ニュースレター No.18

2017年7月31日
撮影・編集・発行: 日本サイエンスサービス

2017年のインテル国際学生科学技術フェア (Intel ISEF: Intel International Science and Engineering Fair) には、世界78の国と地域の約700万人から、それぞれの予選を勝ち抜いた1778名の高校生(9-12grade)たちが科学技術分野での研究の頂点を目指して集まりました。半世紀以上続く世界最大の高校生向けコンテストIntel ISEFのレベルは非常に高く、大学院生や研究者と肩を並べるような研究成果の数々が出品されます。今年はそれぞれの研究内容に応じた22カテゴリと156のサブカテゴリが用意され、ファイナリストは研究結果のみならず社会や学術分野へのインパクトを強調して、審査員や参加者に発表を行っていました。本年の開催地はカリフォルニア州ロサンゼルスで、2017年5月14日から19日にかけて大会が行われました。また、期間中は科学技術研究の審査会だけではなく、国際交流イベントも多く催されました。日本からは日本学生科学賞(JSSA)と高校生科学技術チャレンジ(JSEC)から20名、12プロジェクトが参加しました。

日本代表から5プロジェクト9名が部門優秀賞、特別賞などを受賞

優秀賞(Grand Award)表彰式では、絹糸をより簡便で効果的に着色する方法を確立した慶応義塾大学1年(島根県立益田高等学校出身)の福満和さんが動物科学部門優秀賞2等を受賞しました。また、人工光合成の実現を目指し、焼成によってタンタル板が光触媒として利用できることを解明した市川学園市川高等学校3年の吴慧怡さんがエネルギー:化学的部門優秀賞2等を受賞しました。さらに、プロペラに切削処理を施すことで従来の方法よりも簡便に効率の向上に成功した南山高等学校男子部3年の田渕宏太朗さんが機械工学部門優秀賞2等を受賞しました。3名が受賞した部門優秀賞2等は、全研究のうち上位5%のすぐれた研究にのみ与えられるものです。また、MIT Lincoln Laboratory Ceres Connectionプログラムにより、今回優秀賞を受賞した3名のファイナリストの名前が小惑星につけられる予定です。

特別賞(Special Award)としては、飛行機雲の観察から上部対流圏の湿度を求めることに成功した青森県立青森南高等学校3年の越田望月さん、小泉ひなたさん、古枝志織さんがアメリカ気象学会賞佳作を受賞しました。また、アメンボが水面波の振幅を判別することで異なる挙動を示していることを解明した長崎県立長崎西高等学校3年の野辺愛耶さん、近藤紀香さん、福澤咲知子さんがアメリカ音響学会賞佳作を受賞しました。

なお、最高賞にあたるゴードン・ムーア賞にはドイツ代表のIvo Zellさんの「A Wing Is Enough: An Improved Flying Wing Based on a Bell-Shaped Lift Distribution (羽だけで十分:釣鐘状揚力分布に基づく改良型全翼機)」が、次点にあたるインテル青年科学賞(Intel Foundation Young Scientist Award)には、米代表のAmber Yangさんの「Multi-Orbit Space Debris Cloud Tracking Using Iterative Closest Points Registration with Machine Learning (機械学習を用いたICP位置合わせによる多軌道スペースデブリ雲のトラッキング)」と、イタリア代表のValerio Pagliarinoさんの「LaserWAN – Laser Broadband Internet Connections (レーザーWAN レーザーブロードバンドインターネット接続)」が選ばれました。


日本サイエンスサービス(NSS)による日本代表支援

日本サイエンスサービスは、主にIntel ISEF出場者OB・OGによって構成され、そのスタッフがIntel ISEF日本代表に対する様々なサポートを行っています。多くの高校生にとって、海外での英語発表は経験したことのないものであり、また米国での研究発表の常識やルールは日本とは大きく異なります。そのため、せっかく良い研究内容であっても、単に実験結果や発表原稿を英訳しただけのものでは評価してもらえないことが往々にしてあります。長年、ISEFファイナリストのサポートに関わってきた日本サイエンスサービスでは、このような日本での研究発表とIntel ISEFでのギャップを埋め、Intel ISEFで最大限活躍してもらえるようなノウハウや情報を提供しています。2017年は、日本学生科学賞の1月事前研修会へのスタッフ派遣、JSECでのアブストラクトやリサーチプランといった事前提出書類・ポスター等の作成サポート、3月にグーグル合同会社(東京・六本木ヒルズ)にて行われた日本代表向けの全体研修会の主催、4月の直前研修会へのスタッフ派遣、Intel ISEF2017ロサンゼルス大会へのプレス派遣、最新Intel ISEF国際ルールへの翻訳対応等を行いました。

3月26日から28日にかけて、グーグル合同会社(東京・六本木ヒルズ)にて開催した合宿形式の研修会では、ファイナリスト15名、日本サイエンスサービス(NSS)から29名のボランティアスタッフが参加しました。研修前半では、審査形式の確認、効果的なポスター作製とプレゼンテーション方法についての説明を受けた後、NSSスタッフとともに研究の骨子を再構築する作業を行い、正確にわかりやすく伝えるための土台作りをしました。研修後半では、さらにネイティブトレーナーを交えて、2分間の発表の原稿作成や発表練習、質疑応答などの実践的な対策を行いました。Intel ISEFの審査は英語によるディスカッションが重要なため、全体を通して質疑応答などのコミュニケーションの練習を重視した研修となりました。この研修会を通して各プロジェクトが渡米までに克服すべき課題を明確にすることができたようです。

また、日本サイエンスサービスでは、毎年現地にスタッフを派遣し、ファイナリストの撮影を中心とした取材および広報活動やファイナリストの発表をサポートしています。撮影したファイナリストの写真は、新聞やテレビといった各報道機関でご利用いただいています。現地では、TwitterなどのSNSによるリアルタイムの情報配信を行い、1日のまとめをISEF.jpに掲載しました。本年は、プレススタッフとして2014年ファイナリストの溝口昂太郎、2015年ファイナリストの久保裕亮を派遣しました。


Intel ISEF2017体験記

Intel ISEF 2017ロサンゼルス大会に参加した12プロジェクト20名の高校生から、米国での体験や感想をいただきました。研究や準備での苦労や、本番での悔しい思いもあったようですが、Intel ISEFが人生を変えるような素晴らしい体験になったと多くのファイナリストが語ってくれました。この体験記を通して、実際に参加したからこそ分かるIntel ISEFでの興奮や熱気を少しでも感じていただければと思います。また、来年以降Intel ISEFに参加したいと思っている中学生や高校生の方にとっては、参考やヒントになる意見もたくさんあるのでぜひご覧ください。


愛知県立一宮高等学校 位田 麻衣

Project Title: Experimental and Numerical Investigation of Relation Between Color and Thickness of Extremely Thin Soap-Bubble Films

昨年の十二月にISEFに出場すると決まった時はあまり実感を持つことができませんでした。けれども、アブストラクトやリサーチプランの添削、事前研修での英語での発表練習をすることによって、徐々にISEF出場への実感を持つことができました。そして、日本代表としてISEFに出場するということに責任感を感じました。多くの方にアドバイスを頂きながら、準備を進めていき、ついにISEF本番となりました。ISEF会場に到着したとき、会場の広さにとても驚きました。こんなに立派な会場で自分が発表するなんてしばらく信じることが出来ませんでした。でも、自分の研究を多くの人に知ってもらえるいい機会だと思い、精一杯に頑張ろうと思いました。一日目は、ピンバッジ交換会が行われました。初めは、人見知りの自分はみんながとても積極的に話しているところを眺めているだけで、あまりピンバッジ交換会を楽しむことが出来ず焦っていました。けれども、時間が経つにつれて、そのような不安感もなくなり、自分から多くのファイナリストに話しかけることができて、自分の持っていたすべてのピンバッジを交換することが出来ました。たくさんの国の高校生と触れ合うことが出来た非常に貴重な経験でした。二日目と三日目は、発表するときに必要な道具とポスターと設置の準備をしました。ポスター制作はとても大変で苦労したけれど、自分で制作したポスターが実際に形となって現れているのを見た時は、頑張ってよかったな、ISEFに参加できてよかったなと強く思いました。四日目は、審査本番でした。通訳の方との話し合いを終え、会場に向かいました。どのようになるか想像することが出来なかったので、緊張感と楽しさとで胸がいっぱいでした。私は英語が苦手でとても心配でしたが、審査員の方々はとても親切にそして気さくに話してくださって発表に自信を持つことが出来ました。何人かの審査員は発表を始める前に、「面白くていい研究だね」とほめてくださり、とても嬉しく感じました。また、このシャボン玉の研究をしていてよかったなと感じました。五日目は、一般公開日でした。浴衣を着て発表していたので、多くの外国人がいい服だねと褒めてくれたり、写真を撮りたいと言ってくれたことがすごく嬉しかったです。そして、審査の時とは違い、のびのびと発表することが出来ました。また、英語に慣れてきて、多くの人とあまり緊張しないで、関わることが出来たので良かったなと思います。

