ニュースレター No.17

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2016年6月10日
撮影・編集・発行: 日本サイエンスサービス

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 2016年のインテル国際学生科学技術フェア (Intel ISEF: Intel International Science and Engineering Fair) には、世界77の国と地域から1759名の高校生たちが科学技術分野での研究の頂点を目指して集まりました。半世紀以上続く世界最大の高校生向けコンテストIntel ISEFのレベルは毎年非常に高く、大学院生や研究者と肩を並べる研究成果の数々が出品されます。今年からはより専門性の高まった22のカテゴリで争われ、参加者は研究結果のみならず社会や学術へのインパクトを強調して、審査員に訴えていました。本年の開催地はアリゾナ州フェニックスで、2016年5月8日から13日にかけて大会が行われました。日本からは日本学生科学賞(JSSA)高校生科学技術チャレンジ(JSEC)から各8組の、過去最多となる16組が参加しました。

市立千葉高の市毛君が機械工学部門で世界一となる部門最優秀賞を受賞

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優秀賞(Grand Award)表彰式では、千葉市立千葉高校3年市毛貴大さんが機械工学部門の1等および日本人では史上2人目となる部門最優秀賞(Best of Category)に選ばれました。機械工学部門は、去年最高賞となるゴードン・ムーア賞も選出されている競争の激しい部門であり、その中で市毛さんは去年の優秀賞4等に引き続き部門最優秀賞を受賞し、日本人初の2年連続入賞という輝かしい成績を収めました。さらに加えて、部門最優秀賞者から選ばれるインテル財団文化・科学中国訪問賞を受賞し、中国への研修旅行の機会が与えられることになっています。市毛さんは、ステッピングモーターというコピー機やエアコンといった身近な機器にたくさん利用されているモーターの消費電力を、わずかな回路を追加するだけで30%以上も消費電力を減らす手法を開発しました。様々なところに組み込まれているモーターのため、これが置き換わると非常に大きな省エネルギー効果となることが期待されます。1年に満たない短い時間で、原理の発明から実際に製作した装置による検証までが丁寧に行われた研究です。

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さらに日本代表からは、カイコの絹糸腺から抽出したセリシンが動物細胞培養素材に使える可能性を発見した慶応義塾大学1年(横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校出身)の藁科友朗さんが分子生物学部門優秀賞2等を受賞しました。 また、これまで捨てられていた野菜の皮や卵殻膜といった天然薄膜を燃料電池の電解質膜として利用できることを発見した米子工業高等専門学校の4年の前田千澄さん、3年の山村萌衣さんがエネルギー:化学的部門2等を受賞しました。 加えて、MIT Lincoln Laboratory Ceres Connectionプログラムにより、今回優秀賞1等と2等を受賞した3組4名のファイナリストの名前が小惑星につけられる予定です。

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なお、最高賞にあたるゴードン・ムーア賞にはカナダ代表のHan Jie (Austin) Wangさんの「Boosting MFC Biocatalyst Performance: A Novel Gene Identification and Consortia Engineering Approach (バイオ燃料電池の生体触媒性能の向上:新規の遺伝子同定とコンソーシア工学アプローチ)」が、次点にあたるインテル青年科学賞(Intel Foundation Young Scientist Award)には、米代表のKathy Liuさんの「Nature-Based Solid Polymer Electrolytes for Improved Safety, Sustainability, and Efficiency in High-Performance Rechargeable Batteries (高性能全固体二次電池における効率的で安全かつ持続可能な天然由来固体ポリマー電解質)」と、同じく米代表のSyamantak Payraさんの「Brace Yourself: A Novel Electronically Aided Leg Orthosis (新型パワード歩行補助具の開発)」が選ばれました。

日本サイエンスサービスによる日本代表支援

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日本サイエンスサービスでは、過去の科学自由研究コンテスト出場者のOG・OBであるスタッフがIntel ISEF日本代表の様々なサポートを行っています。高校生にとって、英語による海外での発表は経験がない人がほとんどであるばかりでなく、米国での研究発表は常識やルールも大きく異なります。そのため、せっかく良い研究であっても、単に日本で行った研究発表を英訳しただけでは評価してもらえないことも往々にしてあります。長年、サポートに関わってきた日本サイエンスサービスでは、このような日本での研究発表とIntel ISEFでのギャップを埋め、Intel ISEFで最大限活躍してもらえるようノウハウや情報を提供しています。2016年は、日本学生科学賞の2月事前研修会へのスタッフ派遣、JSECでのアブストラクトやリサーチプランといった事前提出書類・ポスター等の作成サポート、3月のインテル社および科学技術振興機構で行われた研修会の主催、4月の直前研修会へのスタッフ派遣、Intel ISEF2016フェニックス大会へのプレス派遣、最新Intel ISEF国際ルールへの翻訳対応等を行いました。

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3月24日から27日にかけて、インテルつくば本社とJST(国立研究開発法人 科学技術振興機構)東京本部にて開催した合宿形式の研修会では、日本サイエンスサービスから総勢26名のボランティアスタッフが参加しました。今年はファイナリストの人数が27名と過去最大となったため、始めの3日間のトレーニングはインテルつくば本社、最終日の発表練習や結団式はJST 東京本部に場所を移して開催されました。研修では、まずはじめにIntel ISEFの審査やレギュレーション、ポスターの作成方法などの説明を受けた後、NSSスタッフとともに研究の骨子を再構築する作業を行い、国際的な場で正確にわかりやすく伝えるための土台作りをしました。2~4日目は、さらにネイティブトレーナーを交えて、英会話練習、2分間の発表の原稿作成や練習、質疑応答の対策を行いました。Intel ISEFの審査は、英語による双方向のやり取りがとても大事になるため、特に質疑応答の練習を重視した研修となりました。

また、日本サイエンスサービスでは、毎年現地にスタッフを派遣し、ファイナリストの撮影を中心とした取材および広報活動やファイナリストの発表をサポートしています。撮影したファイナリストの写真は、新聞やテレビといった各報道機関でご利用いただいています。現地では、TwitterなどのSNSによるリアルタイムの情報配信を行い、1日のまとめをISEF.jpに掲載しました。本年は、プレスとして2010年ファイナリストの平田尊紀、2012年ファイナリストの鈴木麻衣子、同じく2012年ファイナリストの土井ひらくを派遣しました。

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Intel ISEF2016体験記

Intel ISEF 2016フェニックスに参加した16組27名の高校生と同時開催のBroadcom MASTERS International 2016に参加した1名の中学生に米国での体験や感想を文章にしてもらいました。Intel ISEFでは、準備で大変な思いをしたり、本番では悔しい思いをすることもあったようですが、人生を変えるような素晴らしい体験になったと多くのファイナリストが表現してくれました。体験記を通して、参加した人にしかわからない、Intel ISEFの興奮や熱気を少しでも感じていただければと思います。これからIntel ISEFに参加したいと思っている中学生や高校生の方は参考になる意見もたくさんあるので今後のヒントにしてみてください!(写真はノーベル賞受賞者のビショップ先生と写真を撮ってもらったファイナリストたち)

ISEF ~二度目の挑戦~

Project Title: A Novel and Simple Power Saving Controller for Stepper Motors

千葉市立千葉高等学校 市毛 貴大

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出国前の成田空港には昨年とは違う心境の自分がいました。昨年は初めてのISEF参加で緊張と不安でいっぱいでしたが、二度目の今回は不安が少ない反面、プレッシャーは大きくなっていました。機内では、想定質問やプレゼンのシミュレーションを行いましたが、昨年よりフライト時間が短いことと睡眠不足が影響し、2時間程度しかできませんでした。ロサンゼルスでの乗り継ぎを経て、フェニックスに無事到着すると、強い日差しとカラッと乾いた空気が出迎えてくれました。

到着後にはピンバッジ交換会があります。昨年はJSECメンバーの飛行機が遅れたため短時間の参加でしたが、今年は最初から参加することができました。

到着翌日は午前中にブースセッティングとブースチェックを行います。ブースセッティングは引率の先生に、ブースチェックは現地コーディネーターの方にサポートしていただきました。私の場合、研究に使用した装置や測定機器を展示するため、ブースチェックの通過が課題でした。それはブースチェックのレギュレーションが昨年から大きく変更され、回転部分の保護、絶縁方法やUL認証に関して疑問があったからです。この疑問があった部分についてはあらかじめ対策部品を用意していましたが、使うことなく無事通過できました。ブースに装置を設置する場合は、充分にレギュレーションを把握しておくと良いと思います。

その後、オープニングセレモニーやダンスパーティーなどのイベントが行われ、各国のファイナリスト達と交流することができます。特に審査前夜のダンスパーティーではファイナリスト達が審査のことを忘れるほど盛り上がり、二度目の参加の私でもその雰囲気に圧倒されました。その夜は翌日の審査に備え早く就寝するつもりが、不安に駆られて最終チェックを行い、就寝は結局深夜になってしまいました。

4日目は審査当日です。「研究内容を簡潔に伝えるように」と、出国前にご指導いただいたことを心掛け審査に挑みました。審査会場入口のファイナリスト達の流れを見ると次第に昨年の記憶がよみがえり、審査への緊張が高まってきました。会場入りしてから1時間ほど空き時間があり、審査のスケジュールを確認しました。この時間に、1社のスペシャルアワードの審査がありました。そして、グランドアワードの審査は全部で19コマありますが、私の場合はそのうち10コマの審査がありました。昨年は通訳のサポートが全てのコマにありましたが、今年はサポートのないコマもありました。聞き取りやすい審査員の場合は通訳のサポートがなくても質疑応答ができましたが、審査員によっては質問が聞き取れず、思うように返答できないこともありました。そのため審査員に研究内容が伝えられえたかどうか不安になるときもありました。コマ割りの審査が終わると2時間弱のフリー審査があり、グランドアワードとスペシャルアワードの審査員が回ってきます。その際に、前に審査していただいた審査員の一人が「君の研究はよかったよ。」と声をかけていただきました。それを聞いたことで研究内容がうまく伝えられていたことが実感でき、嬉しく思いました。そしてすべての審査が終了し、ようやく緊張から解放されました。

審査の翌日は一般公開日です。私のブースには小学生を中心に十数人の方が来てくれました。昨年より複雑化した研究内容を伝えるのは大変でしたが、簡潔な英語で伝えるように心掛けました。一般公開では通訳がないので、聞き手の理解度に合わせて説明方法を変えることが必要です。

その夜はスペシャルアワードの表彰式です。スペシャルアワードの審査員は、審査中に1社と審査時間外に2社来ただけでした。それは昨年より少なく入賞の期待はできませんでした。結局、予想通り名前を呼ばれることはありませんでした。

そして最終日はグランドアワードの表彰式です。私は昨年4等を受賞していたので、今年も入賞できるかというプレッシャーがありました。4等から発表が始まり2等まで自分の名前が呼ばれることはありませんでした。そのとき今年は入賞できないのではないかということが頭をよぎりました。1等の発表が始まり半分諦めていたその時”Takahiro Ichige”と名前が会場に響きました。名前を呼ばれたときは信じられないという気持ちと、賞をとれるだろうかというプレッシャーからの解放感がありました。更にベストオブカテゴリーまで受賞でき、とても嬉しかったです。ステージからの光景は昨年よりも輝かしく見え、今まで頑張ってきて良かったと思う瞬間でした。

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ISEF2016を終え、各国のファイナリスト達と交流し様々な研究に触れ貴重な経験になったと共に、英語の大切さを痛感しました。この様な経験ができたのも指導してくださったJSECやNSSの方々、そして先生方、引率してくださった方々、通訳の方々のおかげです。心よりお礼を申し上げます。

これからもISEFで学んだことや経験を活かしていきたいと思います。

自分の知る世界は狭かった!

Project Title: Marsilea leaf opening is controlled by cooperation of two blue light systems, stomata opening and gene expression

ノートルダム清心女子高等学校 岩井 楓

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日本学生科学賞の表彰式で、Intel ISEFへの参加権を得たということが分かった瞬間、心臓の鼓動が早くなっているのが分かりました。たくさんの人が夢見る舞台に、自分が日本代表として出場するのが信じられませんでした。その時は、喜びや不安といった感情よりも驚きの方が大きくて、あまり状況を覚えていません。

そんなことを考えているのもつかの間、早速、Intel ISEFに出場するための準備が始まりました。アブストラクトやリサーチプランなど、英語で読んで、書かなければいけない書類を大量に作りました。私は、昔から英語が嫌いだったので、書類を読むのにも作るのにも時間がかかって、本当に大変でした。また、書類の作成の期間が、6年間も通った学校の、卒業シーズンでもあったので、卒業前にみんなで旅行に行っている友達を見ていると、研究や書類づくりで忙しかったために一緒に遊べないのがつらいと感じることが多々あったことを覚えています。しかし、自分がアメリカに行って、日本代表として発表ができる、ということを思い出すと、それが、いつも頑張る源になっていました。

何回も発表練習や研修会を重ね、とうとう出国する日がやってきました。私は、出国直前までガチガチに緊張していましたが、空港で、今まで一緒に準備をしてきた日本学生科学賞のメンバーを見ると、なんだか嬉しくなって緊張がほどけたような気がしました。

アメリカにつき、Intel ISEFの会場に行ったとき、笑みがこぼれました。自分がこんな場所で発表するのか、と思うと嬉しさがこみあげてきたからです。同時に、その場にいることが誇らしく感じました。 Intel ISEFでは、毎日パーティーがあります。どの時間も、外国の友達と話すのが楽しくて、本当に充実していましたが、やはり、一番楽しかったのはpin exchangeの時間です。私は今まで、自分の間違った英語を外国の人の前で話すのが恥ずかしい、という思いを持っていたので、外国人と話すのを避けてきました。そのため、今回、話しかけられるか、とても不安でした。しかし、そんな不安を感じる必要は全くありませんでした。会場は英語でいっぱいで、いろんな人が日本人の来ている法被を珍しがって寄ってきました。最初は緊張しながら話していましたが、実際、相手のテンションは予想以上に高く、それにつられて、つたない英語でも相手と楽しく会話することができました。その時は本当に嬉しかったし、自分の気持ちを英語で伝えるのが楽しいことに気付くことができました。その時の経験と、その思い出として交換できたピンバッチは、私の一生の宝物です。

たくさんのパーティーや審査のための準備をしていると、審査の日はあっという間にやってきました。審査当日、緊張でいっぱいでした。しかし、ジャッジの方々は、笑顔で質問してくださったり、英語が聞き取れなかったら繰り返していってくださったりして、優しい対応を取ってくださいました。そのおかげで緊張がほぐれ、練習通りの発表ができたと思います。しかし、Intel ISEFは世界大会。簡単な質問ばかり飛んでくることはありません。質問ではなく、これ分かる?というような、問題が出されることも多々ありました。しかし、やはり、審査員の質問に答えた際に、なるほど、と言っていただけると本当に嬉しかったです。それと同時に、世界大会のレベルの高さも痛感しました。

