験だけではありません。ここに記したように、ISEF出場が決まってからの約5か月間です。この5か月間で成長したことを二言で表すのなら、それは「自信」と「視野」です。一生懸命準備してきた自分たちの研究やプレゼンが世界に通用した自信、そして世界中の自分たちの(ほぼ)同級生がどれくらいのレベルにいるのかを知れたことで大きく広がった視野。この二つは、ISEF出場までの5か月間を経験したからこそ培えたことだと思います。私は今年度で高校を卒業しますが、この経験を糧とし、今後の進路に向け歩んでいきたいと思います。

最後に、これだけのことが経験できた背後には、本当にたくさんの人のお力添えがありました。研究を一番近くでサポートしてくれた顧問の先生、研究を共に頑張ってきた塚本君、頑張りをそばで見守ってくれた家族、ISEFまで全体を通しアドバイス・サポートいただいた大学の先生方・NSS・JSEC事務局の皆様、安全に連れて行っていただいた阪急交通社の皆様、…そして、人生の大切な経験の1つを共にできた日本チームのみんな。感謝の気持ちでいっぱいです。本当に本当にありがとうございました。


広島県立府中高等学校 甲斐 梨花

“Sound velocity in corrugated pipes”

「ISEF行きたくない」intel ISEF出場が決まってからずっとそう言っていました。でも今は「行ってよかった」そう思います。なぜなら、intel ISEFは私の認識する世界を広げてくれる、とても貴重な経験となりました。
出場が決定してから、英語での提出資料やアブストラクト、リサーチプラン、ポスター英語に触れるたびにintel ISEFという恐怖が肥大化していくように感じられました。
不安しかないまま飛行機に乗り、あっという間にやってきた恐怖のintel ISEF。最初は死ぬほど嫌だったものの、Intel ISEFのさまざまなイベントにより、恐怖は次第に薄れていきました。
ピンバッジ交換会では、各国のファイナリストとピンバッジを交換し、英語がわからなくても楽しくコミュニケーションをとることができたと思います。その他、オープニングセレモニーやウェルカムイベント、ミキサーイベントも日本とは違ったThe海外と言わんばかりの自由で砕けた雰囲気の中行われ、大変刺激的となりました。
審査前夜は緊張と英語の不安で眠りにつけず、夜遅くになっても原稿チェックを行いました。審査会当日は審査員の英語が全く聞き取れず、常に通訳さんを介して質疑応答を行ってしまい、全くと言っていいほど審査員と直接コミュニケーションをとることができませんでした。とても悔しい思いをし、審査後には、「自分の伝えたいことを自分の言葉で伝えたい」「伝えたいことが伝えられるような英語力がほしい」と感じました。また一般公開では、通訳さんなしでの、発表、質疑応答やコミュニケーションになるため、英語力の面で非常に苦労しました。日本人の人が発表を聞きにきてくれた際にはきちんと研究を理解してもらう事ができるのに、日本語が伝わらない方が来られた時にはなかなか伝わらず、「英語話すことさができたら…」と、よりいっそう英語を喋れるようになりたいという気持ちが強まりました。
結果、何も受賞はできませんでした。それでも、最終日の夜、日本のファイナリストの1人と悔しさを共有し、この貴重な経験を宝物にし、将来に活かしていこうと心に決めました。
intel ISEF2019での経験は、私の考えを変え、将来を変え、人生を変える経験です。世界を見る目を変える経験です。ほんとうにかけがえのない経験です。行ってよかったです。

最後に、素晴らしいサポートしてくださった読売新聞社事務局の皆様、学校の先生、メンターの先生、NSSスタッフの皆様、ファイナリストの方々、本当にありがとうございました。


長野県松本深志高等学校 上条 藍悠

“Long-term visual monitoring revealed importance of sea wind in causing sudden showers in Japanese mountain basin”

誰かの言葉を引用するわけではありませんが,正直,緊張しすぎていて記憶が残っていません.記憶に残っているものはといえば,雲と地形と植物です.

そもそもISEF出展が決まった時は,研究したうえはせっかくだから,というつもりで出展した地域の作品展覧会で上位に選ばれ,学生科学賞の方に出展できてラッキーだったものを,さらにそこでISEFに出展することになってさあどうしようか,という状況でした.
まず,海外はおろか,飛行機に乗ったことも,海を渡ったこともありません.英語は平均点です.その上で,つい昨日一昨日まで審査員に散々言われてきたポスターを英語で発表してください,とのことでした(実際に一番つらいのはポスターを前に何の突っ込んだ議論もなく終わることなのですが,意見が集中するとやはり,くたっとなります).

そこから先は,準備やなんやでわちゃわちゃしていて,気付いたら渡航前日,といった形で,記憶が定かではないので,覚えていることだけを断片的に書かせていただきます.
まず,初海外に伴う諸手続きの面倒は全て事務局で見てくださっていたので,概ね困ることなく帰国できました(個人的にはこれが一番大変だったのでは,と思います.帰国後帰りの電車が途中駅で止まる便ではなく,その一本後の目的駅まで乗り換えなしで行けるものであったのには感動しました).
英語も,実際話してみれば,聞いてくれる向こうの方も流調に話すことなど求めていないということがわかりました(そして優しい!単語がつっかえていても笑顔で待っていてくれる!).何を相手に聞きたいのか,また相手が何を聞きたいのか,あとは黙らない!これさえ押さえていれば,複数形や時制だなんてどうでもよくても,何なら単語だけでもバリバリ会話になります(もっとも,私自身元が面倒くさがりなので,何か反応を返さないと,というのはある種ストレスにはなっていましたが).さらに心配していた研究発表は,専門用語が通用するので,寧ろ日常会話よりは楽でした.

心配することは多くとも,いざ審査の方と議論を始めると時間は矢のように過ぎ気が付くと終わってしまうものです.それに何より,見たことのない風景がストレスを和らげてくれました.

初めて見る上からアングルの雄大積雲!しかも頭巾雲付き!
視界一面に広がる金床雲の平原!所々にオーバーシュートがひょこひょこ!
地理を学ぶものとしてはぜひ一度見ておきたいセンターピポット!
日本ではありえない大きさのサボテン達!しかも花のシーズン!日毎に会いにいっても,毎日何かしら見たことのない子たちと出会えて幸せでした!(『子たち』とは言っても,実際には私より数倍長くこの世におられるのですが)
そして乾燥帯ではやっぱりマメ科の植物が多い!
後は,テレビでしか見たことない怪しさ満点の“Sushi-Bar”!
良くも悪くも仕事への構え方が違う!
“定時”の文化!
何となくスタンディングオベーションしなきゃいけない感じの話題!
etc. etc. …

やっぱり聞くと見るとは大違いだなんて言いますが,その通りだと思います.

少し余計な話を挟みますが参考のために,反省点としては,やはりストレスでおなかを壊してしまったりしたこと,日本語での説明であったとしても語尾のわずかな活用の違いで意図するものが大きく違ってきてしまうのが研究なので,ISEFでは模型や身振りで補ったとはいえ,将来的に見てやはり英語力の不足は否めなかった,ということがあります.
ただ,これは私が実際に行ってきて自分自身に持った反省点なので,直接参考にはならないと思いますが.

最後に,家族をはじめとして私を支えてくださった皆様,それに無事に帰国させてくださったスタッフの方々に感謝の意を表して締めの言葉とさせていただきます.ありがとうございました!