私たちの研究は、残念ながら賞をもらうことはできませんでした。けれども、このような一生味わうことのできない貴重な一週間を過ごすことが出来て、とても幸せでした。また、他国の友達も作ることが出来てよかったです。英語は他国の人とコミュニケーションをする大事な手段だということを、ISEFを通じてより強く感じたので、勉強を頑張っていきたいと思います。そして、この貴重な一週間の経験を生かして、今後も様々なことに一生懸命に取り組んでいきたいです。

最後に、ISEF出場にあたってとても親切に対応してくださったNSSの皆さま、一緒に研究を進めた菊入さん、学校の先生、そしてJSEC事務局の方々、本当にありがとうございました。


千葉県立佐倉高等学校 上西里佳

Project Title: Alumiracle ~Coloring Anodized Aluminum with Natural Dyes~

ISEFへの参加を問う連絡が来たとき、こんな機会はまたとない、全力で頑張ろうと意気込んだことを今でも覚えています。しかし、そんな意気込みとは裏腹に、苦手な英語を使って文章を書いたり、喋ったりすることに苦戦し、準備はなかなか思うように進みませんでした。また、私の場合、ISEFの準備期間が丁度大学進学の時期とかさなっていました。度々、提出書類の締切ぎりぎりになったり、締切を延長して頂いたり、入学後新たな環境に慣れず体調を崩したり、まさかのパソコンを引越し先に持っていくのを忘れて作業が出来ないと泣きついたり、周りの方々にものすごく迷惑をかけてしまった思い出しかありません。本当に申し訳ないです。実際にISEFが始まると、その規模の大きさに驚き、改めて世界大会に出場しているんだと実感して最初はとても緊張しました。しかし、ピンバッチ交換会やダンスパーティ、ユニバーサルハリウッドで遊んだりして、同じ日本のチームの人達や、様々な国の方々と交流し仲良くなったり、様々な研究に触れることが出来て、とても楽しくて心が躍り、次第に緊張もほぐれていました。審査会も始まってみれば一瞬で、上手く自分が言いたいことが英語で表現出来なかったり、質問が理解出来なかったりした時は気持ちが沈んでしまいましたが、自分達の研究を聞いてもらえる嬉しさ、面白い研究だね、と言ってもらえる喜びで楽しく終えることが出来ました。準備期間が長かった分、ISEFでの楽しい時間はとても早く感じました。しかし、この時間は濃密で、様々な大切なことに気付くことが出来た貴重な時間でした。

ISEF中、私は自分がうまくやれるだろうか?という言いようのない不安にたびたび襲われていました。そんな時、私は共同研究者の友人の存在にとても助けられていました。彼女は冷静で、とても頼りになる存在です。彼女が隣にいてくれるという安心感から私は笑顔でいることが出来ました。ずっと側で支えてくれた相棒である彼女の大切さを、改めて感じました。また、世界と比べて自分の英語力・積極性の低さなどを感じたり、同年代の子達の素晴らしい研究を聞いたり、自分の研究を褒められたりして沢山の刺激を受け、もっともっと勉強や研究をしたいと強く思いました。ISEFはただの研究発表会ではなく、私にたくさんの大切なことを教えてくれました。こんな一生に一度しかない素晴らしい機会を頂けたことを、本当に感謝しています。仲良くなった他国の子達や、ファイナリストの仲間との関係をこれからも続け、受けた刺激を無駄にせずこれからに活かし、気付けたことを大切にして、ISEFの時の自分よりももっと成長できた、もっと良い研究をしていると胸をはれるよう、これから努力していきたいです。


愛知県立一宮高等学校 菊入有紗

Project Title: Experimental and Numerical Investigation of Relation between Color and Thickness of Extremely Thin Soap-Bubble Films

昨年の12月、JSECで科学技術政策担当大臣賞をいただき、ISEFに参加することが決まった時、正直実感がわかず、驚きでいっぱいでした。英語は学校の授業でも得意でなく、日本人相手でも積極的に話しかけるのが苦手なので、こんな自分で大丈夫かなと不安でいっぱいでした。しかし、ISEFでの一週間は私にそんなネガティブになる時間さえ与えてくれませんでした。一日目のピンバッジ交換。周りはみんな外国人という状況の中、会場の雰囲気に驚きましたが、思いきって話しかけていきました。みんなとてもフレンドリーで、たくさんあったピンバッジが片手で数えられるほどに減った頃には、積極的に会話が出来るようになりました。ダンスパーティーではみんなのテンションの高さに圧倒されながらいろいろな人とゲームをしたり、コミュニケーションをとったりすることができました。オープニングセレモニーは日本の開会式とは全く違い、各国のファイナリストが自分たちの国をPRしていてとても盛り上がりました。審査当日。朝、寝坊してしまい、みなさんにご迷惑を掛けてしまい、申し訳ない気持ちで迎えることになりました。審査直前は緊張しましたが、審査員のみなさんが、私たちの発表を頷きながら聞いてくださり、リラックスして臨むことが出来ました。ただ、自分の英語力の無さは改めて痛感しました。通訳の方に頼ることが多く、質問の意図を理解することができなかったときがあり、悔いが残る結果となりました。しかし、次の日の一般公開、前日以上に積極的に子供たちに研究の内容を伝えることが出来たと思うので良かったです。私たちの実験器具の模型や、シャボン玉の色の変化の動画を見て、興味を示してくれる子たちが多く、うれしかったです。審査の後のユニバーサルスタジオハリウッドでは他の国の人たちと一緒に回り、たくさんのアトラクションに乗ることが出来て、本当に楽しい時間でした。ISEFの直前研修で私は積極性をもって臨みたいと宣言し、ISEF期間中、他の国の人たちに自分から話しかけ、コミュニケーションをとるように心がけました。短い期間でしたが様々な人と交流することで、文化の違いに驚くことや、たとえ言葉が通じなくても積極的に伝えようとする気持ちが大事だと感じることが多々あり、絶対忘れることのない、充実した一週間を過ごすことができました。入部してきた私に研究について教えてくださった先輩、共にISEFに参加したファイナリストのみんな、応援してくれたみなさん、サポートしてくださったスタッフの方々、顧問の先生、本当にありがとうございました。


市川学園 市川高等学校 吴 慧怡

Project Title: Artificial Photosynthesis: Novel Visible Light Response and Formic Acid Generation from Carbon Dioxide Using Tantalum Oxide/Tantalum Plate

私が研究を本格的に始めたのは高校二年の5月でした。始めた当初からJSECとその先にあるISEFを視野に入れてきました。研究内容は人工光合成で、一つ上の先輩から引き継ぎました。人工光合成については事前に調べていましたが、いざ実験を始めるとなったとき、何をすればいいのか、どんな器具を用いればいいのか全くわかりませんでした。そんな時、研究指導をしてくださっていた先生がサポートしてくれました。私のたくさんの質問にも丁寧に対応し、研究に熱心に付き合ってくださりました。しかし私の研究はあくまで私の研究、ということを重んじて、必要以上に手伝う、ということは一回もありませんでした。そして受験生である私を気遣って研究だけでなく、勉強も頑張るんだよと常々言ってくださりました。先生は他にも受け持ちの生徒による研究があって忙しかったので、実験は一人で行いました。最初は一人で行うことに不安がありましたが、次第に慣れていきました。研究の成果ですが、なかなか出ませんでした。私にとって初めての発表である、学校での中間発表会、そしてすぐ後にある、千葉大での発表会に向け、私は夏休みにも何日か学校に行って実験をしました。その努力の甲斐あってか、研究で新規発見をすることができました。その頃には研究がすっかり楽しくなっていました。そして私にとってその研究と同じく楽しいのは研究発表をすることです。私はもともと人前で話すのは苦手で、声は小さくなるし、赤くなるし、緊張して震えてしまうし、で結構大変でした。それでも自分の今まで準備してきたことから得られる自信や、研究成果を専門の人に聞いてもらえて嬉しい気持ちが勝るもので、私は発表することの苦手意識をなくすことができました。