私たちは日本代表として派遣されたものの、受賞することができませんでした。表彰式の時、本当に悔しかったのを今でも鮮明に覚えています。しかし、同じ日本代表から受賞者が出た時は嬉しかったし、誇らしく感じました。だからこそ悔しいという気持ちがさらにこみあげた、というのもあるかもしれませんが。

今回、Intel ISEFへの派遣を通じて、貴重な経験をすることができました。外国人との英語でのコミュニケーションや審査を経験したことで、自分自身大きく変われたような気がします。

最後になりましたが、Intel ISEFに参加するにあたりお世話になったNSSの皆様、読売新聞社の皆様、研究を支援してくださった先生方、先輩方、本当にありがとうございました。いい結果を残せなくてすみません。ファイナリストのみんなもいい人ばかりで家族みたいに仲が良くて、本当に毎日が充実していました。ありがとう!そして、長い間お世話になった田中先生、一緒に研究してきたちのちゃん。たくさん迷惑かけたと思います。でも、ここまで来ることができて、こんな経験ができて、私は本当に幸せ者です。本当にありがとうございました。

ISEFへの感謝の思い

Project Title: Mechanism of the Oscillating Chemiluminescence Reaction Using Luminol

市川学園市川高等学校 大崎 詩織

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ISEFに行く前の私は、研究をするということにあまり積極的ではなく、どちらかと言うと受動的で、そもそも研究は学校の授業の一環でやらなければいけないこと、として捉えていました。また科学の賞の存在についても疎く、JSECで賞を取り、アメリカに行く権利を得たという事を一緒に研究している友人から聞くまでISEFについては何も知りませんでした。そのため、英語の発表練習や質疑応答練習を重ね、直前研修を行う段階になっても、正直に言って日本代表になったという実感がほとんどありませんでした。そして、そのまま何だか漠然とした気持ちで準備を終え、フェニックスへと飛びました。

しかし、会場に行ってからそんな気の抜けた考えはがらりと変わりました。周りで話される様々な言語、周りを取り巻く緊張感もありつつどこかお祭りの様な楽しい雰囲気、そして一人ひとりの自信に満ちた表情から「あぁ、世界大会に来てしまったんだ」と実感しました。

初日の夜には、ピンバッジの交換会というイベントがあり、会場中の色々な国から来たファイナリストたちと、ピンバッジを交換して話をして、写真を撮って…ということをひたすら行う体験をしました。私は英語があまり得意でなく、英語で他の国の人と話すことに不安もあったのですが、そんな心配も吹き飛ばす勢いで話しかけてくれる人が沢山いて、色々な人たちと知り合いになることが出来てとても面白かったです。また発表の前日にはダンスパーティがあり、発表の前だというのに皆と一緒に大声で騒いで、踊って我も忘れて最高に楽しみました。何だか国境を越えるということを身を以て体験したようでした。ISEFではこのように毎日パーティやパフォーマンスショーの様な楽しいイベントが用意されていて、日本ではしたこともないような沢山の体験に日々浮き上がった気分でした。

ISEFの主旨は研究の審査で、発表は2~3分くらいの短めの発表を行い、残りは質疑応答をする形式でした。また、審査員の質問で聞き取れなかったところは通訳の方に訳してもらえました。この審査のために沢山の時間をかけて準備をしましたが、その苦労以上のことを発表の中で学ぶことが出来ました。1つに自分たちの研究に興味を持ってくれた審査員に説明することがなんて楽しいのだ、ということがあります。英語で話すことに初めは劣等感を感じながら説明していたのですが、審査員の方がうんうんとうなずきながら興味を持って聞いてくれたため、それからは開き直って自信を持って審査に臨めました。英語で発表することは日本語での発表となんら変わりはなく、伝えたい熱意を持って行えば伝わる ということが分かって嬉しく思いました。

翌日には一般審公開があり、近くに住んでいる一般の人たちや他のファイナリストが見に来てくれました。この一般公開では、小学生くらいの子からお年寄りまでが来るので、そのそれぞれの人に対して分かりやすく説明するのが難しかったのですが、興味津々に聞いてくれるファイナリストがいたり、日本語で話しかけてくれる現地の小学生の子がいたりして楽しんで発表が出来ました。

そして一般公開の夜にはスペシャルアワード、その翌日にはグランドアワードの表彰式がありました。残念ながら私達のグループは選ばれませんでしたが、同じ日本のチームからは3組選ばれたので凄く嬉しかったです。どの受賞者もステージ上で輝いて見えて、私はおめでとう、と心からの拍手を贈りました。

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このようにISEFは私に多くの楽しい貴重な経験をくれました。オーバーな表現と思われるかもしれませんが、思い出すだけで夢のような一週間だったと、そう思います。そして、間違いなくこれらの体験はISEFでないと出来ないことです。本当に最高だった。

また、私はISEFに行って以来科学に対する見方が変わりました。科学はもっと自分から学ぶことで、楽しくなり得るしひらけるものだと思うようになりました。なぜなら、科学を学ぶ人たちが世界中から集まって、科学に向き合うのがあんなにも楽しいこと、世界には自分と同年代で科学分野においてあれほど凄い人たちがいるのだということを知れたからです。また、自分も同じ場を共有していた一員であったことから、自分の研究をもっと誇っていいとも思えるようになりました。当初、ISEFのことを全く知りませんでしたが、今このことを思い返すと凄く残念に思います。もう少し前からISEFのことを知っていたらもっと科学に真剣に向き合えていたのではと思います。そのため、このISEFに行った経験を後輩たちなどに伝えていけたらと思っています。

最後に、今回ISEF に行くにあたりお世話になった朝日新聞社さん、NSS の方々、高校の先生方、両親、そして一緒に研究した2人、本当にありがとうございました。

 

自分を変えられた一週間

Project Title: Electrolysis occurring at unconnected electrodes

渋谷教育学園幕張高等学校 王林 思帆

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始まりは、日本学生科学賞の表彰式でした。環境大臣賞を頂いて、そこで私の挑戦は終わったと思っていた矢先、アメリカで行われるIntelISEF2016への派遣が発表されてしまいました。この頃は正直なところ、選ばれて”しまった”という気持ちだったのです。選ばれた直後はへらへらとアメリカ行くことになった~と周囲に報告していたものの、不安でいっぱいでした。私は小さい頃から人見知りで、人前で話すことがとても苦手でした。授業で先生にあてられることも嫌なくらいです。加えてアドリブ力もないため、日本学生科学賞の最終審査でもとても苦労しました。そんな日本語での発表もままならない私が、アメリカで英語での発表なんてできるわけがないと思いました。他のファイナリストやISEFを目指している方には失礼なことだとわかっていますが、むしろアメリカなんて行きたくないとすら思っていたのです。こんな風に思っている私なんかが出ていい大会なのかとも思っていました。そうこうしているうちに時がたって、こうした思いは変わらないまま出場のための資料作成をすませ、3月、3泊4日の研修会が始まりました。これにも実はあまり行きたくない、怖いと感じていましたが、この研修会で初めて、ファイナリスト全員と顔を合わせ、本格的な発表練習を行いました。研究内容の整理、英語での発表原稿作成、質疑応答も含めた発表練習、NSSのみなさんやネイティブトレーナーの方と話し合いながら順調に行うことができました。自分でも夜遅くまでホテルの部屋で練習し、発表のできはまだまだでしたが、思っていたよりはうまくできたので少し自信がつきました。また、研修会を通して改善点もはっきり見え、また何より他のファイナリストの真剣に取り組む姿勢を間近で見たことで、ISEFについてやっと前向きに、もっとがんばろうと考えられるようになったのです。ここまでやる気がなかったわけではないですが、ようやくやる気に火がついた感じでした。それが自分の中では一番よかったことだと思います。研修会のおかげで、4、5月は積極的に準備に励むことができました。ISEFへの恐怖感も消えていました。

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そして5月、アメリカ・フェニックスへと旅立ちました。初日はブースにポスターをセッティングした後、ピンバッチ交換会がありました。人見知りなので緊張しましたが、会場の雰囲気におされ、すれ違う人に次々話しかけることができました。結果的に200個以上のバッチを交換でき、たくさんの方と写真もとれて、すでに達成感でいっぱいでした。また、翌日のオープニングセレモニーでは日本から3人が代表として壇上にあがるのですが、その役に自ら立候補しました。せっかくここまできたのだから何か爪痕を残したい、と思って勇気をだしました。ここまで、過去の自分からは考えられないくらい積極的だったと思います。反面、ダンスパーティーでは疲れもあり、あまりはしゃぐことはできませんでしたが(笑)このようなイベントがない午前中は、会場のフードコートで通訳さんとずっと発表練習をしていました。ここでより実践的な表現をたたきこんで迎えた運命の審査会。その日に限って寝坊するというハプニングもあって朝は慌ただしく、それほど緊張していませんでした。審査員がくる直前はさすがに緊張しましたが、どの方も笑顔で優しく聞いてくださって、質問もゆっくり行ってくださったおかげで、緊張もほぐれました。また、みなさんこういうところがいい、とすごくほめてくださいました。中でも、「科学とはこういうことだよ!」と言われたことが嬉しくて印象に残っています。あっという間に過ぎ、寂しくも感じた一日でしたが、全力を尽くしました。最後の審査が終わって、相方である杉本さんとハイタッチをした時、後悔はない、とはっきり思いました。一般公開では浴衣を着ていたので、たくさんの方に写真をとろうと言われました。見学に来た現地の小学生に研究を説明するのはある意味で審査よりも難しかったですが、リラックスして行うことができました。その日の夜、Special Awardの表彰式がありました。私は受賞できませんでした。私の研究は基礎研究なので、応用を重視する企業からの賞をもらえる可能性は低いとわかっていましたが、ショックでした。だからこそ、次の日のGrand Awardにかけていたのです。しかし、そこでも私が受賞することはありませんでした。表彰式が終わって、席で待機している間、こらえきれない涙があふれてきました。こんなに悔しいと思ったのは初めてで、なかなか涙がとまりませんでした。でも、私は今の自分が出せる全力を尽くしました。それだけは確かでした。今思い返してみても、後悔はないという思いは変わりません。帰国して2週間がたちますが、アメリカでの楽しかったこと、悔しかったこと、いろんな思い出が鮮明によみがえります。この体験記を書きながら涙がでそうなくらいです。本当に楽しかったし、貴重な経験になりました。自分に自信がついたし、大きく成長できました。帰国後、友達に「前より生き生きしている」と言われたことがその証拠だと思います。数カ月前が嘘のように、出場してよかったと心から思っています。出場にあたって支えてくださったたくさんの方々、そしてこんな私と一緒にがんばってくれた杉本さん、本当にありがとうございました。

夢の一週間

Project Title: Antibacterial Substances from Larvae of Drosophila melanogaster

浦和第一女子高等学校 岡部 七子

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ISEFに参加したあの1週間は忘れられません。どのくらい忘れられないかというとISEFの間、朝昼晩に食べたものをすべて覚えているほどです。……わかりませんね。

真っ青な空に、痛いほどの日差し、その下にあるISEF会場が今でも目に浮かびます。

とにかく楽しかった。私の乏しいボキャブラリーではその楽しさを言い表し切ることは到底できません。夢のような一週間でした。この素晴らしい機会をもらえたことに感謝の言葉しかありません。ISEFが終わってしまったことが悲しくて仕方ありません。5月8日にタイムスリップしたい。あと10回くらいISEFに行きたいです。

学生科学賞の表彰式でISEF日本代表に自分の名前が呼ばれた時には驚きました。優秀賞に名前が呼ばれた時点でISEF出場は諦めていました。過去ISEFに出場したのは内閣総理大臣賞や文部科学大臣賞を受賞していた人ばかりだったので。だからこそISEF日本代表に選ばれた時は本当に嬉しかったです。ISEF出場は高校生になってからの私の夢でした。

実際、ISEFの楽しさは想像以上でした。ダンスパーティーに、ピンバッチ交換会。びっくりするほど派手なオープニングセレモニー、そして日本では考えられないほど盛り上がる表彰式。審査と一般公開で自分の研究をアピールするのも楽しかった。全てが夢のようでした。

準備は大変でした。英語で論文など書いたことがなく、論文英語になっていないと何度も怒られました。何度も書き直し、徹夜する日もありました。でもそれを含めてISEFは楽しかった。学ぶことばかりで毎日が刺激的でした。

しかし、ISEFやその準備期間の中では、世界各国から来たファイナリスト、他の日本代表と比べ、自分の無能さを痛感しました。

論文を書き、想定質問集を作る間に、知識のなさを認識しました。実験の仕方、論文の書き方、さらには自分の研究分野であるショウジョウバエや抗菌物質についてさえも知らないことばかりでした。自分が行った実験に、何でこんな方法で実験をしたんだろう。もっと良い方法がいくらでもあったのに、と反省することばかりでした。

英語力のなさも実感しました。審査員の一人が私の英語をほとんど聞き取ってくれませんでした。私は英語で研究の説明をしているのに、その人は「英語に訳して下さい」と通訳さんに言いました。愕然としました。おそらくその人はネイティヴ英語ではない発音に慣れていなくて、私の発音が聞き取れなかったのではないかと通訳の方に言われました。ほとんど聞き取ってもらえなかったのは悲しかったです。英語の見直しが必要だと思いました。

もう一度研究をするのが今の夢です。そのために大学ではそれに耐え得る知識、英語力をつけます。

ISEFでの素晴らしい経験を無駄にすることがないようこれから努力します。

最後に、何度も論文を直してくださった総合委員の先生、読売新聞社の方、たくさんのアドバイスをくださったNSSの方々、研究を支えてくださった学校の先生、日本代表のメンバー、そして愛すべきショウジョウバエの幼虫に。本当にありがとうございました。

 

ISEF・Broadcom MASTERS Internationalでの経験

出雲市立第三中学校 片岡 柾人

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理科の授業でいつも通り理科室に向かうと、突然先生に呼ばれ、「米国派遣に推薦されたんだけど、行く気ある?」と聞かれました。僕は「いきたいです!」と即答しました。うれしかったです。でも、時間がたつにつれて、英語で話せるのかという不安の方が大きくなっていきました。それから、英語の猛特訓が始まりました。中学校に入ってから始めた英語のレッスンも、時間を増やし、新しいレッスンも入れました。

僕は、中学生のため、ISEFのファイナリストとしては参加できませんでした。僕は、中学生の国際研修プログラムである、Broadcom MASTERS Internationalに参加しました。また、Intel ISEFの公式オブザーバーも兼ねて出場しました。5月8日、日本学生科学賞からの代表団に加わって、アメリカに渡りました。日中はBroadcomのプログラムで行動し、そのあとはピンバッチ交換会やダンスパーティー、オープニングセレモニーといった夕方から夜に行われるISEFのイベントに参加しました。BroadcomはISEFよりも1日ほど早く全プログラムを終了し、ISEFのスペシャルアワードセレモニーから後は、完全にISEFのみで行動しました。