安田学園高等学校 小林 達

“Adaptive significance of the experimentally obtained diploid male fertility in the Japanese bumblebee Bombus ignitus with complementary sex determination”

科学未来館の最上階、さらにその奥のスペースに入ったのは久しぶりでした。まさか自分達の研究で再びそこに行くことが出来るとは思ってもみませんでした。最終審査まで進むことすら名誉であるのに、ISEFに派遣される事が決まるだなんて想像すら出来ません。ISEF派遣の枠で名前が呼ばれた時はとにかく驚きでした。別室に通され、派遣に関しての説明を聞いていくうちにだんだんと、選ばれたんだという実感が湧いてきました。それからは怒涛の冬でした。とにかく英語が大変で、専門用語が多すぎ、発音が難しすぎ、書いた文章が長すぎ。ですが自分のチームはリーダーである森君が優秀だったので、ポスターの製作や手持ち資料の準備などにおいては特に大きな問題は無かったように思いました。その分発表練習や文章の添削に多くの時間を割くことができたように感じます。学校の英語の先生に発音や、言葉の表現などのアドバイスを受け、日が経つにつれて良いものに仕上がっていきました。これらの準備の間には研修会があり、メンターの先生と共に研究で伝えたい事の方針を固め、それに伴う言葉の表現などの指導をしていただきました。また、過去のISEF出場者であるNSSのスタッフさん達がポスター製作や発表原稿作りを手厚くサポートしてくれるのでとてもスムーズに準備を進めることが出来たように感じます。真面目な準備ももちろんなのですが、その他にも食事会などの懇親会が多く、他の出場者と仲良くなる機会もありました。発表練習に明け暮れていると出発の日はあっという間にやってきました。期待と不安を抱きつつ飛行機へ乗って出発です。旅の道中、ハプニングはありましたが、添乗員の方もいるのでトラブルにも柔軟に対応していただき、変な不安は抱かずに済みました。到着すると、現地はISEFムード一色でした。会場には多くのポスターや幟が立てられていました。既に多くの他国の出場者が現地入りしていて、どこに行っても聞こえてくるのは英語。海外の人とのコミュニケーションに抵抗は感じなかったので、純粋に楽しもうと思えました。ピンバッジ交換会や、ダンスパーティーなど、他国の出場者と話す機会はとても多く、自分の英語が通ずるのか不安に思うかもしれませんが、皆同じ科学が好きな人達です。いくらでも話はでてきます。大切なのは話そうとする積極的な姿勢だと強く実感しました。
発表当日、通訳の方も会場に居てくれるので、言語のせいで審査に影響が出ないよう、常に配慮がされています。安心して審査に臨むことが出来ました。幅広い年代の方々がたくさん自分たちのブースを訪れてくれました。発表は回数を重ねればどんどん上達していきます。それが手にとるように分かるので、発表自体はとても楽しく出来たと思います。
学生科学賞で代表派遣が決まり、帰国するまでの半年。今振り返るとあっという間だったと感じます。ISEFで得たものはどこに行っても得られない、多くの経験でした。誰とでも共通のもので一つになれる感覚や、それぞれの国毎に違ったりする価値観など、そういったものをISEFで目の当たりして、実感することで、私は、これから自分が歩むであろう科学への道を、世界を視野に入れた幅広いものに出来たと思えます。ISEFで知った海外の人と繋がる感覚をもう一度味わうためにも、私はもっと先のレベルへ行こうと強く決心することが出来ました。
これを読んで少しでも高校生の皆さんの研究活動の励みになったら幸いです。ISEFを一つの目標として頑張って下さい。

福岡県立明善高等学校 庄山 隼斗

“Discovery of a Remarkable Oscillatory Color Change in the Iodine Starch Reaction during the Early Stage of Acid Hydrolysis of Potato Starch”

長引きましたが、このISEFへの参加をもってようやく化学部引退となりました。振り返れば、ISEF含めこの化学部での活動が私の人生の大きな糧になったと感慨深く思います。
はじめはなんとなくの気持ちで化学部に入り、将来の夢も具体的なものは持っていませんでした。しかし部活動を約二年続けるうちに研究活動へのやりがいを感じはっきりと研究者になるという夢を持つようになりました。本来は高校三年生の夏に引退する予定でしたが、ISEFに参加する機会を得て、実質的な引退は卒業よりも後になってしまいました。
私は三人のチームで出場することになりましたが、本当のところ、私自身は参加に消極的でした。時期的に大学受験や新生活が始まる忙しい時期に入り、加えて臆病な性格から海外に行くのが不安だったのです。最終的にはほかのチームメンバーが参加に積極的で押し切られて参加することになりました。このようにしてISEFへの準備が始まりましたが、受験が終わるまでは取り掛かることができず、私自身が準備を始めたのはもう三月も始まろうかという時期でした。事務局のご厚意で各種提出物の締切期限は可能な限り延ばしていただけましたが、なかなかにぎりぎりでした。やはり英語での文章作成という不慣れな作業がおぼつかず時間がかかってしまい、何度も修正を重ねることになりました。三月には研修がありましたが、三日間という短い時間で一通り原稿を作りネイティブの方とやり取りをできるようになるというのは大変厳しく感じました。しかし、NSSやGoogleの方々の厚いサポートのおかげで最終日までやりきることができ、受験と新生活の間という比較的余裕のあったあの時期に一気に本番への準備が進められたのは本当に助かりました。何よりあの時、ようやく日本代表として国際大会に出場するという覚悟ができたように思います。自覚できた瞬間はひどく照れくさく感じましたが。その日以降、高校を卒業したためチームメイトとは顔を合わせずに準備を進めていく日々となりました。ちょうど卒業する学年の参加者が最もつらいのは受験との両立と準備時にチームメイトと連携がとりづらいことの二つだろうと思います。意思統一や作業分担がスムーズにいかず、ポスター作りなどは毎回締め切りぎりぎりになってしまいました。こんな感じの準備期間でした。
迎えた本番では、もうあまり気負わずやってやろうという心構えで一週間を過ごしました。準備している機関は不安があふれていて、それを少しでも減らしていこうと細かいところまで気を配り、用意をしていましたが、本番は諸々の不安を無理やりどこかへ押しやりイベントを楽しんでやりました。せっかくの貴重な経験ですから、つらい思い出にしてしまうのはもったいないと思えたのです。さすが国際規模の大会だけあり、楽しめるイベントが盛りだくさんでした。そして何よりほかの日本代表のメンバーととても仲良くなれました。苦し気な顔をしてこの最高な日々をふいにしてしまわずに済んでよかったと、今振り返って思います。ネガティブな私が不安に押しつぶされずに楽しめたのは、日本チームのメンバーたち、事務局の方々、NSSの方々の手厚いサポートがあったおかげです。
はじめに述べたように、今の私の夢は一人の立派な研究者になることです。私は今夢をかなえるために大学に通って勉強しています。そこに世界中の代表が集まる場で自分の研究を英語で発表するという得難い経験をすることができました。ネガティブで引っ込み思案な私にとって、一度経験したことがあるというのは大きな意味があります。いつか今度はちゃんとした研究者として国際的な場に出るときに精神的なハードルが大きく変わるでしょう。つまり、いま私は夢に向かって順調に進むことができていると自信を持つことができ、充実しています。総じて、初めは不参加を希望するほど不安でしかなかったものが、かけがえのない経験となったいい日々でした。心残りがあるとすれば、せっかく仲良くなった日本代表のメンバーたちとまたどこかで会いたいなと思うことです。このまま私が立派な研究者になれば、いつか再会の機会はあるでしょうか。