私はとうとうISEFに参加する機会を手に入れることできました。ISEFの主催地、アメリカはずっと憧れていた場所だったので、行くと決まった時は本当に嬉しく思いました。準備はかなり大変でした。リサーチプランやプロジェクトサマリーの作成、ポスターの作成。英文に直すのがとても大変で、英語の先生から返ってきた添削は直しで真っ赤でした。それでも、それらの作成によって自分の研究を見直すことが出来、不足していた知識も補うことが出来ました。ISEFでは勿論研究発表がメインに日程が組まれていたので審査が終わるまでは審査を一番念頭に置くようにしました。アメリカに着いてからも、審査当日の朝まで指導してくれていた先生にメールで質問のやり取りをしました。人それぞれだと思いますが、私はそうして心底良かったと思います。(日本でも準備は沢山しましたが、土壇場だと色々吸収しやすいので)おかげで審査当日には自信を持って臨め、審査員との交流がいい思い出となりました。とても楽しかったです。イベントを通した他国の人との交流もとても心に残っています。その時は英語を頑張ってきて良かったな、と思いました。また、国によって文化も違えば話し方も違うけれど、皆研究に対する思いは似ていて、私たちにとってそれは言葉と同じなんだな、と実感しました。あと、世界大会だからと外国にばかり目を向けていた私でしたが、アメリカで一緒に過ごしていくうちにISEF日本ファイナリストの皆さんがいつの間にかとても大きな存在になっていて驚きました。ISEFに参加できて本当に良かったです。


青森県立青森南高等学校 小泉 ひなた

Project Title: Estimation of the Humidity in the Upper Troposphere using Contrails formed by Airplanes

Intel ISEFへの派遣が決まり、より気持ちを引き締めて研究に取り組まなければいけないと思いました。もちろん学校の授業や課題などもあり、部活動として研究に取り組める時間が少なく、あまり進まないことが多かったです。その中で、家に帰ってから自分自身で取り組んだり、東京での研修で他のファイナリストの方達の様子を見たりすることで、やる気を出して取り組むことができました。研修では、十分に準備が出来ていなかったせいか、失敗ばかりでした。他のファイナリストの方達が優秀だったので、自信をなくして落ち込むことも多かったです。失敗も多かったですが、そこで改善点を見つけすぐに手直しをすることで、研究内容をよりよいものへ近づけていくことができました。いよいよアメリカへ出発するとなると不安でいっぱいでした。日本と違うことばかりで、何か問題が起こったらどうしようなど色々考えていましたが、何より発表が上手くいくかが不安でした。緊張しながらのピンバッジ交換会でしたが、みんなフレンドリーで、会場も賑やかで、とても楽しかったです。緊張も少しほぐれ、発表の前日にもホテルで準備をして、発表に臨みました。翻訳者の方の助けもあり、また、審査員の方がとても優しかったので、リラックスして発表することができました。ほぼすべての質問に答えることができて良かったと思います。プレゼンテーションは、練習の回数だとおっしゃっていた方がいて、当にその通りだと思いました。練習をたくさんしておいたことも、発表が上手くいったことにつながったのだと思います。一般公開では、地元の小学生や専門家以外の方に発表するので、審査会とはまた違った発表にするように工夫しました。一般公開の時は浴衣を着ていたからか、また、ブースが入口に近かったからか、たくさんの人が発表を聞きに来てくれました。折り紙を渡すと、とても喜んでくれました。他に楽しかったことは、ファイナリストの方達との交流です。主に、読売のファイナリストの方達と話をしました。研修中は少ししか交流できませんでしたが、アメリカで、ホテルの部屋に集まって、話したり遊んだりして、とても仲が深まりました。

今回のIntel ISEFでは学ぶものがとても多かったです。部活の顧問、または学校の先生、メンターの先生、NSSの方達、ファイナリストの方達、そして同じ研究の仲間達、たくさんの人に支えられていることが分かりました。Intel ISEFへ参加させていただいたこと、たくさんの良い人達と巡り合えたことに感謝しています。私にとって、貴重な経験や思い出になりました。とても楽しかったです。ありがとうございました。


青森県立青森南高等学校 越田望月

Project Title: Estimation of the Humidity in the Upper Troposphere using Contrails formed by Airplanes

ISEFの派遣が決まったとき、最初はとても驚きましたが、同時に嬉しい気持ちが込み上げました。研修会では、大学の教授の方々からアドバイスを頂いたり、私たちの研究をより良くするために式やプレゼンの勉強したりすることが出来ました。また、日本代表チームの、他の高校や大学の方々とお話したり一緒に学んでいって、お互いを高め会える友達が出来たと思います。研究だけでなく、好きなこと、勉強の悩み、学校生活、将来のことなど何でも話し合える友達になれました。それだけでなく、NSS、OBの方々からのアドバイス、体験談や大学生活など興味深い貴重なお話を聞くことが出来て嬉しかったです。国内の研修の時点から、県外の友達が出来たのは始めてで新鮮な気持ちになり、加えてこれからアメリカで発表すると、今までの自分の小さな世界が大きく広がると感じました。そして、大会準備をするほど、日本代表としての自覚、そしてこの機会を生かすためにも、私の研究を英語で、世界で発表したい、交流したい気持ちが強くなっていきました。ついにアメリカに行き、ロサンゼルスの会場に着いたときはとても緊張しました。やはり、周りがレベルの高い研究を行い、英語が上手で、本当に今までやってきたことが通じるのかと不安に思いました。審査本番、発表までは数日間時間はあるものの、研究の何が聞かれるか、どんな人が聞きにきてくれるのか心配しました。予想される質疑応答の練習を何度しても落ち着きませんでした。しかし、初日にインドネシアの高校生が私たちの研究に興味を持って聞きにきてくれたとき、英語で話せましたし、質問にも答えられていて自信がつきました。そのとき初めてしっかり海外の方とお話出来たと思います。また、ピンバッチ交換会では色んな国の人と話せて友達になり、とても刺激的な経験になりました。英語で話せる喜び、国を越えての交流、本当に忘れられません。初日のそれらの出来事のおかげで、私にあった不安が一気に消えました。国際交流とは、正にこのことかと体感しました。審査日当日、とてもリラックスした状態で臨めました。研究を聞きに来て下さった審査員が目を合わせてしっかり聞いて、見てくれて、聞き終わった後、「Interesting!」とおっしゃった時、ずっと準備に励んで良かったと思いました。また、飛行機の開発をしている技術者の方が研究を聞きに来てくれて、ずっと笑顔で、楽しそうに研究を聞いて質問してくれて感動しました。そして、これからも頑張って研究を続けて下さいと言われたとき心が温かくなり、今でもその技術者の方が忘れられず印象に残っています。その後の発表も順調に出来て本当に安心しました。さらに、アメリカ気象学会賞を頂いたときは、ISEF派遣の時より驚き、嬉しくなりました。私たちの研究が世界的に認められたのかなと思い胸が熱くなりました。今回のISEFを通して私は今までの人生の中で一番苦労、楽しい気持ち、感動を味わったと思います。また、他の誰にも出来ない体験が出来て嬉しかったです。ISEFは自分の人生を輝かせるもの、自分の世界や将来を広げてくれるものだと思います。本当に忘れられません。ありがとうございました、の感謝の気持ちで一杯です。皆さん、本当にありがとうございました!!!!!


長崎県立長崎西高等学校 近藤 紀香

Project Title: Water Surface Vibration Signals Utilized by the Japanese Water Strider, Aquarius elongatus, to Locate Prey and Mate

今回ISEF という貴重な経験をさせていただいて本当にありがとうございました。ISEFの存在は、高校の部活の先輩が過去に参加したことがあるということで知っていて、私たちも一年生のころからアメリカに行きたいねー!なんて言っていました。まさかそれが本当に実現するとは思いませんでした。ありがとうございました。ISEF全体的には本番よりも準備がとても大変でした。Google研修では審査の時の英語の3分間での研究説明を作成し、発音、発表練習を行いました。社内のバイキングレストランみたいな食堂でネイティブの社員の方とお話をしながら食べたご飯も楽しく美味しかったです。特に、私たちはポスターの構成が特徴的で、JSECの時にビジュアル重視で、文字少な目で写真が多いポスターでした。しかしISEFでは事前審査が主にポスターもみられるということで悩んだ挙句、直前までは構成を変えていませんでした。しかし4月末の朝日新聞での直前研修でリハーサルをしたところ、やっぱり構成を変えようということになり、ISEF直前にばたばたすることになりました。これが本当に、本当に大変でした。さらに直前に英文をALTの先生に見てもらったりして、ポスターを作り直しました。作り直していたときは本当にこれでいいのか・・・間に合うのか・・・と思っていましたが、本番にきれいに印刷されたポスターを見て、頑張ってよかったなと思いました。そのことで、ポスターの提出期限を大幅に超えてしまったこと、本当にすみません。ISEF出発前日にも帰国子女の生徒会長に想定質問を何度も質問してもらいました。準備期間は、英語が苦手な私にとっては毎日大変でした。しかし、いざ本番を迎えるとここまで準備を頑張ってきて本当によかったな、と心のそこから思いました。