Broadcomでは、楽器博物館や植物園などの見学、アリゾナ州立大学での研修、タリアセンウェストでのデザイン学のツアーなどがありました。もちろん、自分のプロジェクトの発表もありました。さらに、自分の国の科学者を紹介する時間もありました。僕は、同じ分野の研究者である、大村智教授を紹介しました。自分のプロジェクトの発表は、3分以内で話せと言われ、用意していた6分余りの原稿をその場で頑張ってカットし、何とか収めました。こういった発表の臨機応変さは、学生科学賞で培われたと思います。

Broadcomでは、日本人は僕一人で、通訳もなかったので、英語でのコミュニケーションには苦労しました。自分の研究の発表だけは完璧にしていったのですが、日常会話はあまりうまくできませんでした。他の国の参加者は、英語が公用語であったり、英才教育などで特別に英語を習得していたり、標準的な英語教育のレベルが高い国であったりしたので、英語が話せないのは僕だけでした。そのため、他の参加者から初めは少し距離を置かれていたのですが、楽器博物館でピアノを演奏したら、とても上手だと驚かれ、その時からちょっとした人気者になりました。ピアノを習っていてよかったと思いました。そして、言葉が通じなくても音楽で通じ合えることを実感しました。最終日には、メダルと修了証の授与式がありました。その後のパーティーでは、他の男子達と風船で汗が出るほど遊びまくって、楽しい時間を過ごしました。言葉はあまり通じなかったけど、最後にはとても仲良くなりました。

今回の米国派遣は、とても楽しかったです。そして、とても良い、貴重な体験になりました。このような機会をくださった方々にと思います。そして、これまで僕の研究に協力してくださった方々、研究対象であるダンゴムシとワラジムシにも感謝したいです。

これからも研究を頑張って、来年もこの研修に参加したいです。そして高校生になったら、ISEFにファイナリストとして、参加したいです。

ISEFに出場して

Project Title: Structure and function of the white leaves of the silvervine (Actinidia polygama)

秋田県立秋田中央高等学校 佐々木 円香

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昨年の12月にISEFへの出場が決まった時は驚くばかりで、怖気づいてさえいました。
とにかく大変なことになったなと思うばかりで、自分が出ていいものなのだろうかと12月から2か月くらい毎日そればかり考えて過ごしました。大学に入学し、慣れない大学生活を送る傍らISEFの準備は本当に大変でした。しかし、私はISEFに出場して普段の生活では絶対に味わうことのできない貴重すぎる経験をたくさんすることが出来ました。

アリゾナに到着したその日の夕方はピンバッチ交換会がありました。はい今から交換スタート!のような合図が全くなく、気づいたらもう始まっている感じだったので驚きました。序盤は話しかけられるばかりでなかなか自分から話しかけることが出来ませんでした。そこで海外の人達に負けないよう、いつもは人に話しかけることなんてないのにこの時ばかりは積極的にたくさんの人に話しかけました。こんなにも様々な国の人と話す機会は今後の人生でもうないだろうと思ったのでとにかく話しかけまくりました。持っていたピンバッチや他にあげるために持って行った物を全部交換し切れたので満足でした。

3日目は通訳の方と一緒にプレゼンテーションの練習をしました。私たちの発表の通訳を担当してくださった方は私たちの研究の内容を完璧に理解してくださり、ここでこういう台詞を入れた方が伝わりやすいなど通訳をするだけでなく、プレゼンテーションの内容についてまでたくさんアドバイスをして頂きました。たくさんアドバイスをしてくださったおかげでプレゼンテーションがより理解しやすい内容になり、練習をするごとに本番に向けての自信に繋がりました。

4日目はいよいよ審査会でした。緊張は全くしない質なのでそれに関しては心配していなかったのですがどんな質問がくるかということが何より心配でした。英語での長々とした複雑な質問や答えにくい質問がくることを想定し、答え方を練習していましたが案外シンプルな質問が多かったので助かりました。また、不思議!、今まで見た植物の研究で一番興味深くて面白い!など、私たちの研究に興味をもってくださる方がいて本当に嬉しかったです。質問に対してできるだけ英語で返答するように心がけていましたが、私たちを気遣って日本語で答えてもいいよなどと言ってくださる優しい方もいました。ただ、英語をもっと話すことが出来ればもっと上手く説明できるのに…と思うことは何度もあり、英語力の足りなさを改めて思い知らされました。

6日目はグランドアワードセレモニーがありました。会場の照明の暗さもいい感じで前日の夜にほとんど寝ていなかったので睡魔が襲ってきて大変でした。ちゃんと寝ておけば良かったなと後悔しながら半目を開けて表彰の様子を見ていたその時、Japan!のコールが聞こえました。その瞬間で完璧に目が覚めました。前日のスペシャルアワードセレモニーで日本チームの受賞がなく、グランドアワードセレモニーでの日本チームの受賞を楽しみにていたので本当に嬉しかったです。その後も日本チーム2組が受賞し、嬉しい限りでした。また、様々な人種の人達がステージ上で共に功績を称え合う姿にとても感動しました。本当に素晴らしい光景でした。

その他現地で観光やメジャーリーグの観戦など本当に楽しい経験をたくさんすることが出来ました。私はISEFに出場し、数々のことを学び、良い刺激をもらいました。まず、研究に対する考え方が変わりました。単に面白そう、不思議、解明したいという思いから研究を始めるのもそれはそれで良いのかもしれません。しかし、実際のところ世界が求めているのはその研究の実用性であるということを知りました。海外のISEF出場者の何人かから研究のアブストラクトをもらいましたが皆実用性に富んだ研究ばかりで世界の学生の研究レベルの高さ、研究に対する意識の高さを痛感しました。また、堂々としていて迫力のあるプレゼンテーションや英語圏の国の出身でなくても流暢に英語を話せる所など見習うべきことがたくさん見つかりました。ISEFに出場したことで学んだことはきっと自分が今後生きていく上で重要な糧となっていくのではないかと思っています。

高校2年生からこの研究を始めてISEFに出場するまで本当にたくさんの方々にお世話になりました。研究のご指導をしてくださった高校の先生や大学の先生、NSSの皆さん、家族、読売旅行の皆さん、JSSA、JSECのみんな、家族、そして共に研究を頑張ってきた仲間に心から感謝します。

 

無常を観ずるとき吾我(あが)の心生ぜず

Project Title: Dragged wave” generated by a line segment source Analyses and experiments on the wave pattern staying around a line segment source

広島県立府中高等学校 佐藤 圭一郎

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無常を観ずるとき吾我(あが)の心生ぜず(自己存在の根元的な危機に直面したら,汚れた自我は壊れ,清らかで新しい自己[1]が顔を出す)

Intel ISEF出場につながる様々な縁起[2]は,僕を不染汚[3]に導き,阿頼耶識(あらやしき)[4]を引き出してくれました。

実を言うと,僕は人見知りで,自分から人に話しかけることが苦手でした。しかも,高校入学直前に大怪我をしてしまい,皆より2週間遅く学校に通い始めました。1年生の間,それは影を落とし続け,徐々に僕の心は染汚で満たされていきました。そんな中で,僕は高校生の間に研究を体験したいと思っていた物理部に入部することにしました。活動は予想以上に忙しく,常に研究と発表の難しさに苦しんでいました。2年生に進級してからも,発表が苦手で質疑応答でも戸惑うことが多々ありました。一方で,身体への怪我の影響は小さくなり,それまでよりも活発に動けるようになりました。そのおかげか,新しい自己に気付き,止観[5]が行えるようになりました。さらに,クラスでの活動や部活動を通して,周りの人の優しさの有り難さや,人と関わることの楽しさに気付かされました。それは,ちょうど僕達の研究班がISEFへの派遣メンバーとして選抜された頃の話です。
その後,ISEFに備えて1月と4月に読売新聞社が,3月にNSSが主催を務める研修会が行われました。様々な活動の中で一番辛かったことは,3月の研修会で連夜遅くまでNSSの方々と一緒に,英語を用いた発表と質疑応答について何度も議論したことです。結局,その研修会では練習を満足いく程に出来ず,その後は直(ひた)向きに練習を繰り返しました。そのおかげか,4月の研修会では大学教授の方々を相手に全く緊張せず,逆に堂々と開き直れ[6]ました。

発表する時,僕はいつも2つのことを意識しています。
1つ目は,相手により良く理解してもらえるように分かりやすい説明をすることです。「この説明ならば理解できるだろう」と現状に満足するのではなく,「あの人にはこの説明でも理解してもらえなかったから,もっと工夫するべきだな」と常に向上を意識することが大切です。2つ目は,堂々と胸を張ることです。発表をする時は誰でも緊張すると思います。しかし,逆に,相手の質問を論破するくらいの意気込みで取り組むと,徐々に発表が楽しいと感じるようになります。まさに,開き直りです。

しかし,本番ではそうはいきませんでした。僕がISEFで苦労したことは,2つあります。
1つ目は,外国のファイナリストと同じくらい気分を高揚させることです。元々,僕はISEF主催の交流イベント全てを楽しむつもりでした。実を言うと,最初は大勢の人が盛り上がっている光景を目にして,怯(ひる)んでしまいました。しかし,ここで楽しまなかったら損をするに違いないと思い,ダンスパーティーでは皆と一緒に踊り狂いました。そうすると心の底からエネルギーが湧いてきて,気付けば他に劣らぬ程の勢いで踊っていました。その後も気分は高ぶり続け,どんなイベントも思う存分楽しむことが出来ました。さらに,一般公開の日には「ダンスパーティーで勢いよく踊っていた人だよね」と声をかけてくれる人が何人もいました。その時に,やはり楽しい時間は誰とでも共有できるのだなと改めて感じました。
2つ目は,自分の研究をより良く理解してもらうための説明をすることです。審査会で尋ねられた質問はほとんど想定していたものでした。しかし,見解の違いから相手に自分達の考えが伝わらないことが多々ありました。言い換えやより具体的な説明をしても理解してくれない人がいる時は,すごく悔しい気持ちになりました。残念ながら僕達JSSA組は受賞出来ませんでしたが,大変な審査会で自分の力をしっかりと発揮したので,それで満足です。しかも,このようなディスカッション能力は現代社会で必要とされています。それを高校生の間に習得できることはとてもかけがえのないことだと思います。

この体験記を読まれた方は,「なぜこの人は仏教に関する難しい言葉を使うのか」と疑問に思われたでしょう。それは,宮大工になることが僕の夢だからです。小学生の頃,僕は家の倉庫を整理した時に,偶然,紙工作の本に出会いました。それ以来,図面と向き合うのが当たり前になりました。さらにその本に掲載された設計図では満足出来ず,自分で描くようになりました。その姿を見て,母は僕に建築士になることを勧めました。その後しばらく,僕はこの世の真理を説く仏教に心惹かれるようになりました。同時に,”現代建築は人類の過剰に膨れ上がった欲望を満たすための道具にすぎない。逆に,古から伝承される文化財を未来に残す伝統建築にこそ,携わる価値がある”と考え始めました。ここでも,僕は縁起に導かれました。

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こうしてIntel ISEF出場につながる様々な縁起は,僕を不染汚に導き,阿頼耶識を引き出してくれました。今では,自己のままに人生を楽しんでいます。この姿は,以前よりも大いに輝かしいものです。今回,僕は自分が研究をこよなく好いていることに改めて気付かされました。また,新たに伝統建築について調べたいことを見つけたので,今後も研究を続けようと思っています。
僕がこんなに変化できたのは,ISEFという貴重な機会に恵まれたこと,沢山の人に支えていただいたこと,物理部に出会ったことなど全ての縁起にあると思います。本当に,感謝してもしきれません。今回経験した事をこれからの人生でも存分に活かしていきたいです。また,皆の阿頼耶識を引き出して,自己のままに生きることの素晴らしさを気付かせられる人になりたいです。

[1] 自己…自分自身の意識
[2] 縁起…条件の集まり
[3] 不染汚…染汚(汚れる)以前の心,清浄な心
[4] 阿頼耶識…心の根元の力
[5] 止観…1.心を綺麗にする事を目的として自覚する道 ‐‐‐‐ 止
2.事実をありのままに見ることを目指す道    ‐‐‐‐ 観
3.存在の真理を見て,人間的な概念を自己批判する道‐ 観

[6] 開き直る…恐怖の自我を突き抜ける

僕にとってのISEF

Project Title: Development of Nitrate-ion Battery to Realize a Sustainable Denitrification System

静岡理工科大学静岡北高等学校 佐藤 俊輔

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最初、英語圏へ行くことには、不安しかありませんでした。ですが、事前研修で英語を鍛えてもらったり、プレゼン方法を教えてもらったりと徐々に自信がつきました。実際行ってみてプレゼンテーションをすると、自分の言っている内容が理解されていることを感じ、とてもうれしく思いました。気になるプレゼンテ―ションも分かりやすい英語で説明してくれたり、身振り手振りで教えてくれたりと、外国の人は思っていたよりも優しかったです。僕は環境工学の分野を多く聞いたのですが、どの研究もこれからの世界のため、今困っている人のためにやっていて、実現できれば素晴らしいなと思いました。

多くの人と写真を撮り、四苦八苦しながら会話し、日本の友達とも連絡を取り、目まぐるしく一日一日が過ぎていきました。とても楽しい日々でしたが、審査会の日が刻一刻と迫ってくる中に、なんともいえない重圧を感じました。実際、審査会当日はピリピリとした雰囲気が漂っていて、気が引き締まる気持ちとわくわくが心を占めていました。審査員の方はよく褒めてくれましたが、JSECほど厳しい質問が来なかったので、もっとアプローチの方法を変えれば深く議論できたのかなと、今後の課題も見つかりました。

長い期間ISEFに向けて準備し、発表内容を何度も変えたりととても大変でした。僕は英語があまり得意ではなかったので、原稿が変わるたびとても苦労しました。ALTの先生による発音チェックやAEONでの発音チェックなど厳しい指摘ばかりで、楽な道のりではなかったけれど、高校生ならではの楽しい時間を過ごせました。
日本にいたなら経験できない貴重な体験なので、緊張しましたがFESなので楽しむこともでき、とても有意義な一週間が過ごせたと思います。今回、参加できたのは多くの人の支えがあってこそだと思うので、受賞出来なかったのとても残念でした。NSSの方や、両親、先生、友達、後輩など多くの人に支えてもらい、大舞台で発表できたことを誇りに思います。