米子工業高等専門学校  田中 泰斗

“Development of the Gypsum Board Materials Containing Eggshell Aiming at the Solution of Sick Building Syndrome”

ISEFに日本代表として出場することが決まってからの5か月間は本当にあっという間でした。出場が決定したときはあまり実感がありませんでしたが、ISEFの情報や過去の動画などを見るうちに自分がいかに大きな舞台に出るかという高揚感と、その大会に参加するにふさわしい発表ができるのかという不安でいっぱいでした。アブストラクトやリサーチプランの作成は、少しずつ進めてはいたものの慣れない英語と膨大な文量に焦りと不安を感じました。準備期間で最も力を入れたのはPowerPointによる予備資料の作成です。英語は学校の授業でしか学んでこなかったので話すことに関しては自身がなかったため、本番の審査で少しでも自分の助けになるように想定される質問とその返答をイラストを使ったスライドにまとめて、審査員に伝わるように心掛けました。さらに少しでも英語力を向上させようとオンライン英会話にも時間のある時は積極的に取り組んで英語への抵抗を少しずつなくしていきました。まだまだ準備に不安が残る中迎えた研修会では、自分に足りない点や本番までに準備するべきことが多く見つかり、さらなる焦りを感じるとともに本番が近づいていることを実感しました。それだけでなく、同じファイナリストと親睦を深めることができ、本番に向けて不安なのは自分だけじゃない、チームとして出場するのだということを再認識することができました。

ISEFに参加して、まず最初に私を驚かせたのはピンバッチ交換会でした。慣れない雰囲気に様々な衣装、自然に飛び交う英語とすべてが私にとって新鮮で、国際大会に参加していることを実感させてくれました。最初は当然緊張しましたが、その場の雰囲気に身をゆだね、積極的に声を掛けに行きました。ピンバッチと一緒に持参した折り鶴を渡して、喜んでもらえた時は本当に嬉しかったです。終わってから思えば、この交流会で英語をたくさん話したことで、後の審査や他国の人と会話する際の自信が持てたのではないかと感じています。審査当日はとにかく緊張しましたが、先生からの激励や国内予選を通じて親しくなった友人たちからのメッセージを受けて、悔いが残らないように審査に臨みました。審査中はやはり準備していた予備資料が大変役に立ちました。実際に使ったスライドは全体の3割程度でしたが、それでも直前まで準備をしてきたスライドは精神面で私を支えてくれました。さらに審査を重ねるにつれ、笑顔で発表できているなと自分でも感じることができ、存分に発表を楽しむことができました。そして何より嬉しかったのは審査を終えて会場を出た時に迎えてくれた拍手と歓声です。安堵と達成感で胸がいっぱいになりました。翌日の一般公開では、浴衣を着て興味のあるブースを回ってみたり、自分のブースの周りのファイナリストと話したりと、審査の緊張感から解放され、国際大会を満喫することができました。そんな充実したISEFで最も緊張したのはやはり表彰式でした。自分の名前が呼ばれた瞬間、そして表彰台から見た景色は一生忘れることはないと思います。自分の続けてきた研究が国際的な目線からも評価されたことに大変嬉しく思いました。

今回のISEFを通じて次の3つのことが学べました。1つ目はコミュニケーションに必要なのは必ずしも語学力だけではないということです。英語を使った単なるやり取りではなく、表情やジェスチャー、その場の状況などから相手の伝えようとしていることを理解することができ、自分が話すときにも表情やジェスチャーを意識することで内容を伝えることができました。この体験は自身の外国語学習に対する意識を大きく変えてくれました。2つ目は入念に準備することの大切さです。『やり過ぎるくらいの準備が丁度いい』ということを自身の経験をもって学ぶことができました。3つ目はグローバルな視点で問題を捉えることです。ISEFに参加するまでは簡単にグローバルという言葉を口にしていましたが、実際に国際的な大会に参加して、多くの人と交流することで、文化の違いを身をもって体感することができました。研究に関しても、着眼点や問題提起の過程、解決までのアプローチの手法が文化や地域によって異なるということを改めて実感でき、視野を広げることができました。そして何より自分と同じように科学を愛する世界中の仲間たちと交流することができてとても嬉しかったです。

ISEFに参加できた経験は間違いなく今後の自身の成長に大きな影響を与えてくれると確信しています。そしてこれまで生きてきた中で最も濃密な1週間を最高のチームと過ごせたことは一生の思い出です。大きな問題もなく無事に終えることができ、準備期間からサポートしていただいたNSSのスタッフの皆さん、支えていただいたすべての方々へ感謝の意を伝えたいと思います。ありがとうございました。そしてISEFをもっと多くの人に目指して欲しい、経験して欲しいと思います。


長崎県立長崎西高等学校 玉田 結唯

“Novel Subtle Acoustic Communication: Successful Elucidation of the Cryptic Ecology of Runner Plant Bugs (Hallodapus spp.) with Emphasis on Their Stridulatory Mechanisms”

JSECでの入賞から、ISEFへの参加、そして入賞に至るまでの時間は、驚くほどあっという間でした。今までの自分の人生の中で、間違いなく最も充実していた時間でした。このような貴重な機会、経験を得られて、心から嬉しく思っています。

私たちの研究は、初めから順調だった、というわけでは決してありません。中でも私は本格的に研究をするということ自体、高校生になってから初めてしたことです。そんな中でもJSECやISEFに挑もうと決意した主な理由は、私が所属する高校の生物部の先輩方が挑戦してきたからです。
研究や研究発表の準備と、学業との両立は思っていた以上に大変でした。がむしゃらに踏ん張ってきた故か、いつも大会本番はあっという間にやってくるように感じられました。JSECでグランドアワードを入賞したときは、驚きと喜びで心臓が飛び出すかと思ったほどでした。まさか自分もISEFに出場出来るとは、微塵も思っていなかったのです。

しかしここで有頂天にはなれませんでした。というのも、私は同時にとんでもない不安を抱えていたからです。それは、自分の「英会話力」に対してです。アメリカに行くのも初めてで、現地の人たちと英語で話す…という経験も0の私にとっては大問題です。ましてや、日本語で説明するのでさえ難しい研究内容を、英語で説明出来るのか?心配は募るばかりでした。
その私の悩みを解消してくれたのが、NSSスタッフ、事務局の方々が企画して下さった二度の研修会です。ネイティブの方に発音をチェックして頂いたり、英語での発表の仕方、ISEFの大会自体について教えて下さったりと、多大なサポートを頂いて、楽しく、真剣にISEFへの準備を進める良い契機となりました。そして何より、英会話の壁を乗り越えるには、下手でもまず自分から英語を話し始めてみるしかないのだと分かりました。感覚としては「吹っ切れた」感じです。ISEF出場のために必要な、ポスターをはじめとする準備物もすべて英語で書くため、英語のスキルを磨くにも最高の機会でした。