ISEFで一番初めにびっくりしたのは、先輩方から聞いていたお話通りお祭りみたいなオープニングセレモニーでした。プロのダンサーまで出てきて激しく、乗りの良い音楽に、これからISEFが始まるんだな!とワクワクしたことは一生忘れません。ほかの国のファイナリストのノリがものすごくて、圧倒されました。ピンバッチ交換会でも、話しかけ方が積極的で私も英語でそんな風に積極的に話せたらな・・・と何度も思いました。審査では、想定していた質問のおかげかスムーズに進みました。また、急きょ通訳にいついてくださった野呂先生のおかげで審査がスムーズに進んだといっても過言ではないので、野呂先生には生本当に感謝しています。あと、絶対に忘れないのは、ユニバーサルスタジオハリウッドです。まさかの貸し切りで審査疲れもふっとび、思いっきり楽しめました。また、ほかの国のファイナリストとは、ダンスパーティーや、一般公開の時に仲良くなりました。これも一生の思い出です。私はもともと将来、医療にかかわりたいと思っていたのですが、この貴重な体験をすることで進路への考え方も変わり、将来は生物学や農学に進みたいと思うようになりました。このような貴重な経験をさせていただいて本当にありがとうございました。


広島大学附属福山高等学校 田中愛登

Project Title: Automatically Reproducing Live Performances of Violins via Novel Sound-Post Controlled Electrification

「悔いはない」振り返ってみれば心からそう言えるIntel ISEF2017でした。元々の構想はあったのですが、今回のヴァイオリン研究は昨年の夏休みから始めました。前回と違う分野の研究に取り組んだ理由は、ヴァイオリン自動演奏を実証してみたいという目的はもちろんのこと、前回受賞を逃したこともあり、再挑戦したいと心の底から強く思ったからでした。それほどに、世界中から集まったハイレベルな高校生と青春の集大成とも言える研究について競い・交流し・友情が芽生えた、昨年のIntel ISEF2016は今までにない刺激的な経験だったのです。Intel ISEF2016の帰国前日の夕食会で、来年のIntel ISEF2017で再挑戦すると宣言しただけに、JSEC2016で朝日新聞社賞を受賞した時は跳び上がるほど嬉しかったです。それから、Intel ISEF2017に向けた準備が始まりました。まず、JSECの審査員やNSSの方々からの助言を元に追加実験を行い、説明を加えました。年が明けてからは、発表時の実演用の装置を製作し始めました。装置の実演をするのは今回が初めてで、非常用の電源スイッチの設置義務や電圧制限など、発表時に使用する機器を厳しい安全規制に適合させるのはとても大変でしたが、無事完成させる事が出来ました。3月と4月に行われた研修で発表の為の最終確認を行い、自分に出来うる限りの準備をしていきました。そしてついに出発する日を迎えました。成田空港で出発式を行った後、十数時間もするとアメリカのロサンゼルスに到着です。ブースの設営にかなり時間がかかってしまい開会式に遅れそうになりましたが、心配していたブースの展示品も無事承認されました。その後も違反は無く、とても安心しました。その後はピンバッジ交換会で各国のファイナリストと交流し、ISEFのOBやノーベル賞受賞者達のパネル討論、さらに審査日の前日の夜にはダンスパーティーと行事が続き、今年も多くの人と交流することができました。また、直前の発表練習やISEF同窓会では、ファイナリストと互いの研究を紹介し合い、研究レベルの高さに刺激を受け、自分も頑張らなくてはと決意を新たにしました。そして審査日当日になりました。JSECチームで円陣を組んで健闘を互いに約束して、審査会場に向かいました。最終的に特別賞は2グループ、グランドアワードは13人の審査員の方が来て下さいました。はじめは緊張していましたが、多くの審査員の方が時間外であっても質問に来てくださり、審査員の方々に対してしっかりと説明することが出来ました。昨年、自分の言葉で研究の内容を伝えることが大事だと痛感したので、今年は通訳の方を付けず一人で発表に臨みました。それだけに、審査員の方に「良い研究だね」「理解しやすいね」と言っていただけた事はとても嬉しく、今までの努力が報われた気がしました。審査の後は、ユニバーサルスタジオでファイナリストと交流したり、一般公開で来られた方や子供達に研究を説明したりとあっという間で楽しい時間を過ごしました。そして最後のイベントの表彰式となりました。しかし結局、私の名前が呼ばれることはありませんでした。自分のカテゴリの表彰が終わった瞬間、まず悔しいという感情が込み上がって来ました。また同時に、約半年に渡りサポートしてくださった方々とJSEC2016で競った高校生の皆さんに対して申し訳ないという思いが湧き上がって来ました。受賞を一年前の宣言通り達成出来なかったのは言葉で言い表せないほど悔しかったのですが、精一杯努力したので悔いはないと思える自分もいました。

Intel ISEF出場を通して、自分の研究内容を日本語と英語で科学的根拠に基づいて理論構築し表現することや相手のニーズに合わせた説明の手法を学ぶ事ができ、世界でハイレベルの研究をしている高校生と交流する事で、通常の高校生活では得られない素晴らしい経験をすることができました。特にこの一年は周囲の人達を大変心配させてしまい、研究よりも学校の事や勉強に注力した方が良いのではと言われた事もありました。しかし、学校生活をきちんと送る上でも、さらには自分を見失わないためにも、好きな研究に取り組むという自分の決断は間違っていなかったと思いますし、今後の行動でそれを確信に変えたいと思っています。これから専門的な知識を身に付けて、将来は科学研究に従事する仕事に就き、Intel ISEFで学んだことを活かしていきます。最後になりましたが、Intel ISEFでしか出来ない大変刺激的な経験をさせていただけたのは、ご指導してくださったNSSやJSECの方々、審査員の先生方、朝日新聞社と引率してくださった方々、さらには、クラウドファウンディングで応援してくださった方々のお力添えがあったからだと感謝しています。また、共に約半年の準備期間を頑張ってきた日本代表のみんなと充実した一週間を過ごせたことに感謝します。この場を借りて心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。