「努力していても、していなくても、負ければ悔しい。だからこそ、たくさんの練習をして、負けるのを先延ばしにするんだ。」

という言葉が僕は大好きです。今回のISEFに向けてたくさん努力したとおもうのですが、それでも受賞した人よりも足りなかったと僕は考えます。今回の悔しさ・経験を今後の人生に活かせるように努力していきたいと思います。

世界を舞台に自分ができたこと

Project Title: Development of Nitrate-ion Battery to Realize a Sustainable Denitrification System

静岡理工科大学静岡北高等学校 渋川 直生

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私は2015年の春から課題研究を始め、慣れないこと、初めてのことばかりで四苦八苦しながらやっとのことで書き上げたのがJSECに提出した研究報告書でした。最終審査まで進み、JFEスチール賞を受賞できるなどその時には思いもしませんでした。ISEFに出場できることを知ったときは自分の研究が認められたと喜ぶ反面、不安を感じました。世界の舞台に発表することへのただ漠然とした不安でした。

その気持ちを少しでも拭おうと、必死にISEFの情報を調べ、準備をし、対策を練りました。JSECとの一番の大きな違いは審査項目が開示されていて、それがサイエンスとエンジニアリングとで異なっていることだと思います。自分の研究を一から見つめなおし、環境工学のカテゴリーで出場することに決めました。その審査項目の違いが一番反映されたのはポスター制作だと思います。ISEFでは前日の夜に審査委員がポスターをチェックしてから審査会となるため、ポスターを読んだだけで内容が理解できることを条件に、決められた容量の中で自分の研究をアピールしなければなりません。最初に研究を始めようと思った動機、この研究の必要性、開発したシステムがどのように、何に対して役に立つのかを中心にまとめました。これは大変な作業でしたが、自分のカテゴリーがエンジニアリングであることを再認識し、頭の中を整理することに役立ちました。

二分半程度の原稿を作り、想定質問とそれに対する受け答えを考え、発表内容が固まっても、不安に思うことはありました。それは、緊張すると気持ちばかりが前に出てしまい、言いたいことが伝わらなくなってしまうということでした。実際にそれは三月の事前研修会でも指摘されたことで、その後何度も練習を重ね克服したようにも思えましたが、本番、おそらく周りは自分よりも流暢に英語話す人ばかりの中で、その場の空気に負けてしまう、なんてことも十分にあり得ました。

ISEF開催中はピンバッチ交換会、ダンスパーティーなどたくさんのイベントが開かれ、私はどのイベントにも積極的に参加しました。ブースセッティングの合間にも、近くのブースのファイナリストに声をかけ、自分のことや自分の研究のことなどを紹介しあいました。ただ単純に楽しもうというばかりではなく、できるだけこの場の雰囲気に慣れよう、英語に慣れようと思ったからです。そこで驚いたのは、今振り返ってみれば当たり前のことですが、他のどのファイナリストも私と同じように緊張し、不安を感じていたことです。自分だけではないと知れたことで、いくらか気持ちが楽になった部分はありました。

そして審査当日、チームのメンバーと最終確認をしたあとは、もう開き直ってしまおうと自分に言い聞かせました。準備できることは全てやり切った、目を見て、ゆっくり、大きな声で話せば言いたいことは伝わる、それでも伝わらないようだったら、もしくは聞き取れないようだったら何かこの研究のアピールポイントなどを脈絡がなくとも話してしまおう、とにかく沈黙をなくそうと考えました。

結果的に言えば、発表では自分たちの力を出し切ることができました。その場の空気に負けてしまうことを心配していましたが、どの審査員の方もフランクだったおかげでリラックスした状態で発表をすることができました。途中、質疑応答の時に話がそれてしまうことがあったものの、チームのメンバーがフォローしてくれたおかげで何とか話にオチをつけることができました。スペシャルアワードの審査は予定表になく、通訳の方もいない状況でしたが、その時も自分たちの力で発表を進めることができました。

発表は上手くいきましたが、自分たちの研究内容についての課題は残りました。それは実用化の部分です。私たちの研究では自分たちで理論を立て、それが実際に可能であることを検証することまでしか出来ませんでした。だから、もちろん質問されると予測はしていたし計算もしていたものの、今現在のモデルがどれほど稼働しそれが生産コストに見合うのかどうか、つまり費用対効果について質問されたときは、正直に「その改善案はいくつかあるものの、今のモデルでは生産コストに見合うだけの値は取れない」と答えるしかありませんでした。審査員の方々の反応も、「発想は面白いけれど、実用化には至っていないのは残念だ」という反応でした。
そして表彰式となりました。自分たちのチームが名前を呼ばれることはありませんでした。

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ISEFに出場し得たものはたくさんあります。でも、一番大きなものは、この時感じた悔しさだと思います。必死で準備をし、慣れない英語の中で、自分にできる最高の発表ができた。賞をとることができなかったのは、他の研究と比べてまだ内容として未完成だったからだと強く実感しました。しかし、私の夢である研究者になるためには、いつかは越えなければいけない壁なんだと思いました。

この気持ちを忘れずに、これからも研究を続けていきたいです。

人生が変わってしまったかもしれない一週間

Project Title: Electrolysis occurring at unconnected electrodes

渋谷教育学園幕張高等学校 杉本 久菜

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正直なことを書くと、私は学生科学賞の表彰式でISEFに参加するメンバーとして名前が呼ばれたとき、実はそんなに乗り気ではなかったのです。人前で話すことが嫌いとか、英語が苦手とかそういうことではないのですが、やはり純粋に嬉しいというわけではなかったのです。今思い返すと、なんてふざけた考えを持っていたのかと少しあきれてしまうし、あの時の自分に「今から人生が変わってしまうようなすさまじい経験をするんだぞ!」と言いたくなってしまいます。そう、本当に行く前と後ではこんな私の考えは180°変わってしまったのです。

選ばれてから3月にある研修会までの間、英語でリサーチプランやアブストラクトを書き、英語での発表に向けて原稿を作ったり、発音を直したりとやることが多く、毎日が忙しく過ぎていきました。部活の顧問の先生やネイティブの先生、学生科学賞の総合委員の先生が英語の添削や内容の確認などをしてくださったおかげで何とか形にすることが出来ましたが、専門用語やその発音が難しかったことは忘れもしません。

こうしてなんとか準備を終え、フェニックスへと飛び立ちました。5月にもかかわらず、40℃近くにもなる暑さがアメリカに来たという実感を湧かせてくれました。オープニングイベントもダンスパーティーでも思ったことは外国の人がタフなこと。明日は審査日なのになんであんなに元気に踊っていられるのだろう…と衝撃を受けました。かくいう私も結構踊って疲れてしまい、翌日起きたら集合の数分前という事態になってしまったのですが。こうして審査日は怖いものなしで臨みました。確かに、英語で発表することはできても、知らない言葉で質問されると焦ってしまうということもありましたが、通訳の方のサポートが本当に心の支えとなりました。前日の打ち合わせの際に練習した質問が出ると、少し心に余裕が出来たりもしました。また、審査員の先生もとても私たちの研究に興味を持ってくださり、「これはすごいね!」とおっしゃってくださったことが本当に嬉しかったです。審査の空き時間にも私たちの研究の審査員ではないGrand Awardの審査員の方が、前日にポスターを見て気になっていたから研究の内容の聞かせてくれないかとブースに来てくださったのも驚きました。世界でも私たちの研究を面白いと思ってもらえるということが直に分かり、何とも言えないほど嬉しくてこのことは忘れまいと思いました。一般公開の時も地元の小学生がキラキラした目ですごく面白いと言ってくれたり、日本をアピールしようと着ていた袴を褒めてくれたりしました。ほかにも、いろいろな国の人と自分たちの研究について話したり、たわいもないことを話したり、たくさん写真を撮ったりと今までにはない経験が常に刺激的でした。

なんだかんだで一週間は早いもので、表彰式まではあっという間でした。私たちのチームは入賞できなかったですが、日本チームの名前が呼ばれる度、日本の研究が認められていくという感じにただただ感動しました。やはり、表彰式が終わった後には悔しくて涙が出そうになりましたし、リベンジしたい、そういう思いも出てきたりしました。それでも、すごい経験をしたんだ、すごい人たちに出会ったのだと思うと、このISEFという経験が高校生活、そして人生の中で大きな糧となったような気がしました。それはたった一週間の間に世界中から集まったファイナリストとISEFという大会から受けた影響があまりにも大きかったからだと思います。行けてよかった、今はこの思いしかありません。

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今回このような経験が出来たのは化学部の顧問の先生方、担当してくださった総合委員の先生、JSSA、NSS、学校で励ましてくれた友達、日本のファイナリストの人たち、両親、そして一年弱一緒に研究を続けてきてくれた王林さんのおかげだと思っています。この経験とひっくり返された私の考えは一生の宝物です。本当にありがとうございました。

ISEF2016 私たちの挑戦

Project Title: Development of Nitrate-ion Battery to Realize a Sustainable Denitrification System

静岡理工科大学静岡北高等学校 鈴木 晶子

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ISEF2016出場が決まった時、最初はただただ驚くばかりで全く実感が沸きませんでした。

JSECファイナリストになることさえ諦めたかけた私たちが、まさか世界の舞台で発表できるとは全く思っていなかったからです。代表になってからはアブストラクトやポストサマリーに追われる日々でした。今まで使ったことのないような単語や文法が続々と出てきて、解読にするのに苦労しました。さらに自分たちの英語がネイティブチェックの先生に伝わらず、どうしたら伝わるのかと試行錯誤しました。ISEF本番2ヶ月程前になると事前研修合宿が行われました。今まで英語での発表は何度かやったことがあり、そこまで苦労しないだろうと合宿前は考えていました。いざ合宿が始まると2分という短い時間に英語で、要点を分かりやすく説明するのはとても大変でした。どこを削るのか、どういう表現をするのかでチームのメンバーと口論になったりもしました。NSSの方々やネイティブの先生から英語や発表の指導も受け、自分たちの考えがいかに甘かったか思い知らされました。その一方で同じファイナリストと交流したことで刺激を貰い、もっと頑張らなければならないと改めて思いました。研修後は発表や質疑の準備、ポスター作成に取り組み、あっという間にISEF本番となりました。暇さえあればお互いに質問を出し合って確認をしてきましたが本当に大丈夫だろうか、何か困る質問はないかと不安を持ったまま日本を発ちました。約11時間のフライトを終え、ようやくアリゾナ州フェニックスに到着しました。その後、すぐに会場へブースセッティングに向かいました。ISEF会場に着いたときようやく「ああ、ファイナリストになれたのか。」と思いました。会場では様々な国から来た学生でいっぱいで、私もこれからの一週間に胸が高鳴りました。初日のピンバッチ交換に始まり、二日目、三日目はブースのチェックとオープニングセレモニー、ノーベル賞受賞者のパネルディスカッションを行いました。パネルは今まで作ったどのポスターより大きく、組み立てるのにも一苦労でした。ピンバッチ交換ではとにかく自分から話しかけよう!そう心に決めて臨みました。さまざまな国の人とお話しすることができ自身の国について紹介しあい、中には日本語を勉強している子も何人かいて海外の学習意欲の高さに驚かされました。そんなお祭りムードから一転。ついに審査会当日となりました。前日も入念にチームメンバーと質疑を確認し、準備は万端でした。ほかのファイナリストもパーティの時とは打って変わって真剣な表情で、緊張がうかがえました。私もとても緊張して、腹痛とともに朝ごはんのメロンを落とすほど手が震えていました。会場入りしてすぐに審査スケジュールを確認しました。私たちの審査は比較的午後に入れられていたため午前中に反応を確認しつつ対応していくことにしました。一番の不安であった質疑も想定していたものが多く、ほとんど自分達の力で伝えることができました。思っていたよりも自由な感じの審査で、多くの審査員の方々が「この研究すごく面白いね」と言ってくださり、楽しみながら発表することができました。審査が無い時間帯にフラッとスペシャルアワードの審査員の方が来たときはかなり焦りましたが、通訳の方なしでもなんとか言いたい事を伝えられる事ができました。審査会は自分達ができる事すべてやりきった。と言えるほど最高の発表ができ、達成感と安堵感を胸に会場を後にすることができました。次の日は一般公開で、地元の子供たちに向けてプレゼンをしました。子供たちに分かりやすいように単語や言い回しを変えてやるよう心がけました。子供より興味をもってくださったお母さんもいて、研究について詳しく質問してくれたときはとても嬉しかったです。隙間の時間にはほかの研究を見たりして、世界の学生がどうやって研究しているのか知る事もできました。その日の夜はスペシャルアワードの表彰式でした。残念ながら日本の受賞者はいませんでした。自分たちがチャンスをものにできなかったことの悔しさでいっぱいでした。そして明日のグランドアワードへの緊張が高まりました。

次の日、少しの期待と緊張とともにグランドアワード表彰式へ向かいました。

グランドアワードでは日本から計4名の受賞者が出ました。日本人が受賞した時、本当にうれしく思いました。と同時に受賞できなかったことの悔しさも感じました。全力でも届かなかった世界の壁。世界と比べれば自分たちはまだまだなのだと実感しました。

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ISEFは私にとってかけがえのない経験となりました。世界中から選ばれた高校生の一人として同じ舞台に立てたことを本当にうれしく思います。悔しい思いもしましたが、とても楽しく素晴らしい1週間でした。この経験を決して忘れず、今回できなかったことをこれからの研究に活かしていきます。私はまた世界の舞台に挑戦し、今度こそ世界の壁を超えたいと思います。

最後になりましたが、ISEF出場にあたってご協力いただきました朝日新聞社さま、JFEスチールさま、JSEC事務局さま、NSSの皆様、高校の先生方、本当にありがとうございました。

Intel ISEFで得られたもの

Project Title: A Novel Technique for Urgent Remediation of Marine Pollutants Such as Microplastics and Oil Spills Using Water Jet

広島県立広島国泰寺高等学校 高野 哲仁

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JSECで賞をもらい、Intel ISEFへの出場が決まった時は、あまり実感がありませんでした。Intel ISEFでは英語で発表しなければならないことは知っていましたが『なんとかなるだろう』と思っていました。しかし自分の研究を英訳していくにつれ『これは英語を勉強しないとどうにもならない』と焦りを感じ始めました。チームメイトは英語ができ、自分だけができないのはとても焦りを感じるものです。自分は英語を聞き取ることはある程度できたのですが、語彙力がないので話すことができませんでした。そこから自分の研究に関する英語を学び始めました。3月にあった研修会では実際に英語で研究してを説明しました。そこで思ってた以上に研究が伝わらないことがわかりました。そこからは自分が説明する際にいかにわかりやすく丁寧に説明するかを考えました。自分たちはその時ぐらいから、英会話教室で質問の受け答えの練習を行いました。想定質問を100前後作り、その質問をランダムでもらい英語で答えるというものです。自分は質問の英語を全て聞き取り意味を理解するのが難しかったので、その質問の重要な単語を聞き取るように練習しました。あとはチームメイトとお互いに担当分野の質問を出し合い、英語でやり取りを行う練習も行いました。Intel ISEF直前では、自分の意見をある程度英語で話せる程度にはなりました。