そしていよいよISEFへ向け出発、一週間以上日本を離れるのも新鮮な気持ちでした。アメリカ到着までは長い時間がかかり、半日以上の時差も初体験でした。到着して会場も訪れて最も印象的だったことは、その規模の大きさです。建物や街の大きさ、自然の壮大さは勿論、そして大会の規模が…言葉に出来ないほど凄いです。私たちと同様に研究をしている高校生が世界中からやってくる大会というだけあって、何から何まで充実しており、楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。
審査会当日は、日本の審査とは雰囲気がまるで違い、とてもフレンドリーな審査員だらけで、対話をしているように審査が進んでいきました。質疑応答は不安だったものの、準備を通し身につけた英語と、審査員の言葉によく耳を傾け自信をもって答えることで乗り切ることが出来ました。審査がすべて終わって審査会場から外に出たときに、世界中から来た人々の大歓声と拍手に包まれたときの、あの達成感は二度と忘れることはないと思います。海外のファイナリスト達との会話も楽しみました。
ISEFの最後には結果発表、授賞式があります。日本を発つ前から「出場するからには何か一つでも受賞したい!」とチームメンバーと話していて、祈るような気持ちで会場に入りました。だからこそ、スペシャルアワードとグランドアワードをW受賞出来たことは、想像を絶する喜びでした。

―――と、このように文章にしようと試みましたが、なかなか難しいです。それくらい素晴らしい経験でした。語り尽くせません!ぜひこれからもたくさんの方にこの大会に挑戦して、同じ経験をしてもらいたいです。
最後に、厚くサポートしてくださった朝日新聞社とNSSの方々、一緒にISEF2019に挑んだ日本代表メンバー、そして日頃からご教授いただいている先生方、ALTの先生、本当にありがとうございました。


静岡県立掛川西高等学校 塚本 颯

“Bird Environmental DNA from the Air”

英語圏に行く、これだけでも億劫。ネイティブの英語話者を相手にして研究発表?いきなりそれは如何なものか。ISEF派遣が決まってからずっと、どうしようどうしよう、とぐるぐる悩んでいました。
僕には、岡本優真というチームメイトがいます。彼は人前での発表に堪能で、JSECでのポスター発表は彼に一任していました。もちろん、ISEFでの英語発表も彼に押し付けるつもりでいました。僕の書きたいことが何かは察されると思いますが…ISEFでは、研究メンバー全員で発表しなければいけない、と聞いた当時の僕は、膝から崩れ落ちました。英語。苦手でした。このニュースレターを書いている今も苦手です。12月から5月の約5ヶ月間、ちょびちょびと英語を練習しながら実験を進めていました。アメリカに飛ぶ日が近づくにつれて、じわじわと焦りが出てきます。研修会で「流暢に話す必要はなくて、内容と熱意が伝われば問題ない」とのアドバイスを頂いて、全くその通りではありましたが、不安なものは不安で。腹の中のモヤモヤを拭い切ることは叶いませんでした。
英語以外は準備万端に、いざアメリカへ。入国検査、会場でのブース設置、ピンバッジ交換会など、なんだかんだ英語での会話を強いられる場面に何回も遭遇しました。英会話イベントが発生する度に怖気づいて、一呼吸置いてから話しかける有様でした。ただ、現地の方の英語を完璧に聞き取れるわけがなく、自分の文法ぐちゃぐちゃな発言も1回で理解してもらえるわけもなかったけど、なんとなくで伝わるんだなと思い始めてからは、心に余裕を持って会話できるようになっていました。直前、アメリカに着いてから審査日に至るまでの短い間に何回もネイティブの方々と会話をしたことが、一番の練習になっていたと思います。緊張を抜いてから審査に挑めて本当によかったです。
英語だけでの発表は案の定、死ぬほど大変でした。知らない単語を使ってきたり、喋るのが速すぎて聴き取れなかったり。しかし、僕には頼もしい相方、岡本優真がいました。圧倒的語彙力で和訳して伝えてくれたり、審査員の質問が理解できないときには積極的に聴き直してくれたり。助けられてばかりでしたが、メンタルを保つことができたのは本当に彼のおかげです。日常とは一味違った、議論の場で自分の意見を伝えるということは難しくて苦しかったです。ただ、英語に対する億劫な気持ちが軽減されたのは確かだったし、帰国後の日本語での発表は感動するほど簡単に感じました。英語で発表をするという体験が、僕に良い影響を与えてくれました。

アメリカでの審査は、日本での審査とはいくらか違いました。日本での「これ本当に合ってるの?」といった論理構成の穴を突くような質疑に対して、アメリカでは「2人はこの研究でどこに力を入れたの?」のような、努力や情熱といった研究への姿勢を多く訊いてきて、文化の違いだなあ…と感慨に浸ってしまいました。もちろん、どちらも研究者として(前者は根拠に基づいて、後者は自信を持って)答えられなければならない質問です。ただ、採点の重点がここまで違うとは思ってもいませんでした。審査の中でも日本との差異を感じることができて、非常に面白かったです。

結果として、動物科学部門2等とアリゾナ大学賞を受賞しました。感無量です。欲を言えば1等を受賞したかった、なんて口にするのは簡単ですが、1等を受賞した研究と2等の僕たちの研究の間に大きな差があることは明白です。その差は一体何だったのか、発想なのか、論理構成なのか、データ量なのか、プレゼン能力だったのか。研究というものは一概にどちらが優れていると判断することはできません。しかし、今回の研究に限らず、審査員、言い換えれば、第三者による評価の差がどこで生じたのかを見極める力をつけ、今後の研究活動に還元しなければいけないと感じています。

人生で初めて行った研究でここまで上り詰めることができて、本当に幸運だったと思います。この研究で収めた成果は、比喩でも何でもなく、僕の生涯の宝になると思います。自分自身もNSSの一員となって、次のISEF参加者を全力で応援したいと思っています。
最後に、掛川西高校の先生方、朝日新聞社の皆様、NSSの皆様、阪急交通社の皆様、その他関係者の皆様、ファイナリストの皆さん、そして岡本優真に、この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。


三重県伊勢市立御薗中学校 中野 優子

“Reproductive strategy for a surf clam, Chion semigranosa (Dunker) accumulating in the intertidal zone of exposed sandy beach in summer in Tsu, Mie Prefecture, Japan”