南山高等学校男子部 田渕 宏太朗

Project Title: Single and Simple Groove Addition Improves Propeller Efficiency

僕がIntel ISEF 2017の日本代表に選ばれたことを初めて実感したのは、Los Angeles Convention Center(LACC)に着いた時でした。審査会場となるホールに足を踏み入れ、”HUB”の看板を目にした瞬間、「やっとここに来ることができた!」という思いで胸がいっぱいになりました。ISEFの準備を始めるまでは、日本代表の1人としてISEFに出場することが大きなプレゼントだと考えていましたが、実際はISEFの準備期間となった5カ月間が最高のプレゼントでした。この期間にAbstract、Research Plan、Project Summary、ポスターを英語で書きあげるのは予想以上に大変でしたが、自分にとっては研究のすべてが大切なため、何を削るかを必死に悩むことで研究テーマに関する深い知識を得ることができ、それが自分を成長させてくれたのです。そして、すべての準備が整ったのは、出発当日の朝!まさにギリギリでした。しかし、この5ヶ月間を200 %の力で走りきったことで、「やれることはやりきった!あとはISEFを隅から隅まで楽しんでやる!」と思うことができました。初日のPin Exchange、2日目のOpening Ceremony、3日目のDance Party、そして審査会の後のUniversal Studio Hollywoodの貸切イベントは、世界中から集まった科学好きの高校生たちと交流を深めるのにぴったりの機会でした。ISEFでは世界の国々から来た高校生と友達になりたいと考えていたため、積極的に話しかけ、連絡先を交換しました。Opening Ceremonyでは、スタンフォード大学教授の”Science is not a sprint. It’s a marathon.”という言葉が、自分の研究人生(わずか6〜7年ですが)を見事に表現していて心に残りました。3日目の午後には、過去にISEFに出場したサイエンティストや、ノーベル賞受賞者などによるパネルディスカッションに参加し、貴重な話を聞くことができました。そして審査当日!この日は、ISEFの期間中でもっとも待ち焦がれた1日で、自分の研究分野で活躍している研究者の方々と話ができることが嬉しく、朝から興奮しっぱなしでした。僕のブースには、NASA、Society of Experimental Pilot, United Technology、American Statistical Associationのステッカーやピンバッジ、証書などが置いてありました。これは、それぞれの団体がその研究に興味を持った証として置いてくれるもので、憧れのNASAや宇宙科学関係の団体に興味を持ってもらえたことが嬉しく、テンションが上がりました。審査には、Special AwardのジャッジやGrand Awardのジャッジが合計17人ほど訪れました。どのジャッジも僕の研究発表を聞いて多くの質問をしてくれましたが、中には「君、英語上手だね。海外に住んでいたことがあるの?」と聞いてくれる人もいて、通訳を入れずに自分で発表して良かったと感じることが何度もありました。一般公開日に驚いたのは、前日に2度僕のブースを訪れてくれたSociety of Experimental Pilotの方々が再度現れ、プレジデントのTodd Ericson氏が僕の発表を聞いてくれたことでした。結果として特別賞は受賞できませんでしたが、この時「君の研究は私たちのTOP30に入っている。それを誇りに思ってほしい」と言っていただいたことが、次のチャレンジに向けてのエネルギーになりました。Society of Experimental Pilotからは、この日の午後に行われるシンポジウムにも招待され、浴衣姿のままでシンポジウムにも参加しました。Special Award CeremonyもGrand Award Ceremonyも、日本のかしこまった表彰式とは異なり、ある意味お祭りでした。Grand Award Ceremonyでは、4等から順に受賞者が発表されます。3等までの発表が終わった後、MITのLincoln Laboratoryが2等以上の受賞者の名前を小惑星につけてくれるという動画が流れ、期待が高まりました。しかし、これまでの5日間に海外の高校生のレベルの高い研究をたくさん見ていたため、自分の名前が呼ばれる可能性は低いと思っていたのも事実です。2等の発表が始まり、日本チームから2人の受賞者が出たことに喜んでいた時、”From Nagoya city, Aichi prefecture Japan, Kotaro Tabuchi”というアナウンスが会場に響きました。ステージの上から見た景色は特別で、決して忘れることがないと思います。受賞後、たくさんおめでとうの言葉をいただきましたが、一番嬉しかったのは同じ日本チームのみんなからのおめでとうの言葉でした。

ISEF 2017を終え、宇宙という夢に向かう気持ちがより強くなりました。最高の1週間を経験できたのも、様々な形でサポートをしてくださったJSECやNSSの方々、難解な流体力学を根気よく指導してくださった各大学の先生方、そして応援してくれた友達や両親のおかげです。心から感謝しています。今後もこの経験を生かして、チャレンジを続けます。


鹿児島県立国分高等学校 反田 江吏子

Project Title: Differentiation of Song Patterns of the Cicada Meimuna opalifera Possible Effects of Ancient Pyroclastic Flow

私の1つの大きな挑戦の始まりは,日本学生科学賞で環境大臣賞を頂きISEF出場が決まったことです。そのときは,とても驚きました。そして,嬉しかったです。しかし,冷静になっていくにつれ英語が苦手で全くできない私には,大きな壁が立ちはだかったように感じました。出場することが決まってからアブストラクトやリサーチプランの作成に取り掛かり,多くの方に見てもらい表現の仕方などを教えていただいくなど毎日忙しく過ごしていました。その頃,友達が遊んでいる姿を見ると羨ましいって思っていました。しかし,研修会で日本学生科学賞メンバーの様子を見るとみんな大変な中頑張っているから自分も頑張ろう!!と思えました。アメリカに行くまでの約5か月という期間は思っていたよりもあっという間に過ぎて行ってしまいました。何とか準備を終え,渡米の時に,この飛行機に乗って飛び立つと,着くのは初めての海外。そして,全く知らない場所であり国籍も違う多くの人との大会だと思い不安でした。会場に着き,ポスターを設置し,ピンバッジ交換会に参加しました。ピンバッジ交換会では,どう声をかければいいかわからず戸惑っていた私に,色々な国の人たちが気軽に話しかけてくれたので,段々自分から交流することが出来ました。私は,あの国の人は怖いのかな…。など様々なことを思っていました。しかし,交流して分かったことがあります。私が今まで思っていたことは偏見であり,とても失礼な事をしてしまっていたことです。そのことを今ではとても後悔しています。オープニングセレモニーでは,7秒という短い時間ですが代表の三人のうちの一人として自分から前にあまり出ない私がPPAPのネタで日本をアピールできたことは恥ずかしかったですがいい思い出になりました。そして3日目は,本審査の日でした。会場に入る前は今までにないくらい緊張し,ガチガチでした。その姿を見た日本学生科学賞メンバーの人たちや先生方,通訳さん,そして読売新聞の方々が声をかけてくれました。その時はガチガチで何も言えませんでしたが,声かけてくれたこと,感謝しています。午前の審査が終わるころには,すっかり緊張はなくなり楽しいと感じるくらいリラックスできていました。伝えたい事を全部伝えきれなかったことは心残りではありますが通訳の方に沢山助けてもらいながら午後の審査までなんとかやり遂げることが出来ました。私がISEFに出場することが出来たのは,読売新聞の方やNSSの方々や親や先生方,仲間,友達など様々な人に支えてもらったからです。そして,日本代表のみんな,特に日本学生科学賞の方々。私は,みんなと一緒にISEFに出場するという貴重な経験が出来た事を誇りに思います!!そして,みんなの存在がなければ頑張れなかったと思います。本当にありがとうございました。


小倉日新館中学校 西宮 直志

Project Title: A wooden CNC from scratch:the true established mechanisms by three elements ;technology, electoronics and software are out there!

これまでの僕は人見知りでした。しかし、それはISEF出場によって変わり、さらに、僕の世界観をも大きく広げてくれました。僕の研究は、CNCという、3Dプリンターのような機械を自作する、というものでした。僕は小学生の時からモノ作りが趣味で、この研究も、初めは中学の夏休みの宿題で、趣味の延長でした。それが日本学生科学賞の最終審査に残ったことを伝えられ、訳が分からないまま最終審査でプレゼンをすることになりましたが、そこで他校とのレベルの差に愕然とし、もう一度プレゼンをやり直したくなりました。 予期せずにも、その願いはISEF出場という形で叶うことになりました。しかし、この時の僕のISEFに関する知識は「すごい世界大会」くらいのものであり、それ故に「大変なことになってしまった…」と困惑しました。そんな状態でメンターの先生の指導を受け、英語の研究論文の作成などを開始しました。それからの準備はとても大変でした。多くの課題があり、研究をレベルアップするため、多くの専門家からアイデアをもらったり、施設を使わせてもらったりしました。以前の消極的な僕では想像もできないことですが、ISEFという未知の世界に足を踏み入れている状況に興奮しながら、少しずつ主体的に動いていきました。しかし、この時、僕は同時に「僕よりもすごい研究が周りにたくさんあるのに何で僕が選ばれたのか?」と疑問に思っていました。

あっという間に日々は流れ、渡米の日となり、審査日になりました。1700人ものファイナリストが入るような、広大な審査会場に行ってみると、ほとんどの研究が新しい発明や発見をしており、世界と自分の研究の差に衝撃を受けている状態で、審査が始まりました。はじめは、世界大会だから難しい質問が飛んでくるのかと思っていたけれど、CNCを実際に使用し、僕の研究を気に入ってくれた審査員も多くいてとても心強くなりました。少しずつ自信がつき、もしかすると受賞するのではないかと期待してしまいしたが、その期待は見事に外れました。ISEFの準備を5か月間し続けたことが結果に繋がらなかったことがとても悔しかったです。そんな中でも、僕の尊敬する日本代表が次々に受賞していく様子を見て、彼らが世界で認められたことに衝撃を受けて、ただただすごいと思い、その人達に敬意が伝わるよう、拍手をしていたのを覚えています。僕はISEFを、研究発表をするだけの大会だとは思っていません。僕は、この大会のおかげで多くのファイナリストと交流し、海外の生徒ともメール交換しました!英会話も、最初は緊張でぎこちなかったけれど、徐々に慣れ、通じ合えるようになるととても楽しくなりました。また、ISEFに出場したおかげで、日本代表とのつながりも深くなりました。はじめ、僕は自分から話しかけない上に、むやみに話しかけたら迷惑なのでは?と思って、消極的でしたが、研修で同じように過ごす日々を重ね、いつの間にか親密になっていきました。みんないい人で、一緒に話していて楽しく、科学好きで、見ている世界が広くて…。僕にとって彼らは最高の仲間で、とても尊敬しています。先ほど、「見ている世界が広い」と書いたけれど、彼らの世界の広さを知ったときは驚愕でした。今までの僕は、様々なものを自作して満足するだけでしたが、彼らは自分たちの研究をいくつもコンテストに出していたり、他国の人と交流したりして、次の自分に繋げているのです。このとき僕は、チャンスを知らぬ間に逃していたと気づきました。彼らのおかげで、僕の世界は数十倍に広がりました。ISEFの終わりごろには、日本代表は一つのチームのように感じました。人付き合いには億劫な僕はこれまで本当に気が合って、趣味も同じような友人は数人しかいなかったのですが、今回の研修で素敵な仲間と出会たことにとても感謝しています。僕がここまで来られたことに驚き、またこれも彼らがこんな僕にも優しく接してくれたからなのだと思うと、またまた感謝です…。