Intel ISEFの凄さは想像以上でした。まず、会場の広さです。ISEFのスタッフが言っていた通り、全て回るのが疲れるぐらいです。また、ISEFの会場付近に、ファイナリストの名前全てが刻まれたボードがありました。これは聞かされてなかったのでびっくりです。そして、ファイナリストの盛り上がり方です。始まりから終わりまで、様々なイベントがありましたが、どれも全力で楽しんでいるようでした。初日の夜にはピンバッチ交換会が行われました。いろんな国の人とピンバッジを交換する際、たまに交換したあとに自己紹介をしてくれる人がいました。しかしもちろん英語です。頑張って聞き取りましたがほとんどわかりませんでした。ブースでは近くに日本人がいてあまり緊張はしませんでした。セッティングも早く終わり、近くの研究を見てまわってみるとどこもとても面白い研究を行っていました。審査会では、おもってたよりジャッジの方々が面白く、下手ながらも質問に答えることができました。しかし、ジャッジの方々の英語は聞き取りやすいものもあれば、独り言が多く質問なのかどうなのかわからないものも多々あり、大変でした。この時は通訳の方のおかげで助かりました。翌日、一般公開の日には空いた時間に分野を超えて研究を見に行きました。専門用語が多くわからないこともありましたが、やはりどこの研究も面白いです。今回、自分たちは賞を取ることができませんでしたが、日本人から4人、受賞者が出ました。自分の研究でなくても同じ日本人が呼ばれると嬉しいものでした。

今回Intel ISEFに参加してみて一番に思ったのは、英語をもっと話せたらもっとISEFを楽しめたということです。英語が話せたら他人の研究ももっと知ることができたと思いました。またISEFとは全く関係なのですが、帰国後、洋楽を多く聞くようになりました。その他にも、リスニングが聴きやすくなるなどなど色んなことが変わりました。研究もIntel ISEFに参加したことで、大学でもこの研究を続けてみようかなと思い始めました。自分はこの大会のおかげで研究のことだけでなく海外の良さを学べました。これは普通に海外に旅行をしただけでは得られないものだと思います。もし、将来大学でこのような大会があれば、同じ研究で挑んでみたいと思いました。

Intel ISEFを終えて

Project Title: A Novel Technique for Urgent Remediation of Marine Pollutants Such as Microplastics and Oil Spills Using Water Jet

広島県立広島国泰寺高等学校 竹内 咲希

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Intel ISEFでの私の目標は2点あった。1点目は、自分たちの研究を英語で説明し理解してもらうことそして2点目は、他国の研究を見に行き内容を知ることだ。

私にとって英語は苦手教科であり、その英語が研究を相手に伝えるための道具となることに不安を感じていた。英会話教室に通いさらに、台本や想定質問集をつくり練習をしたが不安は消えることなく審査会当日を迎えた。実際の審査では、私が思っていたよりも審査員の方がゆっくりはっきりと質問をしてくださり聞き取りやすかった。意味を理解できなかった部分は通訳の方に手伝っていただきながら質問を理解し、答えることができた。途中、審査員の方からの質問によって、私たちの研究の根幹となっている部分が伝わっていないことに気が付いたことがあった。その時、その部分を図に書きながら説明し分かっていただくことができたが、私は自分たちの研究を正しく理解していただける説明ができているのか心配になった。それ以後その部分を特に丁寧に説明するようにし、審査員の方はうなずきながら聞いていただけていたので伝わっていると思うが、説明することばかり考え相手に正しく伝わるような説明をするという点が疎かになっていたことを反省した。

他国の研究を見に行ったとき、始めに「英語は苦手なので分かりやすく教えてください」と伝えると、「挑戦してみるよ」などと言って他のファイナリストは分かりやすく研究を教えてくれた。分からない単語や部分を聞き返すと、言い換えて分かるようにしてくれた。そのお蔭で、研究内容を理解することができた。笑顔で丁寧に説明してくれたのだが、自分自身が説明する立場になったとき簡単な言葉を用いて説明するということは大変難しいのだと強く感じた。というのは、韓国の方に「日本語を勉強しているから日本語で研究内容を教えて欲しい」と頼まれた。私は、簡単な日本語を用いて説明をしていたのだが、時々相手に伝わらない部分があって聞き返されることがあった。その時、日本語で言い換えようとしたのだがうまく言い換えることができず、結局日本語と英語を混ぜながら説明した。嫌な顔一つしないで楽しそうに研究を説明してくれたファイナリストの方に感謝するとともに、英語力が十分でない私に対して分かるように説明してくれたことが嬉しかった。しかし、理解できたのは概要だけで詳しい中身を聞き取ったり、質問をしたりすることができなかった。内容を理解するためには、豊富なボキャブラリーと正しい文法知識が必要だと強く感じ今まで以上に英語を身につけるために努力しようと思った。

Intel ISEFに参加して、私は世界に出られるようになりたいと思った。今後、視野を日本に限定することなく考えることのできる思考力、内容を理解し不足なく自分の考えや思いを伝えることのできる語学力を身につけていきたい。

最後になりましたが、今回Intel ISEFに出場するにあたり多くの方々にお世話になりました。他では経験することのできないことを経験させていただきました。本当にありがとうございました。

Think Beyond  〜Intel ISEFを糧に〜

Project Title: Algorithm for Calculating All Fifth-order Magic Square Arrangements

広島大学附属福山高等学校 田中 愛登

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中学2年の時に偶然観たテレビの番組でJSECやIntel ISEFの事を知り、高校生になったらチャレンジしたいと思っていました。JSEC2015で富士通賞受賞と憧れていたISEFに派遣が決まり、本当に自分が!?という驚きと今までの努力が評価されたことの喜びで胸がいっぱいになりました。しかし、その喜びも束の間で、ISEFに向けての準備が始まると怒涛の日々が待ちうけていました。

全てが初めてで、先輩方も苦労されたとよく見聞きする英語でのアブストラクト、リサーチプランの作成は本当に苦しく大変でした。内容のブラッシュアップもさることながら、英語は1文を書くだけでもかなりの時間を要し、いつになったら終わるのか・・・自信を失い気持ちばかりが焦る・・・といった状況の中、何度も修正を繰り返しました。〆切に遅れながらもNSSやメンターの方々、先生方のサポートにより、なんとかやり遂げることができたときは正直ほっとしました。

3月の合宿では、ほぼ英語漬けで大変でしたが楽しくもあり、同じ目標・志を持つ仲間をはじめNSSやメンターの方々と話をすることで、今までの悩みや不安が払拭され、だいぶ自分らしさを取り戻すことができました。その後もポスター作成や発表練習に追われながらもなんとかやり遂げ、無事ISEF出発の日を迎えました。

フェニックスに到着すると街全体がISEF祭りの状況で、さすがアメリカ「できることはやってきた。ここまで来たら楽しもう!」と思わせる熱気(屋外の暑さも尋常じゃない)にあふれていました。

ISEFでは参加者の交流イベントも多く、ピンバッジ交換会やダンスパーティなどで友達を増やすことができました。アジアの人には親近感を持ったし、中東系の雰囲気、ラテン系のノリの良さなど、お国柄がよく出ていましたが、情熱をもって研究に取り組んでいる点は世界共通で話をしていてとても楽しく多いに刺激になりました。

ISEFの審査では、自分の英語力を理解してくださり簡単かつ的を射た英語で質問してくださり基本は答えることができました。しかし研究の専門的な質問に対する回答としては、簡単な単語を用いすぎて正確性を欠いた点があり、自分の研究の良さを十分に伝えることができなかったと思いました。結果、入賞はできませんでした。自分でも驚くくらいの悔しい気持ちとサポートして下さった方への申し訳なさで何とも言えない気持ちになりました。

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フェニックスから日常に戻り、この5か月を振り返ると、ISEFを通していろいろなことを経験し、結果はともかくやり切ったことが自信となり、志を同じくする日本代表のみんな、ISEFで友達になった海外の人達の存在が自分の心の支えとなっています。ロールモデルに出会えたこと、次に目指すべきところが出来たことは大変幸せなことで、Intel ISEFを糧に今後の研究に活かせるよう、既成の概念・枠組みを超えより高みを目指そうと思います。

最後になりましたが、今回のISEF出場にあたりサポートをして下さいましたJSEC事務局の方々をはじめNSSやメンターの方々、先生方には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

Intel ISEF 2016までの道のり

Project Title: Mechanism of the Oscillating Chemiluminescence Reaction Using Luminol

市川学園市川高等学校 土岐 恵莉佳

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ISEFへの派遣が決まったとき、本当かどうか信じられませんでした。なぜなら、JSECで賞を頂くことすら大変で、まさか私たちの研究が選ばれるとは思っていなかったからです。しかし、私たちの研究について高く評価してくださって大変嬉しかったです。そんな喜びとは反対に、まだ研究を始めてから1年もたっていなかったため、本当に自分たちで大丈夫なのかという不安な気持ちもありました。

実際に、ISEFまで行くまでの道のりはとても厳しかったです。アブストラクトやポストプロジェクトサマリーを英語で作らなければならず、英語が苦手な私にとって、とても大変な作業でした。また、研究を並行しながら作成していたため、新しいことを追加するのに時間がかかり、期限を守れないことが多々あり、多大な迷惑をかけてしまいました。(関係者の方々、本当に申し訳ございませんでした。)そのため、ますますこんな状態でアメリカに行けるのかと不安が募っていきました。そんな中、ISEFに向けての研修会が行われました。そこでは、先輩方の経験やアドバイスを聞くことができ、また、ネイティブの方とプレゼンの練習ができて、とても有意義な時間を過ごせました。また、他のファイナリストの方と仲良くなることができ、とてもうれしかったです。この研修のおかげで、前向きに頑張ろうと思えました。そして、受験勉強の合間を縫って質疑応答の練習をしたり、学校のALTの方とプレゼンの練習をして、大変でしたが、なんとかISEFに望めるような形になることができました。

ISEF期間中では、毎日がお祭り騒ぎで、日本とは全く違うことに大変驚きました。初日のピンバッチ交換会では、ピンバッチをたくさん交換することを目標に、積極的に海外の方に話しかけるのを試みました。2日目はブースセッティングがあり、チェックに時間がかかってしまい、その日はブース前での練習はできませんでした。夜は、オープニングセレモニーがあり、各国の方々が紹介され、その場の空気と迫力に圧倒されました。また、3日目のウェルカムパーティーでは、海外の方と研究について話したり、踊ったりして、とても楽しい時間を過ごせました。

そして審査当日。審査が始まる前はとても緊張していましたが、これまでの練習を思い出し、そして自信を持って話そうと思って挑みました。本番では、伝えたい事はすべて自分たちの言葉で説明し、聞かれたことは通訳の方を通して理解しました。自分の言葉が相手に伝わっていて嬉しかった反面、通訳さんがいないと、多くの場合、聞かれたことが理解できなかったことに、とても悔しい思いをしました。しかし、私たちの研究に興味を持ってくださる審査員が多くいて、大変嬉しく思いました。翌日の一般公開では、前日作った折り紙が子供たちにうけたのですが、反応機構の説明が難しかったのか、すぐ帰ってしまいしました。その日の夜と次の日の午前に授賞式があって、私たちは受賞できなかったのですが、他の日本のファイナリストの方々が受賞していて、とても嬉しかったです。

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受賞できなかったのはとても悔しかったですが、自分たちの研究を世界の人々に知ってもらえ、また、様々な国の方々と交流ができ、大変貴重な経験となりました。この経験で得たこと、学んだことを生かして、さらに研究に励みたいと思います。

ここまで一緒に頑張ってきたメンバー、そして支えてくださった関係者の方々、学校の先生方、本当にありがとうございました。

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Project Title: Mechanism of the Oscillating Chemiluminescence Reaction Using Luminol

市川学園市川高等学校 中村 美郷

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最初、JSECでまさかの花王賞をいただいてから、ISEFに出場が決定したとき、全然実感が湧きませんでした。驚きの連続です。申し訳ないのですが、正直なところISEFという大会を私は知らなくて、世界大会だよ、日本代表なんだよ、と言われても、自分はむしろ化学はあまり得意ではないし、こんな凡人が出場しても大丈夫なのかと、先の見えない不安でいっぱいでした。

でも、その実感は、あるもので変わりました。ネームタグと、会場にある名前の羅列にある、自分の名前。自分はこのファイナリストの一人。そう思うと、不安は自信に変わっていきました。やってやるぞ、という気持ちになりました。

ISEFに参加して、一番得たことは、多くの海外の人たちとコミュニケーションが沢山取れたことです。私は、話をすることがあまり得意ではありません。人前に立つだけでも顔が真っ赤になってしまい、上手に話せなくなる程、口下手です。そんな自分が少しだけ変われたのは、ISEF1日目のピンバッジ交換会の時です。出発前の成田空港で、それぞれ抱負を述べたのですが私は、英語が少しでもできるようになって帰ってくる、と言いました。このピンバッジ交換会はその抱負を達成する第一歩になるのではないか、と思い、思い切ってチームメンバーから離れ、口下手な自分を忘れ、積極的に前に出て交流をしようと会場へ足を踏み入れました。

海を越えた国の人たちは、国柄か、とてもオープンな人たちばかり。顔が真っ赤になる余裕もない程、話しかけ話しかけられ、笑いあい、何枚も一緒に写真を撮りました。その成果は、ピンバッジの、自分のものではない個数を数えれば一目瞭然。130個程の、事前に配られたJSECとNSSのバッジが全て交換しきっているのですから、130人以上の人に声を掛けたことになります。あの口下手な自分がここまで話しかけ、それも英語で。今、冷静になって考えてみると、なんだかぞっとします。貰ったピンバッジの一部を自分のネームタグにつけて自信にしています。一生の宝物です。消極的だった自分を変えてくれたこの出会いは、この最初の場は、とても良いものでした。英語だけが全てじゃない、大事なのはコミュニケーションをとろうとする心だ、と教えてくれました。

そんなピンバッジ交換会で少し変われた自分を試す機会が、4日目の審査と5日目の一般公開の日でした。それぞれ独特な雰囲気があり、緊張と自分たちの研究がどう見られているかのワクワクな気持ちで8:2くらい。審査の時には、自分の伝えたいことをいかに発表するか、そして質問されたことに対して正確に答える必要があります。もし、今の自分が、発表していた時の自分にアドバイスをできるとしたら、「腰を引かず、前のめりになれ」ということをアドバイスしたいです。