私は、正直、派遣が決まるまでISEFについて詳しいことをほとんど知りませんでした。アメリカで発表するなんて凄いなと他人事のように思っていたし、自分が英語で発表するなんて想像もしませんでした。表彰式で名前が呼ばれて派遣が決まった時、本当に選んでもらえるなんて夢のようでとても嬉しかったけれど、心配の方が大きかったです。得意でない英語で話すことはもちろん、ましてや、自分の研究内容を英語で説明するなんて自分にできるのかとても不安でした。
3月にはGoogleでの研修がありました。ここではNSSの方とネイティブの先生に発表内容や質疑応答のご指導をしていただきました。とても優しくアドバイスなどをしていていただき、たくさんのことを教えていただきました。そんな中、研修中の私は質疑応答があまり上手くできなくて不安は募る一方でした。でもNSSの方は「さっきの言い方、前よりも良くなっていたよ!」と褒めてくださって、日に日に少しずつ自信がついていき、上手く話せるようになりました。また、昨年のISEFに出場したファイナリストの映像を見ましたが、そこに映っていたファイナリストはみんな輝いていて、自分も、もうすぐこの場所に行くと思うと心配はだんだん減っていき、ワクワクが止まりませんでした。
そして、いよいよ本番となり、日本を出発してからはあっという間に日が過ぎていきました。まず、フェニックスに到着してすぐに、ポスターの準備をしに会場に行きました。審査を行う会場に入った瞬間、まず広さに驚きました。ここでファイナリストの1人として発表することができるのだと思うと、感動でいっぱいでした。準備を終えて、夜はピンバッチ交換会がありました。たくさんの国のファイナリストと交流をしていると、日本語を使って話してくれる人もいました。また、たくさんの人が「審査頑張って!」と声をかけてくれました。交流をしているうちに、いつの間にか、手持ちのピンバッチをほとんど交換することができたので嬉しかったし、たくさんの国の人と話すことができて、とても楽しかったです。
審査当日になると、会場の雰囲気は変わりとても緊張感がありました。審査員は事前に決められている時間に来るので、それまでの待ち時間はずっと緊張していました。でも、審査員の方は、笑顔で研究について褒めてくれたり、たくさん質問をしてくれたりしたので、リラックスして話すことができました。質疑応答は通訳さんに頼ってしまったけれど、質問の内容がわかるところはジェスチャーを使いながら自分で説明をしました。特に、みんながいいねと言ってくれた手作りの貝の模型を使って説明をすると、審査員の方が内容を理解してくれたので嬉しかったです。審査が終わったときは「やった」という達成感と、「あー、終わった」という安心感がありました。しかし、次の日には一般公開があったので、また、たくさんの人に研究を知ってもらえると思うと、楽しみになりました。
一般公開では何人もの人が足を止めてくれました。その日は通訳さんがいなかったけれど、通訳なしで1人で説明しました。話がわかってもらえた時の嬉しさは忘れられません。
今回、賞をいただくことができず悔しかったし、準備も大変なことばかりでしたが、それも含めて、ISEFでの経験は全て宝物です。参加することができたことで私の人生が変わったと言えるかもしれません。また、たくさんの国の人と交流をして、実際に英語で話す楽しさを体験したことで、英語への苦手意識は減りました。これから、海外の方との交流を深めるために、リスニングやスピーキングをこれまで以上に頑張ろうと思います。そして、これからも研究を続けて、もう一度、ISEFに挑戦したいです。
最後になりましたが、レポートをご指導していただいたメンターの先生をはじめ、読売新聞社の方々、NSSの方々、通訳の方々、学校の先生、最後まで励ましてくれたファイナリストの皆さん、家族、友達、これまでサポートをしていただいたすべての方々に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


福岡県立明善高等学校 林田 ももこ

“Discovery of a Remarkable Oscillatory Color Change in the Iodine Starch Reaction during the Early Stage of Acid Hydrolysis of Potato Starch”

私が高校三年生の時に、チームの一人がAO入試の役に立つかもしれないから出場してみないかと提案してくれた大会がJSECでした。もし最終審査まで研究が残ったとすると、最終審査会があるのは12月というセンター試験直前であったので応募するのは少し迷いました。しかし、もしもJSECで評価されるということがあればそのメンバーの言う通り、AO入試や推薦入試に役に立つはずだと思い、応募を決意しました。そのため最終審査会まで残り、さらに花王賞を頂けるなど全く想像していませんでした。さらにISEF出場が決定したと聞いた時も全く実感がわきませんでした。
それから私たちは受験を終えた後、ISEFの準備に取り掛かりました。離れた場所にいるメンバーと連絡をとりながらポスターや発表の準備をするのはとても大変でしたが研修会でNSSの方から教えていただいたアドバイスのおかげでなんとか乗り越えることができました。その中で非常に考えさせられたことが自分たちの研究をする意義と応用についてです。このことはNSSの方に必ずといっていいほどISEFの審査会で質問されるから事前に考えておくべきだと教えていただいたものの一つでした。実は私たちは好奇心だけから研究を行っていたといっても過言ではないくらい自分たちの研究の意義をしっかりとは考えたことがありませんでした。しかしよく考えてみると自分たちの研究の発展性や社会に与える貢献が多くあることに気づきました。このことをもっと早く考えられていたら自分たちの研究に対する姿勢が変わっていたかもしれないと思いました。また同時に自分たちの研究にこんな意義があったのかと気づくことができ、少し嬉しくなりました。
また、アメリカ到着の翌日に行われた開会式でも同様のことを考えさせられる場面がありました。それはまさに開会式が始まった時にスクリーンに映し出された映像を見た時です。その映像ではこの大会に参加する私たち研究者が世界を救うヒーローであると表現されていたのです。この映像を見て科学が持つ未来を創る力を感じ、これからは研究に誇りと使命感を持って取り組みたいと思うようになりました。
それから約1週間、アメリカでは本当に驚くべき様々な経験をすることができました。海外の学生や審査員の方々のフレンドリーさと積極性には驚かされてばかりでしたし、大会そのもののお祭りのような雰囲気にも日本との違いを感じました。その中で特に私の心に残ったものは英会話能力の必要性です。審査の時は仲間の助けもあり全ての質問に答えることはできました。しかしそれでも本当に自分が伝えたいことが伝わっているのか不安に思う場面もあり、日本語に比べると自分たちの研究をアピールしきれなかったと思います。また、海外の学生と交流する際も、時々質問の意味がわからず適当に返事をしてしまい相手を困惑させてしまうことがありました。その時に感じた申し訳なさと不甲斐なさはとてもよく覚えています。そして各国の学生は当たり前のように英語で会話できているのに先進国であるはずの日本の私はスムーズに会話できていないことに恥ずかしさを感じました。
これらの経験は将来研究者を目指す私にとっては本当に貴重としか言いようがない経験でした。そのため、ともに研究した仲間とご指導いただいた先生、さらにISEF派遣をサポートしてくださった全ての方々に本当に感謝しています。本当にありがとうございました。


長崎県立長崎西高等学校 日南 瑶

“Novel Subtle Acoustic Communication: Successful Elucidation of the Cryptic Ecology of Runner Plant Bugs (Hallodapus spp.) with Emphasis on Their Stridulatory Mechanisms”