ここまで僕自身の体験記を書いてきましたが、ISEFの雰囲気やISEFで学べたことは実際にISEFで発表しないと分からないと思います。僕にとってのISEFの一週間は、圧倒的で、魅力的で、新鮮で、刺激的なものでした。それらを経験できた僕は幸せ者だと思います。また、「僕がISEFファイナリストになぜ選ばれたのか」という疑問に対し、ISEFを終えて、このようなことを思うようになりました。僕は、自分の世界観を広げ、より多くの人と交流し、自分の能力を高められように、選ばれたのか、と。日本代表としては、ずいぶんと身勝手ですが、この経験は確実に僕に自信をもたせ、成長させ、今後の人生さえも変えるほどのものでした。とはいえ、受賞できなかった悔しさは忘れられません。そのこともまた、僕の今後の研究・工作に対する意欲を湧起させました。これからはさらに努力し、自分の力をさらに上げたいです。そしてISEF以外にも、自分の持っている力をアピールすることができる大会に積極的に応募していきたいです。日本学生科学賞の時がそうであったように、そこで自分の能力が認められたら、自分の人生なんてあっという間に変わってしまうと実感しました。そうして、僕はエンジニアになるという夢を実現したいとより強く思うようになりました。

最後に、読売新聞やNSSの方々、メンターの先生、日本のファイナリストのみなさんに出会えて本当に良かったと心から思っています。それ以外にも個人的にお世話になったたくさんの方々に感謝します。5か月間という短い間でしたが、本当にありがとうございました。


長崎県立長崎西高等学校 野辺 愛耶

Project Title: Water Surface Vibration Signals Utilized by the Japanese Water Strider, Aquarius elongatus, to Locate Prey and Mate

JSECで賞をいただき、ISEFへの派遣が決まった時は、本当に夢のようでした。部活の先輩が過去にISEFに参加したことを知っていたため、1年生の時からチームメイトと「アメリカ行けたらいいね〜」と漠然と話していました。でもまさか自分達が本当に行けることになるなんて…!1年前の私に教えてあげても信じてもらえないでしょう。派遣が決まってからは、準備に学校行事にと多忙な日々を過ごしました。準備を始めると、本当に英語で発表できるのだろうか、という不安や焦りが出てきました。しかし、くよくよ言っている暇もないので、英語の先生や帰国子女の友達など様々な人に協力してもらい、プレゼンの練習や質問対策を重ねました。そのおかげで、出国するときには「なんとかやれるだろう」と思えるまでになりました。そして…いよいよアメリカへ。異国の地に行くというのに加え、これからどんなすごい人達に会えるんだろうと思うと、私はワクワクがとまりませんでした。今まで研修合宿などを頑張ってきたJSECのみんなと一緒に行けるというのも私の楽しみの1つでした。ホテルに到着するとすぐに、ピンバッチ交換会へ行きました。すごくたくさんの人とバッチを交換したり、それぞれの研究について紹介したりしました。外国人のテンションの高さ、そして声の大きさにはやはり驚かされましたが、とても楽しい時間を過ごせました。このイベント以外にも様々なパーティーがありました。私が1番衝撃を受けたのは、ダンスパーティーでした。名の通りダンスをみんなで踊ったり、その他もご飯を食べたり、ゲームをしたり…。いわゆるクラブのような場所で、歓声をあげながら飛び跳ねて、ピンバッチ交換会の時よりもさらにノリノリの外国人が大量にいました。せっかくの機会だから私も入ってみよう!と決意し、入ってみました。想像以上に楽しかったし、周りの外国人とも仲良くなることができました。なかなかできない、というか、これから一生できないんじゃないかという経験でした。そうこうしているうちにあっという間に審査会が来ました。審査のやり方としては、私の場合は、まず自分から3分間のプレゼンを行い、それから質疑応答、という形でした。通訳の方についていただき、質問で聞き取れない部分を訳してもらいました。想定質問をたくさんしていたおかげで、ほとんどの質問にスムーズに答えられました。途中からは少しだけ余裕も出てきて、日本語で発表するときのように、どんどん楽しくなっていきました。始まる前は「長時間で大変そうだな…」と思っていましたが、あっという間に審査が終わってしまいました。その後にはユニバーサルスタジオハリウッド貸し切り!というご褒美もあり、一生に一度しかできない、とても貴重な経験をまたしてもしました。もちろん、すごくすごく楽しかったです!次の日には一般公開があり、日本人女子は浴衣を着ました。たくさんの子供達や他のファイナリストに研究を紹介しました。また、華やかな衣装のおかげでたくさん写真を求められました。その後は表彰式でした。私達は、表彰式の中で名前は呼ばれませんでしたが、「アメリカ音響学会佳作」を受賞したと後から知って、本当に驚き、そしてとても嬉しかったのを覚えています。また、グランドアワードの二等には日本人から3人も受賞者が出て、私も誇らしい気持ちになりました。

これだけでは全然書ききれないくらい、本当に濃い一週間をISEFで過ごしました。たくさんの人との出会いは、私にとって、とてもいい刺激になり、負けてられないなと思いました。また、初めて英語で論文を書いたりして、自分の英語と向き合ういいきっかけにもなりました。今回一緒に出場したJSECや学生科学賞のみんなとも出会えて本当によかったです。日本代表としてアメリカに行けて、本当に幸せでした。これから、この経験を十分に活かしていけるよう、今まで以上に努力します。最後に、ご指導してくださった長嶋先生をはじめ、論文添削など、様々な面で指導していただいたNSSの方々、今まで一緒に研究してきたチームメイトのみんな…など、お世話になった全ての人に、感謝しています。本当にありがとうございました。


京都市立塔南高等学校 早川 優希

Project Title: Energy Saving SwimFin: Developing the optimal fin for faster and efficient swimming