審査の日の朝、自分たちのチームのブースには、NASAのステッカーが置かれていました。これは、NASAの人が興味を持ち、私たちの発表を聞きたいという印だそうです。上手くいけばスペシャルアワードでの表彰も狙えます。しかし、私たちはその大きなチャンスをものにできませんでした。質問されるスピードが速すぎてこちら側が対応できなかったのです。

だから私は、あの時の自分に声を大にして言いたい。前のめりになれ、と。質問が通じなければ、通じないなりに聞き返せば良かったのに。今、立ち尽くしてしまったあの時の自分を考えると、本当に悔しい、と思うばかり。通訳の方がいないことの不安は想像以上に大きく、言語の壁が越えられなかった自分が情けなくなるような審査の日でした。

打って変わって、一般公開の日。その日の相手は、物怖じしてしまうあの審査員の方々ではなく、純粋に科学に興味を持つ、地元の学生や、地域の方々が相手です。ここで難しいのは、自分たちでさえ理解が難しかったこの研究をいかに分かりやすく噛み砕いて説明できるか、いかに興味を持たせられるように話せるかということです。この部分は、意外と自分に合っているのか、と思うくらい、割と上手く話せた気がします。口下手だった自分だったからこそのできる簡単な説明。この日の一般公開は大成功でした。

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大会期間一週間の毎晩には、先程記述した、ピンバッジ交換会だけではなく、自国をアピールするSHOUT OUT、ダンスパーティーなど発表以外の所で、日本では知り得ることのできない海外の文化に触れることができる催し物があり、他国の人達とコミュニケーションをとることができて、とても幸せでした。とても濃い一週間が送ることができたのだ、と長いようで短く感じた一週間が身をもって教えてくれました。

今後は、この一連の研究、発表の機会から学んだことを活かし、探求心を日々持って、人の役に立つことを研究、追求し、多くの人に広めることのできる、そんな人になりたいです。

最後に、このような自分を変えてくれた貴重な機会、ISEFという舞台と、このPhoenixに行くことを許してくれた両親、引率してくださったJTBの添乗員さんや、後援と広報で尽力してくださった朝日新聞社の方々、英語の指導をして下さったAEONさんと学校の先生、出場経験から色々なことを教えてくださったNSSメンバーのみなさん、私たちをISEFに選んでくださったJSECの審査員の方々、研究指導をして下さった中島先生、共に戦った、77か国から集まったファイナリスト1759人、共同研究のメンバーである土岐さんと大崎さんには本当に、本当に感謝しています。

ありがとうございました。

自分の研究への感情の変化

Project Title: Sonification of Software’s Behavior and Its Application to Information Security

広島学院高等学校 西村 啓佑

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こんなことを書いていいのか抵抗がありますが、僕は自分のプロジェクトが嫌いでした。いや正確には、この程度の研究しかできなかった自分が嫌いだったのかもしれません。
仮にもファイナリストの自分がこんなことを書くと嫌味に聞こえたりそれこそ叩かれるもしれませんが、これが12月に選ばれてか5月に派遣される直前までの正直な気持ちです。
感想文を書くにあたり何をテーマにするか迷いましたが、自分がした研究に対する気持ちについて書こうと思います。

ISEF派遣が決まった時、うれしい反面「大変なことになってしまった」という感情が湧いていました。高校生による研究活動の実態をよく知らず何となくで応募した僕は、審査会で同年代の人がやっている研究をはじめて見てその学術的な意味合い(素人の推測ですが)について感心していたからです。僕が行ったブースだけでも
抗菌物質? 飛行するロボットへの応用? 電極以外での反応?しかも他に誰もやってない? ……
こんなの、本物の研究じゃないか! 高校生が学問をしている! 研究してる!
今考えたら当たり前な話ですが、当時の意識が低かった僕には新鮮な驚きでした。こんな人たちが自分が知らないところにいたことに愕然とし、その中でさらにISEF派遣者として選ばれた理由がわかりませんでした。だって、どう考えても僕のやったことがコンピュータサイエンス(以下CS)、情報セキュリティという学問にそれほど寄与するわけがないと思ってしまったのですから。
国内大会でもらった賞は良かっただけに、嫌味だと思われたくない気持ちと変なプライドが心の中に渦巻き、嫌いであるとも言えずにずるずるとISEFまで引きずっていました。僕のプロジェクトの学術的な価値やそもそもこれが”研究”といえるのかなど不審に思っていた点は山ほどあり、義務感とそもそもコンピュータが好きという気持ちだけでなんとか準備を終えることができたのは奇跡かもしれません。「同じソフトウェアカテゴリの人の研究をみて楽しもう、できれば外国人と研究についてディスカッションしよう。」こうして僕はISEFでの目標を完全に自分の研究とは関係無いところに設定してアメリカへと飛びました。

さて、審査日に前日設置したブースに行くとそこにはいくつかの団体から送られた証書が置かれていました。初めはカテゴリ全員もらえるのかなと思いましたが、どうもそうではなさそうです。一瞬、審査委員見る目無いのかな?とかひねくれましたが、やはり嬉しかったです。一緒に行った人と話したり過去のISEF参加者の感想をちょっと見てもこんなことで喜んでる人が見当たらなかったのですが、他の人間が意図してあの研究を見てくれた、数あるものから興味を持ってくれたという事実は僕を驚かせるに十分でした。そんな価値があるとは全く思って無かったもので…。
そしてついに審査が始まりました。素晴らしい通訳の方がついてくださり、またその方不在の時も、それなりに審査員や来てくれた方とのコミュニケーションはとれたつもりです。国内選考時代は意識が低くて気がつきませんでしたが、CSの専門家が僕のあの研究について真剣に話を聞いてくれる!
しかも英語で!!
別に準備に手を抜いたわけではありませんが、国内大会含め一年くらい自分の研究と付き合ってきて初めて燃えました。そしてそんなISEFの異常性に気がつきました。”世界中”から日本の審査会で見たような、あるいはそれ以上の”研究”をしてきた”高校生”が集まり、それを”プロの研究者たち”が”ディスカッション”を通じて審査する。どう考えても異常です。そして、こんなに特殊でエキサイティングな場所に行く原因となった自分のプロジェクトやそれを手伝ってくださった方々に感謝しなくてはと考えていました。
その後は受賞式では案の定名前が呼ばれることはありませんでした。これはある意味想定通りだったわけですが、友人達と少し言葉を交わしているとどうも自分が「悔しい」と思っていることに気がつきました。そして、気が付いたら泣きそうでした。文字にするとエモい感じですが、僕はそのことに本当に驚きました。少なくとも出国するまでこの研究が嫌いだったはずで学問的にも価値はほとんどないと信じていたと断言できるのに、悔しいと感じてしまうのは完全に想定外です。正直理由は分かりませんが、ここまで来れたことは自分一人の力ではないことを悟ってなのか、あるいは自分のプロジェクトを心のどこかでは信じていたのかもしれません。

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ISEFが終わった今でも悔しさの理由に結論を出せないでいますが、本番で感じた様々な感情はきっと本心だったと確信しています。こんなに素晴らしい経験をさせていただくにあたりお世話になった方には感謝してもしきれません。
そして、その元になったあの研究にも別な気持ちが湧いています。未だに好きにもなれていないし価値も見いだせていませんが、それはきっと自分の勉強不足があるはずです。あんなに大勢の方に関わっていただき、ISEFでは賞がなかったとはいえ興味をもってくださった方々少しでもいるこの研究を「嫌い」という感情だけで完結させてはならないと思っています。
将来自分がCSを修め、それまでを振り返ったときに「あの時この研究をしてよかった」と思えるようにこれを礎に精進します。それがISEFを通じてできた今の目標です。

日本の伝統文化「うちわ」の研究で科学の世界大会Intel ISEFに出場

Project Title: A study on optimal structure of “Uchiwa” fan: great potential of Japanese traditional handheld fan

京都市立桃陵中学校 早川 優希

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アメリカで毎年5月に開催される世界最大の科学コンテスト,インテル国際学生科学技術フェア(Intel ISEF)。私は,2015年12月,「順風満帆~爽を極める~」で日本学生科学賞・中学生の部の最終審査に進出。研究レポート・プレゼンテーション審査の末,日本一の賞である「内閣総理大臣賞」を頂いた。更にIntel ISEFの派遣者候補に選ばれた。中学生の研究がISEFに派遣されるのは日本初である。思いもよらぬ発表に結果発表の会場でも驚きの声が上がっていた。私がISEFの準備を開始したのは,翌年の2月中旬だった。高校受験を終え,準備に取り掛かったものの,慣れない英語の論文制作の大きな壁にぶつかり,大変苦戦した。しかし,一つずつ英単語を調べて英文を組み立てることで,提出書類を完成させることが出来た。3月にはIntelつくばオフィスで研修会が行われた。この場で初めて日本のISEFファイナリスト全員との顔合わせが行われた。研修では英語の質疑応答に大変苦戦したが,NSSの担当の方やネイティブスピーカーの方に沢山のアドバイスを頂き,ISEF本番の様子をイメージしての練習が出来た。Intelの社内の見学もさせていただき,ファイナリストの方々ともコミュニケーションが取れ,良い機会となった。

つくば研修が終わると,続いてポスター制作に取り掛かった。ISEFの審査では,ポスターを使用しながらプレゼンテーション,質疑応答を行う。ポスター制作にあたり,研究の何を削ってどの部分を強調すべきかを調整した。

ISEF出場の直前には,高校のクラス全員に沢山の応援をしてもらった。特に日の丸の旗を埋め尽くす応援メッセージが印象的である。ISEF1日目,まずは審査会場があるアメリカのアリゾナ州フェニックスまで飛行機で行き,バスでコンベンションセンターに向かった。会場に入ると”WELCOME”の文字が目に飛び込んできた。審査会場はとても広く,沢山の世界中のファイナリストが,ブース準備をしていた。ブース準備を終えると,続いてピンバッチ交換会が行われた。沢山のファイナリストとピンバッチを交換し,コミュニケーションを取ることが出来た。 二日目は,ブース準備と”WELCOME PARTY”が開催された。ISEFのオフィシャル動画でおなじみの,”Welcome to the Intel International Science and Engineering Fair”という司会者の声を聞き,「ISEFに来た!!」と実感した。三日目は,審査でお世話になる通訳の方との顔合わせと打ち合わせを行った。通訳の方は熱心に研究を理解しようとして下さり,研究以外にも日本の文化やアメリカの文化をお互いにシェアし合うことが出来た。打ち合わせを終え,夜はダンスパーティーに参加した。鳴り響く音楽に合わせて会場にいる全員の人が,踊り狂っていた。四日目は審査会が行われた。審査会場はとても厳重に警備されており,会場を出入りするたびにセキュリティーチェックを受けた。私のブースには合計で11人の審査員の方が訪れ,手短な研究発表に加え,質疑応答を行った。質問の意味を理解するのに苦労したものの,しっかり質問の回答を出すことが出来た。審査員一人あたり15分という限られた時間を意識しながらも,楽しみながら受け答えを行った。審査員の方に,”This study is very interesting!!”と言って頂いた時は,とても嬉しかった。海外では知名度が低い「うちわ」を紹介すると,興味を示す審査員もいた。審査が終わると,肩の荷が下りたような感覚があった。夜はコメディーショーを楽しんだ。5日目は,ブースの一般公開日で,一般来場者に研究発表を行った。様々な年齢層の見学者が研究ブースを回っていた。合間を見て,他のファイナリストの研究を見学して回った。アブストラクトを共有し合い,研究について話が出来た。審査会場とは別に,企業ブースも設置されており,最先端の技術紹介などが見学できた。午後からは,Special Award (企業賞) の受賞者発表が行われた。残念ながら,日本のファイナリストから受賞者は出なかった。6日目は,Grand Awardの受賞者発表があった。発表が終わり,名前が呼ばれなかった事が悔しかった。もう一度この最高の舞台で世界に勝負をかけたい。「リベンジしたい」と心から思った。

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私はISEF派遣を経験し,世界大会の厳しさを実感した。自分の研究を人の役に立てたいと考え,研究を続ける沢山のファイナリストと出会い,私の考えていた研究に対する世界観が大きく変わった。研究を応用して何か人類に貢献出来たらと思うとワクワクする。人類の文明は科学技術の発展によって成長し続けている。科学の力は世界に大きな影響をもたらす。だからこそ,科学の力を世界の役に立てたいという,これまで考えてこなかった感情が生まれた。また,ISEFに出場したことで私は,沢山のかけがえのない人との繋がりを築けたと感じている。世界中のファイナリストと交流することが出来た。そして,日本で研究をしているファイナリストと出会え,人生で最高の瞬間や感動を共にこのメンバーで味わうことが出来た。指導して下さった教授や先生方,NSSの先輩方,ISEFによって築かれた全ての人との繋がりを大切にしたい。そして何より,これからも研究を続けていきたい。

 

 

Intel ISEFで得たもの

Project Title: Dragged wave” generated by a line segment source Analyses and experiments on the wave pattern staying around a line segment source

広島県立府中高等学校 藤本 竜平

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Intel ISEFに出場するのが決まった時は、心から驚きました。自分たちの研究がこんなにも評価してもらえるとは、少しも思っていなかったからです。同時に、以前ISEFに出場したという先輩のことを思い出し、「自分たちもここまで来たのか…」と思いました。
それから本番まで、準備にとても苦労しました。一月の研修会の後、急いで研究のアブストラクトやリサーチプラン、ポストプロジェクトサマリーを作り始めました。幸いにも、先輩方のアブストラクトなどがあったのでそれを参考にできましたが、あまりうまくまとめられず、英語で書かなければならなかったこともあり、何度も書き直したことを覚えています。

それから間もなく、3月下旬に筑波でファイナリストの集まる研修会がありました。他の人の研究を見るとどれもすごい研究ばかりで、自分も頑張らなくてはと気合が入りました。研修会では、英語での発表や質疑応答の練習をしたり、ポスターの内容を考えたりとやることがたくさんあったので、夜遅くまでのパソコンで作業や、NSSの方への相談などなかなかハードな研修でした。また、この研修を通して他のファイナリスト、特に日本学生科学賞から出場が決まった人たちと親しくなれたような気がします。

研修会の後はポスターの作製や英語での発表、質疑応答の練習をしました。

間に一度研修をはさんで、あっという間に当日を迎えました。英語でのコミュニケーションに不安を抱きながらも、世界中から集まった人たちに会えるという期待がありました。発表の会場は想像以上に大きく、自分の参加する大会の規模に改めて気付かされました。ブースのセッティングを終え、簡単に練習をして、審査に臨みました。

審査は1コマが15分でしたが、審査員に熱心に説明しているとあっという間に時間が過ぎました。結果として賞はもらえなかったけれども、非常に有意義で楽しい時間を過ごすこともできました。ただ、英語に関しては、通訳の方の助けなしではうまく質問に答えられなかったと思うところが大きく、自分の実力不足を感じました。

審査以外の時も、様々なイベントがあって楽しかったです。特に、ピンバッジ交換会では、自分はあまり英語が得意というわけではなく他の日本の人のようにうまく話しかけることができませんでした。しかし、他の国の方々から積極的に話しかけてもらい、嬉しさが胸から込み上げてきました。
大会を終えて、自分は達成感を感じるとともに終わってしまったことへのさみしさを感じました。今後、研究をするかどうかは決めていません。しかし、この貴重な経験はきっと何かの役に立つだろうと確信しています。

最後になりますが、Intel ISEFに参加するに当たり、支えてくださった皆様、ありがとうございます。

ISEFの一週間を振り返って

Project Title: Investigation and Development of a New Solid Polymer Electrolyte Using an Natural Membrane for Fuel Cell Devices

米子工業高等専門学校 前田 千澄

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ISEF2016に参加して,外国の方とコミュニケーションをとる楽しさと,難しさを実感しました.