私がISEFの存在を初めて知ったのは高校に入学した時です。入学してすぐに私は生物部に入部し、その時に3年生だった先輩方がISEFに出場しており、私もこんな国際大会に行きたいなと思ったことがきっかけです。しかし、実際に私たちは研究対象の昆虫の採集に苦戦し、時間だけが過ぎてついに2年生の夏を迎えていました。ところが採集方法が確立できた後、飼育、観察と何とかうまくいき、いよいよ目的の実験までたどり着くことができました。何度も難題にぶつかり、そのたびにチームメイトや先生方と協力し乗り越えてきました。そして迎えた12月の日本での審査会。結果発表の時なかなか名前が呼ばれず、もうダメだとあきらめていましたが、突然名前が呼ばれ驚きつつも喜びでいっぱいでした。しかし喜びは束の間、また忙しい日々がやってきました。今度は日本語での説明からすべてを英語に切り替えなければいけませんでした。英語で研究を要約し、日本語で作ったポスターを英訳し、発表練習をし…とやることが山積みでした。が、学校のこともあってなかなか準備ができないまま3月の研修を迎えてしまいました。そこで実際に発表や質疑応答の練習をしたり、ほかのチームの発表を聞いたりと、とても刺激を受けました。そして私たちは一生懸命に準備を進め、プレゼンの練習や想定される質問を3人で聞きあって答える練習に励みました。4月の研修では本番の審査の様子をつかむことができました。その時にアドバイスをもらったことをさらに改善して、残りの期間最後の最後まで練習を重ねました。
そして迎えたフェニックスへの出発の日、英語でうまく自分の言いたいことを伝えられるか心配だったものの心の中はワクワク感でいっぱいでした。審査の結果にこだわらず、とにかく楽しもうという気持ちで日本を飛び立ちました。長時間のフライトを終え、最初のイベントはピンバッジ交換会です。会場に足を踏み入れた途端、新しい世界が広がっていました。世界中のファイナリストたちが英語で元気よく挨拶し、バッジを交換していました。最初は海外の人の積極性に押されぎみでしたが次第に自分から声をかけ、世界各国のバッジを集めることができました。フライトの疲れは吹き飛び、本当に初日から楽しめました。2日目はブースの組み立てや審査に向けて準備をした後、夜からはオープニングセレモニーがありました。そこで各国の紹介や開会のあいさつなどがあり、その時にこの大会がいかに大きな大会なのかを改めて実感し、胸が高鳴りました。3日目はプレゼン練習をした後、科学者の人たちのパネルディスカッションを聞きました。もちろん英語での対話だったので聞き取るのは難しかったのですが、貴重な時間を過ごすことができました。夜には野球を見に行きました。球場はとても大きく、試合の展開を楽しむことができました。そして次の日はいよいよ審査会でした。もともと私たちのチームは9時半から審査が始まる予定でしたが9時頃から審査員が来た時には驚き、焦りました。初めは緊張していましたが、審査員の方々が優しく対応してくださり、私たちが伝えたいことをしっかり伝えられました。その後も10人以上の審査員の方々が来てくださり、熱心に私たちの研究に耳を傾けてくれました。夜はダンスパーティーでした。会場内は大音量の音楽と色とりどりのライトに包まれ、みんなが思い思いのダンスを繰り広げていました。私たちも最初は雰囲気に圧倒されていましたが、すぐにノリノリで踊りました。
5日目は一般公開日でした。浴衣を着て説明し、ブースに来てくださった方たちに折り鶴などを配りました。浴衣は海外でとても人気がありました。そして夜はいよいよスペシャルアワードの表彰式でした。審査が終わった達成感でいっぱいのまま席に座っていたのですが、アメリカ音響学会賞の発表の時Nagasaki…というアナウンスが聞こえ、頭の中がぐちゃぐちゃになりました。壇上でも驚きで混乱し、みんなの顔がしっかり見られませんでした。賞状を見て1等だとわかり、自分の席に戻ってみんながおめでとうと言ってくれた時にどっと嬉しさがこみ上げてきました。そして最終日はグランドアワードの表彰式でした。そこでもGrand Awardの4等をいただくことができ、本当に嬉しかったです。この日は昨日よりも冷静に喜びをかみしめました。その後、名残惜しかったのですがブースの片付けをし、午後からはショッピングや大自然を満喫しました。
最後になりましたが、今回このような国際大会に出場して、世界中の人々に私たちの研究を伝えることができ、二つの賞につながったことを本当に嬉しく思います。この貴重な体験を通じて、私は海外の人と協力して研究することに興味がわき、これからもずっと研究を続けていきたいと思うきっかけになりました。今まで支えてくださった先生方、そしてJSEC事務局、NSSスタッフの皆様など多くの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。


長崎県立長崎西高等学校 宮崎 文那

“Novel Subtle Acoustic Communication: Successful Elucidation of the Cryptic Ecology of Runner Plant Bugs (Hallodapus spp.) with Emphasis on Their Stridulatory Mechanisms”

去年の12月に出場したJSECでISEF出場が決まった時は、本当に驚き、あまり実感がわかず、飛行機で家に帰ってからはじめてうれしさで胸が一杯になりました。先輩や先生方からアメリカでのISEFの話を時々聞いており、研究をしているときから、そのような素晴らしい経験を私たちもしてみたいと考えていたのですが、同じJSECに出場していた高校生たちの研究のレベルがとても高く、驚いたのを覚えています。そしてISEF出場が決まってからすぐに英語での作業に取り掛かりました。私は当初から自分の英語力が心配で書類の作成や予想される質問の準備をしている間、本当に英語で自分たちの研究を伝えられるのかと、とても不安でした。ですがいろいろな方からのサポートもありISEFに向けて最後の日まで準備を続けることが出来ました。東京で行われた事前研修でも同じISEFに行く仲間と交流でき、プレゼンテーションについて指導してくださったりととても良い研修になりました。そしていよいよ緊張しながら、わくわくしながら、アメリカに向けて旅立ちました。私はアメリカに行ったことがなくアメリカの地についた途端日本と空気が違うような気がして興奮していました。今年は今まであったと聞いていた大きなトラブルもなく、着いてすぐにピンバッチ交換会を行いました。そこではたくさんの国の人たちがそれぞれの衣装を着て会場内でごちゃ混ぜになっていて、それまで教科書やニュースで聞くだけだった国の人としゃべったりピンバッチを交換することで私の中の世界が変わった気がしました。そして審査会の会場に入り周りのブースで練習している外国の高校生を見るとピンバッジ交換会で見たのとは違う、堂々と自分の研究をアピールしている姿を見て本当に私たちと同じ高校生なのかと驚き、頑張らなければと気が引き締まりました。いよいよ審査会当日、少しでも私たちの研究に興味を持ってもらいたい、という気持ちで臨みました。審査する方はとても笑顔で接してくれたので、思っていたよりも緊張せず、力を出すことが出来ました。答えることが難しい質問もありましたが、一生懸命伝えようとすることで、向こうも興味を持ってくれたのかなと思います。向こうの方から発表が終わった後、面白い研究だねと言われると、うれしく思うと同時に、伝わってよかったとホッとしました。最初このISEFでたくさんの経験をするのが目的だったのですが、審査発表では、アメリカ音響学会賞、グランドアワード4等と2つの賞を取ることができ、信じられないという思いと喜びでいっぱいになりました。走って壇上に登った時の感情はきっと忘れないと思います。私たちはダンスパーティというものにも参加しました。会場に入るとたくさんの人が思い思いに踊ったりとび跳ねたりしていて、日本ではありえない光景でしたが、その場にいるだけで、違う世界に入れたような気がして楽しかったです。ほかにもアメリカではメジャーリーグ観戦をしたり、ホールインザロックというフェニックスの町を一望できる岩に上ったり、サボテンをたくさん見られる植物園に行ったりととても楽しい経験もできました。このISEFを通して、本当にたくさんの経験をすることが出来ました。今回アメリカで学んできたことは一生忘れることが出来ないし、自分の将来に大きく役立つと思います。今まで全く研究対象の虫がとれなかったり、研究が進まなかったりしたこともありましたが、続けて着て本当によかったと思います。これからも今回の経験を生かして研究を続けていきたいと思いました。最後に、ここまで来れたのは、研究を最初から指導してくださった先生方、英語の指導を細かく指導してくださった先生、NSSスタッフの方、JSEC事務局の方、旅行会社の方などの大きなサポートのおかげです。本当に感謝しています。