「Intel ISEF」は僕のような科学研究が好きな青年にとって,夢のような場所ではないだろうか。毎年5月,アメリカに行くために世界中の若き研究者たちが絶え間ない努力を惜しまず,オリジナリティーの溢れるテーマを研究している。残念ながら,アメリカに集結した各国代表の研究すべてに目を通すことは困難を極める。しかし,あの場所にいた誰もが自身の立てた目標に科学の力で立ち向かってきたのだ。このような日本をはじめ,ISEFに出場したすべてのファイナリストたちに敬意を示したい。さて,僕は幸運なことに2年連続で日本代表としてISEFに出場することが出来た。昨年は,中学生の頃のうちわの研究で審査会に挑んだ。高校1年生の僕は,ハイレベルな同世代のファイナリストの研究を目にし,とても大きな影響を受けると同時に,研究の趣旨や目的,考え方を創造するきっかけとなった。この経験が,僕の高校での研究活動のキックオフに強い影響を与えた。 ISEFを終え,僕は高校での研究を進めるにあたり「何を目的として研究するのか?」について,かなり思い悩んだ。「科学」という学問は我々人類の長い歴史の中で少しずつ育まれたものであり,絶え間ない先人の努力が現代を生きる我々の生活を設計している。現代の研究者も,人類の文明の更なる発展はもちろん,地球あるいは宇宙規模での科学的知識,技術の進歩や拡張を図り,最先端研究に取り組んでいる。彼らは「“人の知”の幅を広げること,健康や安全,そして生活を豊かにするような技術を生み出したい」という強い意志を持ち,明確な目的と考えのもとで研究に取り組んでいる。もちろん高校生の僕に,大それたことが出来る訳ではない。しかし,自身がこれから取り組む研究に何かしらの目的や狙いを明確に持った上で,少しでも人の役に立つような研究が出来るのが理想だと考えた。そんな中,僕が高校1年生の時期に取り組んだ研究は「うちわが起こす流体の特性を応用した省エネフィンの研究開発」である。要するに,より少ないエネルギーでより速い推進を可能にするスイミングフィン(足ヒレ)の研究開発を目的とした研究だ。人はフィンを足に装着することで,水中での推進力を増加させることが可能だ。しかし,フィンへの水の抵抗によって足への負荷が増大する為,足の筋肉硬直による溺死などの事故が発生することを知った。だからこそ,この研究を成功させて省エネフィンを開発すれば,溺死事故や怪我防止はもちろん,緊急を要する海難事故でのレスキューへの活用も期待出来ると考えた。中学生時代に取り組んだうちわの研究のノウハウを生かしながら研究を進め,目標の省エネフィンを完成させた。京都府審査も全国審査も,高校生として出場した経験は無い為,不安や心配もあったが,「Intel ISEF 2017」への切符を手にすることが出来た。昨年は中学生で思いもよらない派遣候補の告知だった為,ファイナリストになることを目指して取り組んだ研究ではなく,ただただ驚きが大きく,ファイナリストに選考されたという実感を持てていなかった。だからこそ,高校の部で出場が決まった時は最高に嬉しかった。ISEFには,前大会でのノウハウを最大限に詰め込んだ。言葉では言い表すことの出来ないような緊張感や,プレッシャーなどの葛藤があったが,自信をもって発表出来るように書類作成や,発表練習に取り組んだ。審査会に向けてメンターの先生や,学校の先生,ALTにも沢山のアドバイスや指導を受けることで,研究の質の向上や,プレゼンテーションのスキルを上げることが出来た。審査会は長いようで一瞬で終わってしまった。審査会のシンプルな感想は,「とにかく楽しかった」という一言に尽きる。沢山の練習や準備をしてきた中で,それらの努力を審査会の数時間の中ですべて出し切ることが出来た。更に,自身の研究成果である省エネフィン に,全ての審査員が興味を示し,「そのフィンを私も使いたい」と言った。「人の命を救える」という審査員からの共感の言葉が,本当に嬉しく感じられた。結果として表彰台に上ることは出来なかった。正直な心境を思い返すと,リベンジを結果に出来なかったという悔しさは,とてつもなく大きかった。しかし,同時に肩の荷が下りたような気がした。色々な思いはあったが,ISEFを通して,今の自身の研究に不足している要素を見つけることが出来た。先述のように「悔しい」という気持ちは強いが,僕の考える研究の本来の目的は,入賞や名誉ではない。ひとまず,悔しいという気持ちは心にしまい,新たな研究目標を設定して研究に取り組みたい。そして何より,ISEFを通じ沢山の人と出会うことが出来たことが僕の大きな財産となった。日本代表の方々とは,それぞれの研究の話や,普段の高校生活や私生活の話などで盛り上がり,仲良くなることが出来た。特に,学生科学賞からのISEFファイナリストチームの皆さんとは,沢山の関わりを持てた。現在は,各地でそれぞれの目標に向かって努力しているが,いつかまたどこかで,機会を設けて集まることが出来たら幸せだ。そして何より,お世話になったメンターの先生,読売新聞の方々に感謝の思いで一杯だ。ISEFが終了し,関わる機会が少なることは寂しいが,今後も気を引き締めて努力を続け,次にお会いした際に成長した姿をお見せしたい。

「Intel ISEF 2017 ありがとう。またね。」


長崎県立長崎西高等学校 福澤咲知子

Project Title: Water Surface Vibration Signals Utilized by the Japanese Water Strider, Aquarius elongatus, to Locate Prey and Mate

JSECで文部科学大臣賞を頂きISEF2017への出場が決まった時は、本当に信じられませんでした。単なる発表のミスで、糠よろこびすることになるかもしれないからと思い、すぐに喜べないほどの驚きでした。部活動で研究を始めて、アメリカへ行きたいと話していたときは目標というよりは願望に近く、まさか本当にアメリカに行くことになるとは思っていませんでした。受賞からISEF前日までリサーチプランやポスター作成、発表練習など忙しい日が続きました。特にポスターに関しては四月に東京で会った発表練習などの合宿のあと、形式を大幅に変えたため、始発電車で学校に行きポスター作成に取り組みました。大変でしたがおかげで、納得のいくものを作ることができました。発表の練習では、研究内容を3分間に要約したものを発表する3人で分担して覚えました。また、予想される質問集を作り質問に答える練習をしました。英語の先生や英語の得意な友人の協力もありとても良い練習ができたと思います。アメリカに行くにあたって、1番良かったと思ったことはJSECに参加した3人ではありませんでしたが同じ部活動で、ずっと一緒に研究やJSEC・ISEFでの発表の準備を行なっていた友人もスチューデントオブザーバーとして参加できたことです。長崎空港の集合場所に先生も含め5人揃ったときはアメリカへ行けることになって本当に良かったと思いました。長崎から東京に到着してからは、成田空港で結団式がありました。都道府県も学年も研究分野も様々でISEFに参加するからこそ、そうして会うことができるのだろうと思いました。成田からアメリカまでは約10時間のフライトでした。飛行機はあまり好きではないのですが、映画を見たり学校の課題をしたり、予想される質問に対する答えを考え直したりして長いフライトも乗り切ることができました。アメリカに着いてホテルに荷物を置いてすぐ、ピンバッチ交換会へ向かいました。ピンバッチ交換会の広いホールは沢山の国からきた沢山の学生で溢れていました。皆、目が会う人片っ端から声をかけまくりバッチを交換していました。私は英会話も初対面の人と話すのも苦手でしたが、”Where are you from?”、”I’m from Japan.”、”Thank you.”の3つでなんとかなったので良かったです。その日はホテルに着いてからもクタクタですぐに寝てしまいました。次の日目が覚めたのは集合時間の5分前でした。初日からの寝坊で本当にご迷惑をおかけしました。その日は午前中にブースセッティングと午後にオープニングセレモニーがありました。ポスターを組み立て、机の上に発表で使う道具を並べたりしているうちにあっという間に午前中は終わりました。その後はオープニングセレモニーで使う「Japan 」と書かれた紙に色を塗ったり絵を描いたりしました。オープニングセレモニーはダンスや参加国の紹介などとても盛り上がっていて、運動会の開会式のような、突っ立って終わるのを待つものとは全く違っていました。けれど、ゲストの英語のスピーチはほぼわからなかった為、うつらうつらしてしまいました。その翌日は発表練習とミキサーイベントがありました。ミキサーイベントでは薄暗いクラブの真ん中にアップテンポの洋楽に合わせて踊る人々がいて、その周りにハンバーガーやお菓子が置いてありました。また、外のスペースには卓球台などの遊べるものが置いてありました。私は一緒にいた3人と踊るのは無理だね、と話し合い、隅っこの椅子でジュースを飲んだりケーキを食べたりしていました。途中隣のテーブルいた女の子たちと片言の英語でお喋りなどをしました。そしてその翌日はいよいよ審査の日でした。審査では日本から別の学校の付き添いとしていらっしゃっていた先生が通訳ボランティアとしてずっと付いていただけることとなり、とても心強かったです。発表の簡単な説明ではまず聞こえる声で話すのを目標に話しました。日本とは違って審査員がポスターではなくずっと目を見て話を聞くのでちょっと怖かったです。質問は聞き取れる質問は自分たちで聞き、わからない質問はボランティアの先生に通訳していただき、全ての質問に答えることができたと思います。質問をたくさん予想できていたのが良かったと思います。全体を通して満足のいく発表ができました。審査の後はユニバーサルスタジオハリウッドで遊びました。食事は無料でしたが量がとても多くてさすがアメリカだと思いました。次の日は、一般公開がありました。地元の小・中学生や近くのブースの人が審査を見に来ました。その日は浴衣で参加した為、朝から不慣れな着付けを大急ぎでしました。日本人の参加者は浴衣の割合がすごく高くて、カラフルな浴衣の集団はかなり目立っていました。その日にスペシャルアワード、翌日にグランドアワードの発表がありました。日本からも受賞者がいて凄いなぁと思いました。私たちのチームはスペシャルアワードの佳作はいただけましたが、グランドアワードは受賞できませんでした。私はアメリカに行けただけでも十分だと思っていましたが、来年も参加できるのなら絶対にリベンジするのに、と悔しく思いました。最後の日にはロサンゼルスの観光をしました。サンタモニカではディズニーショップとアイス屋へ、ハリウッドではチャイニーズシアターを見たあと土産物屋へ行きました。最終日の短い時間でしたが観光を楽しめて本当に良かったです。

最後になりましたがISEF参加にあたってお世話になった先生方、朝日新聞社の方、NSSの方本当にありがとうございました。この経験を生かして様々なことに挑戦していきたいと思います。