準備段階では,レポート類やポスターなど,英語で準備するものが多くあり,提出締め切りに間に合うように完成できるのか,不安になったこともありました.しかし,早めに取りかかり,先生や先輩にアドバイスをいただいた結果,自分なりに納得できるものができたと思います.
本番までの発表練習では,まず,目的やチーム内での役割などの基礎的な質問にしっかり答えられるように準備を進め,次に,研究についての質問対策を進めました.また,自分の英語がどの程度通じるのか不安だったため,予備資料の準備も念入りに行いました.

ISEF本番では,積極的に英語を話すことに心がけてプレゼンを行いました.通訳の方がおられない審査時間があったこともあり,不安に思ったこともありました.しかし,集中して質問に耳を傾けたり,予備資料などを駆使したりして,チームの二人でカバーし合うことができたと思います.また,思っていたよりも自分の英語を理解してもらうことができ,嬉しく感じました.
ISEFのイベントでは,外国の方と話せる機会があり,とても楽しい時間が過ごせました.特に,ピンバッジ交換会やダンスパーティでは,たくさんの外国のファイナリストと交流する機会が得られました.私はそこで,他国のファイナリストと一緒にゲームをしたり,ダンスをしたりして仲良くなることができました.しかし,英語での会話は審査の時より難しく,ほぼ毎回聞き返してしまいました.そのため,今後は英語で会話ができるようになることを目標に,より工夫して英語学習に取り組んでいきたいと思いました.
ISEFの一週間はとても楽しく,貴重な経験がたくさんできましたが,ファイナリストのみんなが苦労することもありました.その中でも,特に大変だったのが時差ボケです.日本とフェニックスでは-16時間も時差があり,昼や夕方に眠気が来る人も多かったみたいです.審査時間が8~9時間と長いこともあり,全体を通して体調管理が大切だと実感しました.

ISEFの一週間を通して,言語の壁や外国の方の積極性の高さを実感しました.また,自分の知識不足や語学力不足をひしひしと感じることができ,今後の課題を見つけることもできました.その一方で,外国の審査員相手に,数時間にもわたる審査をやりきることができたことが,大きな自信になりました.この貴重な経験をこれからに生かし,自分の目標に向かって進んでいきたいと思います.
ISEFへの派遣が決まったときからISEF終了まで,たくさんの人に支えていただきました.NSSの方,朝日新聞社の方,添乗員の方,本当にお世話になりました.
最後に,ここまで支えてくださった先生や先輩方,本当にありがとうございました.

かけがえのない経験

Project Title: Marsilea leaf opening is controlled by cooperation of two blue light systems, stomata opening and gene expression

ノートルダム清心女子高等学校 松井 千乃

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Intel ISEF派遣が決まった時本当に嬉しかったです。受験勉強や部活との両立はとても大変でしたがISEFで自分の研究を発表したいという夢を諦めずに今まで研究を続けてきてよかったと心から思いました。決まったときは嬉しいだけでしたがISEFに向けて準備するうちに不安も募っていきました。しかし不安なのは私だけではなく代表のみんなも同じで、悩みを共有し一緒に研修会で練習を積むことで頑張れました。

Intel ISEFの7日間はただ一言、夢のようでした。審査会の前日までピンバッチ交換会やダンスパーティーなどがあって世界から集まった人とたくさん交流できてとても楽しかったです。遊ぶ時は思いっきり発表の時は真剣にとみんなオンとオフの切り替えがうまく驚きました。

審査会の当日はとても緊張していましたが審査員の方々はとても優しく親身になって私の研究内容を聞いてくださいました。仮想質問を事前に作っていたので審査員の方に質問されても安心して答えることができるものもあれば日本人とは視点の違う問いもあり戸惑うこともありました。しかし自分が心配していたよりも審査会はスムーズに進んでいきました。

審査会や交流会などを通して実感したことは拙い英語でも相手に伝わるということ。よく出会いは一期一会と言いますが本当にそうで、滅多に同じように研究する世界各国の同世代と交流する機会はありません。みんながみんな流暢な英語を話せるわけではないので少々変な英語でも安心して話すことができました。

結果は残念ながら悲願の受賞はなりませんでした。グランドアワードの発表が終わって最後片付ける前にポスターを見上げながらとめどなく溢れる涙をこらえることができませんでした。それは研究に捧げた高校生活がこれでもう終わってしまうのだと思うと寂しかったからです。またここまで研究を支えてくださった先生に申し訳なく思ったからです。しかし、ここまで走り続けたことに間違いはなかったと改めて思いました。ISEFで発表できたこと、世界のみんなと知り合えたこと、そして何より日本代表のみんなとISEFに参加できたことは一生の宝物です。

 ISEFでの経験

Project Title: A Novel Technique for Urgent Remediation of Marine Pollutants Such as Microplastics and Oil Spills Using Water Jet

広島県立広島国泰寺高等学校 松村 尚紀

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JSECからISEF出場が決定したとの連絡が来たときには本当にびっくりしました。まさか自分が出場できるなんて夢にも思っていませんでした。本当にうれしかったのですがその反面、自分に日本代表がつとまるのだろうかという不安もありました。

JSECからISEF開催までの半年ほど時間がありました。その間、英語でのレポートの書き直しやISEF研修会での発表練習がありました。そのおかげで少し発表することに自信を持てたように思います。

こんな感じでISEFに向けた準備をしていたのですが、あっという間に時は過ぎついにISEF開催の日になりました。アメリカに入国後すぐにピンバッジ交換会が開かれました。もともと人見知りなので最初はあまり乗り気ではなかったのですが、いろんな国の人と研究のこととか出身国の話とかできて、100人以上の人とピンバッジを交換することができました。ISEFの開催期間中はこんな感じで毎日 ISEF参加者とのパーティーが開かれました。こちらが英語を理解できない時もわかりやすくいってくれたり、根気よく聞いてくれたりしたおかげで、あまり苦手意識を持つこともなく英語で会話することができました。このパーティーで少し英語に慣れたような気がします。

そして開催から3日目、ついに最初の審査が始まりました。審査員の方からの質問は研究を始めた動機や展望など研究全体に関するようなものが多くて日本の発表で受ける質問との違いに戸惑うこともありましたが、通訳の方や同じチームの人の支えもあり、どうにか切り抜けることができました。

4日目の一般公開では、すきまの時間でほかの発表を見に行きました。おもしそうな研究はたくさんならんでいるのですが、英語が理解できないということも多かったので、研究概要を印刷した紙を眺めながらわからないところをいろいろと質問をしたり、どうにか理解しようといろいろと工夫して、とても楽しい時間を過ごすことができました。

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ただ、今回のISEFに関して後悔することも多くありました。もう少し英語を勉強すべきだったとか、もっといろんな人と研究について話し合いたかったとか・・・。やはりコミュニケーションが取れなければ、自分の研究を伝えることもできないし他の人から情報を得ることもできません。コミュニケーション力というのはとても重要な力なんだなと痛感しました。今後はもっと積極的にいろんな人とかかわって、そこで得た経験を自分のものにしてそして情報を発信していけるようになりたいと思います。

最後に、今まで研究を見てくださった先生方、チームのみんな、ISEF出場にあたっていろいろと手伝ってくださったNSSや朝日新聞のみなさんには本当にお世話になりました。ありがとうございました。

Intel ISEF 最高な場所

Project Title: Structure and function of the white leaves of the silvervine (Actinidia polygama)

秋田県立秋田中央高等学校 目黒 亜依

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アメリカ、フェニックスで行われたIntel ISEFに参加しました。世界大会です。まさか、マタタビの研究を世界大会で発表できるとは夢にも思いませんでした。代表に選ばれたときは、信じられない思いとアメリカに行けるわくわく感がありました。しかし、実際に準備を始めると、不安の方が大きくなりました。今まで行ってきた研究のまとめ直し、英語でのプレゼン練習、ポスター作成…。改めて研究を見直すと、データ不足や欠点が次々と出てきて本当に大変でした。
そんな不安を緩和してくれたのが大会前に行われた研修でした。NSSのみなさん、大学の先生方のアドバイスやサポートのおかげで失いかけていた研究への自信を取り戻すことができました。また代表メンバーのアットホームな雰囲気は、ISEFへの期待を膨らませてくれました。

いざ、アメリカへ。会場には今まで参加してきた発表会とは違った雰囲気がありました。様々な国の学生、飛び交う会話はほとんど英語。ついに来てしまった…と思いました。ブースセッティングを終えて、ISEF最初のイベントはピンバッジ交換会でした。私が1番楽しみにしていたイベントです。様々な国の学生と簡単な会話をしながら、バッジを交換したり写真を撮ったりと、多くの学生と交流をすることができました。お土産に持参した”おもしろ消しゴム”や”折り鶴”は海外の学生にとても人気でした。午前中は発表練習、夜はオープニングセレモニーやダンスパーティーなど連日イベントが続きました。

楽しい毎日を経て4日目。ようやく審査当日がやってきました。緊張しました。自分たちの英語は伝わるのか、どんな質問がくるのか。何度も練習をしてきましたが、英語でのプレゼンは不安が大きかったです。でも、佐々木さんや通訳さんがいたので心強く、審査員の方々も笑顔の人が多かったので、すぐに緊張はほぐれました。審査員の中には、質問をするだけではなく、知っている知識を教えてくれた方もいて勉強になりました。また、スペシャルアワードの審査員は、グランドアワードの審査員とは違って、本当に興味をもって見に来てくれたことが伝わってきました。質問内容も硬いものではなく、知りたいから聞いているという感じでした。審査員の方から「面白いね!」や「この研究は私の中でベストだよ!」と言われたときは、感動して涙をこらえるのが大変でした。通訳さんからは「分かりやすくてとても良かったよ!」と優しい言葉かけていただきました。発表では失敗もありましたが達成感と楽しくやりきったという気持ちで、今まで頑張ってきて本当によかったと思いました。

今回ISEFに参加したことで、海外の学生の研究に対する姿勢やレベルの高さを肌で感じることができました。悔しさを覚えたと同時に自分の研究にもっと一生懸命取り組もうと思いました。マタタビの研究は、疑問に思ったことを解決する、ということで楽しくやってきました。もちろん、それが悪いことではないのですが、ISEFでは「将来何に生かせるか」ということが重要視されている部分があり、他の学生もしっかりとした将来への目標を持っていました。ただ発見して終わりではなく、その発見をどう生かせるかということも大切だと分かり、研究の方向性や目標をしっかり定めたいと思いました。
また、発表や交流を通して英語で話すことの難しさと楽しさを感じました。隣のブースにいた学生はとても親切で、私にも分かる英語で話してくれたり、私のつたない英語を笑顔で聞いてくれたりしました。発表では、質問に対する答えを日本語では分かっているのに、英語で表現できない自分が煩わしく思えました。通訳さんに頼りつつも自分の英語で伝えようと努力しました。自分の英語で理解してもらえたときは、とても嬉しかったです。もっと英語を勉強したい、海外の人たちと会話ができるようになりたいと思わせてくれました。

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最初で最後の出場でしたが、こんなにも素晴らしい経験をさせてくれたISEFは最高でした!!ISEFに参加できて本当に良かったです。この大会で学んだこと、感じた悔しさをばねにこれからも研究を続けていきたいと思います。
読売新聞の方々、NSS、大学、高校の先生方、代表メンバーのみんな、両親を含めお世話になった皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

世界に広がる輪

Project Title: Expanding WA-WA-WA: Periodic Environmental Changes Trigger Concentric Ring Colony Formation

横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校 山本 実侑

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私は高校2年生で初めてJSECに応募しましたが、そのときは最終審査会に参加したもののIntel ISEFへの出場権は獲得できませんでした。3年生になりもう一度JSECに挑戦して、ISEFファイナリストとしての派遣が決まったときは、2年越しの願いが叶い本当に嬉しかったことを覚えています。 まわりが受験勉強に励むなか、実験室に通い研究を続ける私のことを高校の先生方は心配して、「もう研究はやめて、勉強に集中したら?」と声をかけられたこともありました。それでも研究を続けてきて良かったと今になって思います。(楽しくてやめられなかった、という方が正しいかもしれません。)

センター試験を終えて大学の一般入試に向けた勉強を始めるころ、ISEFの事前提出書類の準備が始まりました。受験勉強とISEFに向けた準備の両立は想像以上に厳しく、しばしば書類の提出期限を過ぎることもありました。サポートしてくださった方々にはご迷惑をおかけしましたが、最後まで心強いサポートをしていただけたことに感謝しています。

事前研修会では、発表の原稿作成や英語でのプレゼン方法を朝から晩まで徹底的に指導していただき、研究内容をわかりやすく伝える力がついたとともに、日本代表としての自覚を持ちました。また、日本から派遣されるISEFファイナリストが初めて一堂に会した機会でもあったので、皆さんと交流を深められ良かったです。
そして迎えたISEF本番、まずは初日のピンバッジ交換会で、他国のファイナリストのテンションと積極性に驚かされました。それから毎日のようにパーティーがあり、今まで参加してきた日本の学会やコンテストとは大きな差を感じました。最初はいつもと違う雰囲気に圧倒されていた私ですが、だんだん慣れてきて、自分から他国のファイナリストに話しかけることができるようになりました。しかし、自分の英語力がまだまだ足りないことも実感し、これから世界の人々と不自由なくコミュニケーションを取るための英語力を身につけたいと思いました。

審査では英語での質疑応答に苦戦しましたが、 「面白い研究ですね」と評価していただけたので良かったです。結果として受賞には至りませんでしたが、世界に向けて麹菌の魅力を発信できたことにとても満足しています。また、高校生のとき同じ実験室で研究をしていた友人が受賞し、自分のことのように嬉しい気持ちでいっぱいです。Gordon E. Moore賞を受賞した子は私が通っていた高校の姉妹校に通う生徒で、一般公開のときに話すことができました。世界トップレベルの研究をしている友人をもつことができたのも、ISEFに参加して得られたかけがえのない財産です。

ISEFにまたファイナリストとして出場する機会がないことは残念ですが、今回一生に一度の大変貴重な経験をすることができました。準備の段階から本番まで私を支えてくださった皆さん、本当にありがとうございました。これからもISEFでの経験を活かしながら、研究活動を楽しく続けていきたいと思います。

Intel ISEF ~憧れの舞台~

Project Title: Investigation and Development of a New Solid Polymer Electrolyte Using an Natural Membrane for Fuel Cell Devices

米子工業高等専門学校 山村 萌衣

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私たちは,12月に開催された第13回高校生科学技術チャレンジで上位入賞を果たし,ISEFに出場することが決まりました.ISEF出場が決まった瞬間は,世界で自分の研究を認めてもらいたい,日本代表に見合う人にならないと,という気持ちが強かったです.しかし,それと同時に不安が生じました.審査員と英語でディスカッションすることに対する,自分の英語力で通用するのかという不安です.ISEF本番までの準備過程では,まずは研究の理解,研究のどこを主張していくかということから,原稿暗記,質疑応答の英訳と英会話の先生との添削を繰り返していきました.英訳を進めるのと同時に,暗記も進めていきましたが,英語をすぐに覚えることが難しく,質問されたときに自分の言葉として答えることが出来ませんでした.しかし,自分の英語力に対する不安を克服するために毎日練習を重ねるうちに,質問に対する答えが自分のものになっていきました.一緒にISEFで戦う先輩とも分担して練習を進め,先輩が答えたことに付け加えて,研究のアピールポイントを伝えることを意識しました.