芝浦工業大学柏中学高等学校 武藤 美佑

“Formation of Large Sized Aragonite Crystals by Using Gel Method”

私の学校では一人ISEFに出場した先輩がいました。その話を聞いたのは私が中学生の時で、ただただすごいと感じてはいましたが、私とは別世界のことだと捉えていました。高校生になっても最初のうちは自分にはまるような研究内容がなかなか見つからず、いざ研究を始めても思うような結果が得られませんでした。しかし、途中で一つの結果が出たのをきっかけに、研究が軌道に乗り始めました。そしてその研究を、日本学生科学賞に論文として出すことになりました。結果が出ない時期も長く、特別すごい賞を獲得した経歴がなかったため自分の研究を他の人に比べてしまうとあまり自信がありませんでしたが、中央審査を通過して最終審査まで来ることが出来ました。準備をしっかりして最終審査に臨めたので、審査員の質問にもきちんと答えられてやり切った達成感がありました。そして、賞をもらうことができてISEFの出場権を獲得することが出来ました。そのまま、ISEFにあたっての説明が進み準備が始まりました。まさか、夢にも思っていなかったので驚きました。その後、ISEFに提出する書類やポスター作成に加えて研修を行いました。やはり、英語という障害にぶつかり、提出する書類も添削が入り、研修で行った発表もおぼつかない状態でした。自分の研究を英語できちんと発表できるのかとても心配で、原稿を完璧に暗記しなくちゃ、質疑応答もスラスラ答えられて対策も完璧にしなくてはと練習してもどこか不安が残っていました。しかし、いざ行ってみると自分の研究について一番知っていて準備もしてきたのだから大丈夫だという気持ちになり、意外とその時になってしまえば、あまり緊張せずに想像以上に英語で発表も審査員との質疑応答もできました。
日本を旅立ってからは、フェニックスに行くまでの経由便の予約が消えてしまうなどのハプニングがありましたが無事に着くことが出来ました。そしてISEF会場に着くと、とても広く、自分がここで発表する人間の一人であるというのが信じがたいことのように感じました。一般公開の日にもたくさんの人が来てくださり、発表を聞いてくれたり他のファイナリストと交流したりすることもできました。
そして、私がISEFに行って感じたことは、日本人は控えめなイメージが強いですが、外国の人は自分の話を聞いてという感じで自分をアピールして話すところが違うところだと思いました。私自身も自分のことを主張するのは苦手なので、ピンバッジ交換会などで自分の話をしたりすることを積極的にはできませんでした。しかし、色々な国の人と交流したときに私が日本出身と言うと、とても日本が好きだとアピールしてくれる子がたくさんいて、時には自分の家族の話をしてきてくれる子もいました。自分の好きなことを率直に話せることは自分の研究を発表するときにもつながると思いました。私は研究については主張することはできましたが、これからは自分のことについてもアピールできたらいいと思いました。
最後に、ISEFに行くにあたって今まで手伝って下さった学校の先生方やメンターの先生、環境を提供して下さった読売新聞の方々、研修で手伝って下さったNSSの方々にお礼申し上げます。


茗溪学園高等学校 森 みのり

“Development of the Lucky Clover: Effects of Phosphate and Auxin on the Number of Leaflets in White Clover”

私は、自分の研究で全国大会や、国際大会に出場することができるとは思ってもいませんでした。だから、JSECで賞をいただき、ISEFへの出場が決まった時は、とても驚きました。しかし、不安な気持ちも大きかったです。私は英語が得意ではなかったので、ISEFまでに英語で自分の発表ができるのかすごく心配でした。しかし、3月の研修などで、ISEFに出場する他の、学校の高校生たちと自分の不安を共有したり、励ましあったりして、段々と、自信がついてきました。
アメリカへ出発する前、アメリカのような時差のある国へ行った経験がなかったので、時差ぼけは大丈夫か、少し心配していました。しかし、会場について最初のイベントだった、ピンバッチ交換会で、周りの海外の高校生の元気さに、時差ぼけを心配する暇もなく、ひたすら周りのノリに合わせてピンバチを交換しました。「日本が好き」と言って日本語を話してくれた人もいてとても楽しかったです。
審査当日、難しい質問が来たらどうしようと、とても緊張していました。でも、審査員の方が笑顔で質問をゆっくり行ってくれたり、もう一度質問を言ってもらうように頼むと、丁寧にもう一度行ってくれたりして、何とかすべての質問に答えることができました。英語が苦手だった私にとっては、これは大きな自信につながりました。翌日の一般公開の日には、地域の人などが発表を見に来てくれました。私のテーマは、誰もが知っているクローバーだったこともあって、多くの人が発表を聞いてくれました。「おもしろい!」と言ってくれる人や、「本当に葉っぱが四つにできるの?」と興味を持ってもらえて、とても嬉しかったです。
さらに、ISEFを通して海外の高校生とも仲良くなれました。私は緊張していて、自分から相手に声をかけることがあまりできなかったのですが、同じ植物分野の研究の、ハワイの女の子とインドネシアの女の子が、「どんな研究をやったの?」と声をかけてくれました。また、私は英語が苦手と伝えると、それなら一緒に練習しようと言って、私の発表を聞いてくれました。審査の日には、「頑張れ!」と言って励ましあいました。そして、隣のブースの女の子とも、待ち時間におしゃべりをしました。彼女は、前年度もISEFに出場していて、私にいろいろなアドバイスをしてくれました。普通は作ることができないような、とても良い友達を作ることができたと思います。
私は、賞をいただくことはできませんでしたが、このような大きな舞台で発表をして、海外の様々な人とふれあえたことは、とても大切な経験となりました。また、海外の同年代の高校生が、とてもハイレベルな研究をしているのを見て、私も、もっと世界に貢献できるような研究がしてみたいと思いました。私は、将来何になりたいかがはっきりしていません。しかし、ISEFの準備や発表を通して、科学研究の楽しさをより味わうことができ、将来もこのような仕事がしたいと思いました。
最後に、ISEFに出場し、とても良い発表ができたのは、周りの多くの方の支えや、おなじISEFへ行った高校生と切磋琢磨ができたからだと思います。このような様々な人に感謝をしたいです。そして、ISEFに導いてくれた、四つ葉のクローバーにも感謝をしたいと思います。


安田学園高等学校 森 凛太郎

“Adaptive significance of the experimentally obtained diploid male fertility in the Japanese bumblebee Bombus ignitus with complementary sex determination”