島根県立益田高等学校 福満 和

Project Title: Red and blue silk threads obtained from silkworms reared on artificial diets containing rhodamine B and methylene blue

日本学生科学賞に参加しISEFに出場が決まったときはあまり自分が海外に行って発表するという実感がわいていませんでした。しかし発表に向けて準備を進めていくうちにだんだんと実感がわいてくると同時に、自分が発表に行き自分の研究や思いなどをうまく伝えることができるかどうかととても不安に感じていきました。ISEFに出場することが決まってからは英語の資料を読んだり、ポスターやアブストラクトを作ったり、発表練習をしたりと英語で研究についてまとめるのは大変でした。特に、ポスター作りは何度も手直しが必要で大変でした。でも、最後には納得できるものができました。また、渡米前の研修会では、2~3分程度の原稿を要点が伝わりやすくするように直したり、どんな質問が来るかわからないので多くの質問対策をつくったりと1人ではできなかったことを多くの方に手助けしていただきました。たいへんお世話になりました。アメリカに着き、発表の前に開会セレモニーやイベントなどがありました。どの交流イベントも私には派手に感じられ、さすが多くの国の人が集まる大会だなと感じました。また、海外の人とピンバッチ交流会などのイベントでおはなしする機会があり、とても楽しい時間を過ごすことができ、この大会に出てよかったと大会に行く前の不安が小さくなりました。ISEFでの発表はすべて英語なので英語の苦手な私にはとても大変なことでした。しかし、審査員はゆっくり話してくださったので研究について私の考えをしっかりと話すことができたと思います。また、通訳の方に自分では伝えるのが難しいことをかわりに伝えてもらい、とても助けていただきました。結果発表の時、4等、3等と呼ばれなかったのでもう呼ばれないだろうと思っていました。でも2等のとき自分の名前が呼ばれたときは本当にびっくりしました。そして自分の研究を評価してもらいとてもうれしかったです。今回賞を取ることができたのは自分の力だけではなく協力してくださった方々のおかげだと思います。ありがとうございました。

私はIntel ISEFに参加することができて本当に良い経験をすることができました。なぜなら、多くの国の私たちと同じように研究する人々に出会えたからです。また、それと同時にまだまだ私には言語力も科学の知識も足りていないなと感じました。これからもっともっと勉強していきたいと思います。そして、この経験を生かしてこれからも多くの人の役に立つような研究をしていきたいと思います。


青森県立青森南高等学校 古枝 志織

Project Title: Estimation of the Humidity in the Upper Troposphere using Contrails formed by Airplanes

私はISFFに参加して良い経験になったと思いました。正直、私はアメリカまで行くとは思いもよりませんでした。中央審査を通っただけでもすごい事なのにその上に行くとは頭に無くて、表彰式のときに呼ばれた時はとても驚きました。研修の回数は月に1回程度で少ないですが、その中で自分たちの研究が良いものになっていくので、頑張ろうと、とても感じます。私の研究のメンターの先生とは自分たちが知らなかったことを教えてくれたので、話を聞いていて楽しかったです。ISFFの本番では、息抜きをすることが多くて、毎日がお祭りの様でした。とくに、ピンバッチ交換のときは周りのテンションが高く、ついて行くのに大変でした。でも、その場にいるだけでだんだんと楽しくなり、ご飯を食べないで過ごしてしまいました。ピンバッチ交換は話しかけられたらでは無く、積極的に行ったほうがたくさんの人と知り合うことができるので、今後ISFFに参加する人はぜひ、自分から動いてみてください。夜の予定が毎日パーティーをやったり、遊んだりでした。なので、夜はすぐ寝たり、同じチームの人たちと深夜まで遊んだりしました。なので、次の日に疲れが残っていたりして、少しだるかったりしました。本番の審査はとても張り詰めた雰囲気で、緊張をしている人がたくさんいました。審査の準備をしている時に、審査ではないのに審査員の先生が来て、驚き、私は何も話せませんでした。それで落ち込んでいる時に、私のチームのリーダーが助言や励ましをしてくれたので、その後は自分ができるだけと事をやろうと思いました。審査中は審査員の人や特別審査員の人がどんどん来て、通訳の人がいない時でも発表をしなければなりませんでした。その時に自分たちの気持ちが、どれくらい伝えられるかが重要だと思います。今後、ISFFに参加する人はこのことを大事にしたらいいと思います。私のチームの研究の結果は、アメリカ気象学会賞という佳作を頂きました。正直、賞を取ることは出来ないだろうと思っていました。佳作は表彰式で呼ばれないので、何も賞を貰えなくて少しガッカリしていました。でも、この素晴らしい賞をもらうことが出来てうれしかったです。

今後、ISFFへ参加する人には自分の研究への気持ちが大事だと思います。その気持ちを伝えることで審査員人の心を揺さぶることが出来ると思います。でも、賞を取るだけがISFFの目的ではありません。新しい友好に気づいたり、自分が考えもしなかった研究をやっている人がいて、それによって自分の心を揺さぶられます。なので、新しいことに興味を持つことができます。これからも、たくさんの日本の高校生が世界で輝いて欲しいです。


玉川学園高等部 柳田 大我

Project Title: Feedback Control of Driverless Buses

日本学生科学賞の表彰式で、ISEFへの派遣が発表された時、ずっと目標にしていた舞台だったのでとても嬉しかったです。また、その時日本の代表として派遣されるというプレッシャーも感じました。だから、良い報告ができるようにより一層自分の研究に没頭するようになりました。そんな感じでISEFへの準備が始まりました。しかし、アブストラクトやリサーチプランなど英語で書かなくてはならない書類がたくさんあって早くも心が折れそうになりました。そんな時、先輩や先生が励ましてくれたおかげでどうにかやり遂げることができました。だから、支えてくれた先輩や先生には本当に感謝しています。そして書類を書き終えると、次にポスター作成とプレゼンテーションの練習を行いました。初めて書く英語のポスター、初めてする英語のプレゼンテーションで不慣れなことがすごく多く、メンターの先生に付きっきりでサポートしていただきました。その甲斐あって段々と自分の納得いく発表ができるようになり、出国する日には自信に満ち溢れていました。アメリカに着き、ISEFの会場に行って発表の準備をしました。その時、自分がこんな舞台で発表できるのかと、とても嬉しい気持ちになりました。そして、ISEFの開幕が一層待ち遠しくなりました。準備が終わるとピンバッチ交換会がありました。そこでは、英語で会話するのが苦手だったのですごく不安でした。しかし、海外の人は思った以上にフレンドリーでそんな不安はすぐに消し飛び、結局、海外の人と交流するのはとても楽しかったです。また、その時に何人かと友達になれて今でも連絡を取り合っています。毎晩開かれるパーティや発表の準備をしていると、あっという間に審査日を迎えました。ずっと楽しみにしていた審査日ですが、当日になると緊張でいっぱいになってしまいました。しかし、隣のブースの人とかと話していると自然とリラックスできました。また、ジャッジの方は、僕の拙い英語を必死に理解しようとしてくれてとても優しかったです。また、僕と同じ研究をしていた人がジャッジとして来られて考えてもいなかった質問や、僕の研究へのアドバイスをしていただき自分の研究を深める上でとても参考になりことが多かったです。そんなこんなで発表をしていると、だんだん発表が楽しくなり発表に慣れていくことができました。そして、やっぱりジャッジの質問に満足のいく回答ができた時や「なるほど!」と言っていただけた時はものすごく嬉しくて、この研究をやっていて本当によかったと思いました。

僕は、日本の代表として派遣されたものの、良い成績を残すことはできませんでした。あの表彰式の時の悔しさは今でも覚えています。だからこそ日本代表から受賞者が出た時は、その人たちをとても誇らしく感じました。そして、その時「来年こそは賞を取ってやる」と強く思いました。今回のISEFを通して海外の人との交流や英語での審査など普段できない貴重な経験をし、何よりもやり切れたことはこれから自分の自信になると思います。この経験を糧に、自分の研究をさらに高めていきたいです。最後になりましたが、様々な面からサポートしていただいたNSSの皆様、読売新聞の方々、先生、そして研究を支援していただいたメンターの先生、先輩方、おかげ様でやり切ることができました。本当にありがとうございました。

 


Intel ISEFニュースレター 2017 No.18
■ 発行: NPO法人 日本サイエンスサービス nss.or.jp
■ 発行日: 2017年7月31日
■ 撮影: 溝口昂太郎,久保裕亮 (日本サイエンスサービス・プレスチーム)
■ 編集: 溝口昂太郎,久保裕亮  (日本サイエンスサービス・プレスチーム)
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