準備を進めながら,本番まで残り1ヶ月…と,頭の中でカウントしていたら,ISEFまで残り1週間となり,あっという間に出発日になりました.私は,どんな気持ちで帰国してくるのだろうか…と期待を抱きながら渡米しました.

ISEF開催期間中は,開催都市であるフェニックス全体がISEFムードに包まれていました.毎日,国籍関係なくファイナリスト同士の交流を図ることを目的としたパーティーがありました.各国のピンバッヂをファイナリスト同士で交換し合うピンバッヂ交換会,オープニングセレモニー.ダンスパーティーなど,初めて経験することばかりでした.様々な国の高校生の人間性や教養の違いなどを身近に感じることが出来たパーティーは,言語の壁を感じないほど楽しかったです.心から”ISEF is excellent!”と思いました.ピンバッヂ交換会では,100個以上ものピンバッヂを交換することが出来ました.これまで,自分の興味のある物事を極めて,探求心を持って研究をしている海外の同世代の人と交流をする機会が無かったため,海外に友達をつくれるチャンスを逃したくないという思いで,写真を一緒に撮り,連絡先を交換しました.

そして,とうとう審査当日になりました.審査会は,ファイナリストと審査員のみであったため,正直緊張していましたが,自信を持って挑みました.審査員の中には,研究内容を説明したら,研究の新規性や高校生らしい独自性に対して,”very interesting”や”amazing”と賞賛の言葉を下さった方もおられました.広く世界に自分たちの研究を認めてもらえたことが嬉しく,とても充実した審査会になりました.

地域の方々も含めて子供から大人まで招かれた一般公開日では,他国のファイナリストの研究を聞きました.審査も終わり,緊張がほぐれたところで,他国のファイナリストと研究以外に将来の目標について話しました.話す中で,彼らの将来の目標を明確に持ち,それに向けて勉強や研究活動に取り組んでいる姿勢に圧倒されました.私も今ある恵まれた環境に満足せずに,自分が取り組んできたことを活かして,自分の力で将来に向けての道を開いていかなければいけないと考えさせられました.

Grand Awards表彰式で,名前が呼ばれ,エネルギー・化学部門で2等を受賞してステージに上がった時は,興奮で頭が真っ白になりました.ステージ上では達成感や爽快感があり,最高でした.そして何より,これまで学年の枠を越えて様々な大会で一緒に戦ってきた先輩とISEFで素晴らしい賞を受賞できたことがとても嬉しかったです.

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このISEFまでの一連の活動を通して,多くの人に支えられ,恵まれた環境にいることを改めて実感しました.

最後に,ISEFまで指導をして下さった先生,先輩方,朝日新聞社様,日本サイエンスサービスの皆様本当にありがとうございました.昨年度,研究同好会の先輩方がISEFに出場されたときから「ISEFという舞台に立つ」という夢が叶えられたのは皆様のおかげです.ISEFでの経験を次のステップへと繋げていきたいです.

Intel ISEF2016 ~旅のはじまり~

Project Title: Hindwings Play a Critical Role in Takeoffs and Flight in Cicada(Graptopsaltria nigrofuscata)

三重県立伊勢高等学校 矢口 太一

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“目標はISEFに出場することです。”と中学校の卒業文集(?)に書いた記憶がある。ISEF出場は中学校のときからの夢だった。そんな僕が今、ISEFの手記を書いているだなんて!

昨年、日本学生科学賞で内閣総理大臣賞を受賞。”あぁ、日本一になったんだ… ISEFにいけるんだ…” 夢が叶い、嬉しさに涙が溢れた。あの瞬間からISEFが終わるまでに、自分でも信じられないほど成長できた(むしろ、変わってしまった)と感じている。

ISEFへの準備を始める際に、まず最初に決めたこと、それは、”人を徹底的に頼る”ということ。私の地元は科学教育が盛んではないので、周りに頼れる指導者はいない。今までの研究もすべて自分一人で進めてはきたが、ISEFの準備に関しては、英語や統計…と、自分ひとりで、しかもたった4ヶ月で解決できる課題ではなかった。そこで私は、総合委員の先生、大学の先生方、NSSの先輩方に毎日のように相談のメールを送り、自分ひとりでは手に負えない課題を、ひとつひとつなんとか解決していった。加えて、英語に自信がなかった私は、ALTの先生と積極的にコミュニケーションをとった。2月の頭から本番まで、ALTとほぼ毎日、約2時間の練習を重ね、気付けば英語への不安はほとんどなくなっていき、東京研修、つくば研修、最終研修、ISEFまでの約4ヶ月間は瞬く間に過ぎていった。

審査本番、いままで覚えてきたQ&Aのことは忘れて、審査員との一対一の対話を楽しむことを心がけた。研究だけじゃなく、”矢口太一”という一人の人間の魅力を伝えてやる!とジャッジに臨んだ。研究、そして自分を精一杯伝えることができたと思っている。

そして翌日の一般公開、これが本当に楽しかった!科学が好き、楽しい!という気持ちに言語の壁なんてなかった!!宿題でISEFを見に来ている地元の小学生、ISEFを目指しているという子、9歳の女の子、小さいころ蝉取りをよくしたという地元の方…(テレビ局や記者の方も)、本当に沢山の方と出会うことができた。

表彰式では、学生科学賞で内閣総理大臣賞を頂いたという誇りと気負い、そしてただ純粋に、ずっとあこがれてきたISEFの壇上に上がりたいという2つの気持ちを抱き、名前が呼ばれるのを待った。

しかし、最後まで私の名前は呼ばれなかった。表彰式後、悔しさに泣いた。同じ分野の英語が全くしゃべれなかったコロンビアの友達が入賞していくのを見たとき、”研究そのもので負けたんだ”と思った。英語の勝負ではなく、ただ純粋に科学の勝負であることを改めて痛感した瞬間だった。

ISEFで私は勝つことはできなかった。しかし、かけがえのないものを得ることができたと思っている。今を全力で生きる世界の高校生と、お互いの地元のこと、研究のこと、そして将来の夢を語り合い過ごせたかけがえのない日々。負けたくない!と思えるライバルが世界中にできたこと。そしてなにより、今まで”できない”と思っていたことを”できる”と思えるようになったこと。

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ISEFでの忘れられない瞬間がある。表彰式を終え、自分のブースを片付けるとき、あんなににぎやかで、緊張がただよっていた会場は、ほっとしたような、どこかさびしいような雰囲気になっていた。”夢の後片付けだな…”と涙を必死でこらえながら、悔しさと寂しさを噛み締め、ブースを片付けたのを覚えている。ただ同時に、またここに戻ってくるような気もした。Intel ISEF2016のFinalist達と、舞台はISEFではないかもしれないが、きっとまたどこかで会えるような… ”おわり”というより、むしろ”はじまり”のような気がしてならなかった。落ち込んでばかりはいられないな… ”次に会うときは絶対負けないから!!”

最後になったが、これまで私を支えてくださった総合委員の先生、読売新聞の方、NSSの先輩方、加藤山崎教育基金、ALT、通訳さん、諸先生方、家族、そして”セミ”たちに心から深く感謝申し上げる。そして、早川君との出会いがなければ、Intel ISEF Finalistとして今こうしていることはできなかった。去年の夏の東京での彼との出会いが、私の夢を現実にしてくれたと思っている。ありがとう! そして、JSSAの素晴らしいメンバー達との出会いに感謝している。

-THE FUTURE IS BRIGHT- 未来はあかるい!

Intel ISEFを通して

Project Title: Silk-Gland-Derived Sericin as a Growth Promoter in Animal Cell Culture

横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校 藁科 友朗

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まさか自分が!Intel ISEFに派遣されることは夢のまた夢でした。JSEC2015で朝日新聞社賞をいただき、発表に向けての準備の日々が始まりました。派遣が決まってからアブストラクトやレポート作成の期限に追われる日々で、慣れない英語に大変苦労しました。また、国内のコンテストでは提出したことのない、人の培養細胞に関する実験許可書類や3面のポスターの作成など慣れない作業も続きましたが、多くの方々のサポートにより、無事に出場することができました。

日本にいる時は想像がつきませんでしたが、多くの経験者が「ISEFはお祭りだ、楽しむべし」と言う理由は初日で明らかになりました。長いフライトでようやくフェニックスのホテル着くと、つかの間の休息。すぐにピンバッチ交換会が始まります。各地域の色や形の独特のピンバッチは大変興味深く、また、海外の方の積極的な姿に圧倒されながらもすべてのピンバッジを交換することができました。次の日もその次の日ももイベントが続き、気づけば審査前日の夜になっていました。

ディスプレイ審査に引っかかり、セリシンのフィルムが展示できなくなったことや、英語で発表する不安は、いくら準備を重ねても払拭できず、最後に心がけたことは2つ「シンプルに説明すること」と「英語に自信がなくても伝えたいことは全て言い切ること」。人生最初で最後のIntel ISEFで後悔しないようにしたかったからです。しかし、実際の審査が始まると心配していたことは起こりませんでした。審査員の方は日本人が英語が得ではない事を知っており、一文一文相槌を打っていただき、意味が曖昧な部分は聞き返していただきました。また、足りない英語力はポスター内のイラストや身振り手振りで補うことができため、言語による障壁はあまり感じられませんでした。そして、審査を楽しむことができました。

授賞式で自分の名前が呼ばれた時は、本当に驚きました。そして、挑戦し続けられた環境、切磋琢磨した友人、指導していただいた方に恵まれていたことに感謝しました。昨年は進路のことがなかなか決まらず不安な毎日でしたが、挑戦し続けて本当に良かったと思いました。
今回のISEFは非常に良い経験となり、同時に研究者として活躍したいという夢がより強いものとなりました。これから先が本当の勝負なので努力を続けたいと思っています。

最後になりましたが、Intel ISEFへの派遣をサポートしてくださった方々に御礼申し上げます。

 

 

編集後記

今年2016年は、日本から過去最多となる16組がIntel ISEF出場となりました。2013年までは6組しか参加できなかったことを考えるとIntel ISEF参加のチャンスが広がっただけでなく、世界最大の高校生向け科学研究コンテストであるIntel ISEFの存在を知っていただける機会も多くなったことはとても大きな意義があります。Intel ISEFは、甲子園をはじめとする高校生のスポーツの大会や(教科系)科学オリンピックと比較するとまだまだ知名度が低いのが現状です。ただ、今回の体験記を拝読すると、ISEF参加を目標に研究をして実際にIntel ISEFへの切符見事、手にすることができたファイナリストが増えてきたように感じます。過去に活躍したファイナリストの姿を見て、かっこいい、自分もISEFを目指してみたいと思ってくれる中学生や高校生が一人でも増えてくれることが、さらなる日本代表ファイナリストの活躍につながり、ひいては日本の高校生の科学に対する興味や関心を高めることに最終的につながっていくのではないかと思います。

体験記の中で、たくさんのファイナリストが人生を変えるような経験になったと話しています。Intel ISEFの1週間は、研究発表だけでなく毎日イベントが開催され、まさに非日常です。まず、ファイナリスト自身も持っていたかもしれない、科学や研究をやっている人たちは地味で暗いのではないかというイメージが一瞬のうちに払拭されます。どこに行ってもまわりは英語だらけという中で最初は戸惑いの多かったファイナリストも、他国のファイナリストたちと交流するうち、ISEFの魔法とでもいうべきものによって科学研究の面白さ、重要性にあらためて気付かされたようです。レベルの高いファイナリストになると、がんの治療や新たな電池技術の開発などといった現実の問題を研究の題材としていたり、専門家顔負けの学術的な発見を発表していたりします。おおげさではなく、同年代の高校生たちが本気で世界を変えようと研究に取り組む姿勢に、自分たちも負けてられないという気持ちを強くしたのではないでしょうか。今年のISEFのテーマは、THINK BEYOND。ISEFの開会セレモニーでは、これまでになかった何かによって、未来を変えていくのは君たちファイナリストだという強いメッセージがいたるところから伝わってきました。ファイナリストたちにとって、ISEFはゴールではなく、新たなスタートとなったのではないかと思います。

実は、このニュースレターは2004年にNPO法人日本サイエンスサービスが発足する以前から、ISEFのOB・OGによって毎年発行されてきたものです。そのため、Alumniという言葉が英語のタイトルに入っています。一時発行をしていなかった時期が5年ほどあり、昨年からウェブページとして復活しました。その理由は、ISEFに行った直後のファイナリストの生の感想がISEFを一番うまく表現できているのではないかと感じたからです。例えば、10年以上前のニュースレターを読んでみると、ISEFそのものも日本でのサポート体制もかなり変わっていますが、それでもファイナリストが感じたISEFの熱気や興奮は変わらないように思えます。ファイナリストのみなさんの感じたことを通して、もっと多くの方にISEFを知っていただくきっかけになればと思います。

(日本サイエンスサービス 宇山)

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Intel ISEFニュースレター 2016 No.17
■ 発行: NPO法人 日本サイエンスサービス nss.or.jp
■ 発行日: 2016年6月10日
■ 撮影: 平田尊紀、鈴木麻衣子、土井ひらく (日本サイエンスサービス・プレスチーム)
■ 編集: 宇山慧佑 (日本サイエンスサービス・プレスチーム)
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