ISEFに出場することが夢でした。僕の学校は中高一貫校のため、中学一年生から生物クラブに所属しており、そこでマルハナバチを飼育していました。高校生になりハチの研究を始め、夢中になって研究をしていましたが、研究は世に問うためにやってるんだから読んでもらうために論文にしなきゃいけない、と顧問に言われ論文を執筆し、せっかくだからと日本で最も大きい科学研究のコンテストの一つである日本学生科学賞に出品しました。必死に出品する論文を書いていた頃、初めてISEFについて知りました。そのPVを見たとき、大きな会場を埋め尽くすほどのポスターの数やあふれんばかりの会場の熱気にとても驚き、同時にこの舞台に行って賞を取りたいと強く思い、出場を目標に日々頑張りました。日本学生科学賞の授賞式の日、あのISEFに出場することが決まったんだ、と信じられないほど嬉しかったことを覚えています。
それからはAbstractなどの英語の資料やポスター作製、発表の練習をし続ける日々でした。しかし、僕は英語がほとんど出来ないので、僕が書いた英文は顧問やメンターの先生、ネイティブの先生に直され続け本当につらかったです。幸いチーム研究だったため、項目を分担し負担を軽減することができました。
いざアメリカに到着すると何もかもが日本と異なるため、すごいとしか言葉が出ないほど感動していました。到着した日、ISEFでは伝統的にピンバッチ交換会が開かれます。その会場には、様々な国のファイナリストがいました。そのため、否が応でも自分が日本代表としてこの場にいるんだと自覚させられました。その翌日、ポスターの設営をするために会場に向かいました。大きな会場にずらりとポスターが並んでいる様子に、本当にこの舞台に来たんだなと思い何度も感動していました。
迎えた発表の当日、僕を含めたチームメンバーは、少しは緊張した方がいいんじゃないかと思ったほど全く緊張をすることなく審査に臨めました。審査の時には7人ほどの審査員が訪れ、かなり多くの想定質問集を用意し対応しましたが、予想を超えさらに具体的な応用といった難しく質問があり通訳の方に助けられなんとか質疑応答をこなせました。中には、同じく社会性昆虫を研究している審査員がいらして、その方との会話がはずみとても充実した気持ちで審査を終えることができました。
審査を終えて、世界のファイナリストはどんなことをやっているのだろうか、と他のポスターが気になり見に行きました。そこには、とてつもなくレベルの高い研究ばかりでとても驚きました。中には、なんで高校生がこんなことをやっているのだろうかと疑問に思うほど高度な研究もありました。
授賞式では残念ながら賞をもらうことはできなかったですが、世界で最も大きいコンテストであるISEFに出場でき、僕が見ている世界よりもさらに上のステージに立つ人々との交流をすることは唯一無二の何より得難い経験でした。
ISEFを終えて、僕が感じたことは海外の高校生の熱量の高さです。つまり、彼らは自身の情熱を注いで取り組んだ研究で世界を変えたい、変えるんだという強い意志を持って研究しているように感じました。
最後に、ISEFに行くまで半年もの間ずっとバックアップし続けてくださった読売新聞社の皆様、とてつもない量の知識と経験で僕らの研究をブラッシュアップしてくださったメンターの先生、日々ともにいるせいであまり感謝の言葉を言っていない仲間と顧問の先生、この研究に尽力してくださったすべての方に感謝いたします。世界の高校生に負けないくらい情熱をもって、世界で活躍できる人になりたいです。


福岡県立明善高等学校 山本 真太朗

“Discovery of a Remarkable Oscillatory Color Change in the Iodine Starch Reaction during the Early Stage of Acid Hydrolysis of Potato Starch”

ISEF体験記ということですが、僕は「今後ISEFに出場する皆さんに最大限ISEFを楽しむためには」という形でアドバイスをいくつか述べようと思います。一つ目に、自分の研究に自信を持ってください。他のファイナリスト、特にアメリカからのファイナリストたちは高校生のレベルを逸脱した内容や設備を使っている研究を数多く行っており、圧倒されるかもしれません。しかし、自分は日本代表として出場していることに誇りを持って、堂々とした態度で臨んでください。二つ目は積極的なコミュニケーションです。自由時間になると他のファイナリストたちは自分のブースを放置しておしゃべりしてる、なんてことも珍しくありません。そこに入っていこう、というのはかなりハードルが高いですが、隣のファイナリストとの雑談なら簡単にできます。「私は英語ができない」大丈夫です、僕もかなり苦手でしたが会話は成立しました。それに、相手は目があっただけで挨拶してくるほど気さくな人たちばかりです。色々と面白い話も聞けるかもしれません。恐れないで、積極的に、です。そして三つ目、恥ずかしいという気持ちは出来る限り捨てましょう。日本で来賓の式辞などの際に”FOO!!”なんて叫んだら品格を疑われかねませんが、ISEFでは心配無用です。むしろ結構います、そういう人たち。ヤケクソで叫ぶもよし、周りにつられて叫ぶもよし、とにかく楽しいです。自分が何かに目覚めた様に感じられます。ぜひお試しあれ!まだ伝えたいことは山ほどありますが、この辺で止めたいと思います。ISEFに出場する皆さん、おめでとうございます。そしてISEFを満喫してきてください!


安田学園高等学校 吉田昭音

“Adaptive significance of the experimentally obtained diploid male fertility in the Japanese bumblebee Bombus ignitus with complementary sex determination”

日本学生科学賞でISEF日本代表が決まった瞬間、私は今まで感じたことないような感動や感激、衝撃が込み上げ、思わずガッツポーズをしてしまいました。しかしその時はまだ半信半疑で全く実感が持てませんでした。ですが何度も研修会を繰り返すうちにそれが確信に変わり、それと共に日本代表として海外で自分たちの研究をプレゼンするんだという覚悟も芽生えてきました。さらに研修会では多くの人と交流することができ、仲間意識も生まれました。アメリカに行くまではポスター作成やプレゼン発表など多くの壁にぶつかりましたが、チームメンバーや顧問、さらにはネイティブの先生方と協力することによって万全の準備で本番に臨むことが出来ました。アメリカに着いてからは言語、食事などの慣れない生活に適応するのに苦労しましたが、チームメンバーや同じ日本代表と行動した時間はとても楽しく、貴重な体験となりました。プレゼン本番直前まではとても緊張していましたが、チームメンバーといつもの何気ない会話を繰り返すうちに自然と緊張がほぐれ、本番は練習通りのプレゼンをすることが出来ました。質疑応答に関しては日本で多くの想定質問集を考え、簡潔に答えられるように練習した結果、本番でも想定通りの質問を聞かれ、問題なく答えることが出来ました。しかし、中には英語で答えるのが難しい回答もあり、その時は頼れる通訳さんに日本語で明確な意見を伝えることで乗り越え、審査員を納得させることが出来ました。そのため、もちろん英語のリスニング力やスピーキング力は大いに必要となりますが、それよりも自分の研究を世界の様々な人に伝えたいんだという明確な意志が大切なのだということを実感しました。残念ながら賞は取れませんでしたが、個人的には自分たちのできる最大限のプレゼンをすることが出来たと満足しているのであまり後悔もありません。もちろん賞も重要だと思いますが、それよりもISEFという世界最大の科学コンテストの場に立てたこと、そしてチームメンバーや顧問などISEFを通して関わってきた様々な人との思い出を作れたことが最も重要であり、かけがえのないものだと感じました。そのため、ISEFを通じて自分たちをサポートしてくださった方々には本当に感謝しかありません。そして今後は、私たちの将来を楽しみにしてくれている方々の期待を裏切らないように、グローバル化に適応できる優秀な研究者として日本、さらには世界で活躍したいと思います。そのためにまずは直近の大学入試に全力で挑み、その後の大学では海外留学を通じて英語力を蓄えていきたいと思います。

 


Intel ISEFニュースレター 2019 No.20
■ 発行: NPO法人 日本サイエンスサービス nss.or.jp
■ 発行日: 2019年 9月 25日
■ 撮影: 久保裕亮 (日本サイエンスサービス)
■ 編集: 久保裕亮,田渕宏太朗 (日本サイエンスサービス)
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